第4話:異世界人
(そして現在)
中将の部屋を出て、俺たちは小さな会議室へ移動した。
そこで中尉が広げたのは、覇権国家計画の具体的なロードマップだった。
計画は三段階に分かれていた。
第一段階。戦争が始まる前に圧倒的な領土と生産力を確保し、侵略不可能な大国となること。
第二段階。食料と技術を輸出し、他国が帝国なしでは立ち行かない構造を作ること。
第三段階。高度な相互依存関係を構築し、戦争のコストを物理的に支払えないレベルまで引き上げることで、紛争を抑止する。
……理論上は正しい。だが、あまりに危うい。
俺の世界でも、経済的な結びつきが戦争を止める決定打にならなかった歴史を知っている。むしろ、その依存関係こそが対立を煽る引き金になることだってある。
だが、この未開な世界で、これほど先を見据えた戦略を百年も続けてきた国が他にあるだろうか。
放っておけば、待っているのは際限のない殺し合いだ。
それを防がなければならない。
「……ところで、中尉。なぜ俺がいきなり『曹長』なんて階級で参謀本部直属になったんですか?」
俺の問いに、中尉は事も無げに答えた。
「中将閣下には、君への『事前査定』を報告済みですから。これまでの異世界人と違い、君は武器ではなくインフラや農業、建築の基礎に目を向けた。その専門性は帝国にとって極めて希少だ、とね」
……一番の敵は、目の前のこの男だった。
こいつが必要以上に俺を「有能」として売り込んだせいで、安全な後方勤務の夢が潰れたのだ。俺の安寧を奪った元凶は、この丁寧な口調の男か。
「……中尉、余計なことをしてくれましたね」
「ハハハ、評価されたんですよ。喜んでください。下手に『特別な力』なんて持っていたら、勇者としてドラゴン相手に最前線で大型魔物討伐に駆り出されていたんですから。それに比べれば、戦場の『監察』なんて安全な方でしょう?」
技術レベルから見て他国にも異世界人がいるのは、確実と言っていたぞ。紛争地域での新兵器評価試験のどこが、安全なんだよ。
軍人は感覚がバグってるのか?言い返さないのは、お前が上官だからだぞ。
でも大型魔物。ドラゴンか……。少し見てみたい気もするが、命あっての物種だ。
中尉に案内された「士官用の個室」は、これまでの「藁の上」に比べれば、天国だった。特別監察官の肩書が、こうも早く役立つとは。
毎日お湯が運ばれ、プライバシーが守られる。中尉には殺意に近い反感を抱いているが、この待遇を用意させた手腕だけは認めざるを得ない。
寝る前に「魔力テスト」なるものを受けた。
正直、少しは期待した。この理不尽な世界で無双するための「特別な力」があるのではないかと。
だが、結果は散々だった。祈りを込めて握りしめた魔石は、部屋の隅で埃を被っている魔導ランプよりも暗く、弱々しく明滅しただけ。
「……ああ、分かってたよ。そんなに甘くないよな」
この世界で俺が頼れるのは、魔法ではなく、前職で培った「論理」と、思い出せないながらも脳に刻まれた「技術」だけだ。
翌日。
馬車が帝都の石畳を離れると、風景は一変した。
ゆるやかな丘陵地帯に広がるのは、この世界の原風景である荒々しい雑木林と、無理やり切り拓かれたいびつな四角形の畑だ。
遠目には緑豊かに見えるが、近づけばその「不自然さ」が鼻をつく。
現代の整然とした農地を見慣れた目には、畑の境界線は歪み、排水のための溝も掘りっぱなしの土が剥き出しで、雨が降ればすぐに崩れそうな危うさがあった。
馬車の中で、俺は思考を整理していた。ターゲットは農業。この世界の食事の質を底上げするための最優先事項だ。
農業革命には数年かかる。だが、今の不味いスープを啜り続ける生活を終わらせるには、今すぐ着手しなければならない。
「今回の監察対象は、数年前にこちらに来た『一般人』の異世界人です」
中尉が資料をめくりながら説明する。
「特別な力はありませんが、家庭菜園が趣味だったという元主婦の方で、彼女の助言をもとに実験農場を運営しています。収穫量は上がっていますが、最近は停滞気味でして」
到着した農場。そこで俺を待っていたのは、健康的に日焼けした、しかし肌の荒れを気にする40代半ばの女性だった。
監察官として挨拶を済ませるなり、彼女は食い気味に言った。
「あの……日焼け止めクリームとか、持ってませんか?」
切実すぎる。現代の女性にとって、この世界の直射日光は拷問に近いだろう。
俺は同情しつつも、首を振った。俺が持っているのは死んだスマホだけだ。
彼女は、あの「白い部屋」で『趣味の家庭菜園を続けたい』と願ったらしい。
結果、足元にはカブやトマトの種袋、手には収穫バサミという、あまりに地味な装備で転移させられたという。
「夢も希望もないわよね」と彼女は自嘲したが、彼女の知識はこの数年、帝国の食料事情を確かに支えてきた。
だが、俺は畑の奥を見て、思わず足を止めた。
そこには、青々と茂ったクローバーの畑が、手付かずのまま放置されていた。
「……奥のクローバー、何であんなに伸び放題なんですか? 肥料(堆肥)にするわけでも、家畜に食わせるわけでもなく」
俺の問いに、彼女は自信満々に、しかしどこか不安げに答えた。
「あ、それ。昔読んだ漫画で『ノーフォーク農法』ってのがあって。麦、カブ、麦、クローバーって順番に植えれば、土が痩せないって書いてあったの。だから順番通りに植えてるんだけど……」
「……それで、クローバーの時期はただ『置いてる』だけなんですか?」
「ええ。漫画では、植えるだけでいいって書いてありましたし。」
目眩がした。
「致命的な設計ミスだ……。漫画の知識が常に正しいとは限らない」
俺は手帳を取り出し、彼女と、背後に控える農場担当者に聞こえるように言い放った。
「ノーフォーク農法の肝は、クローバーやカブを『家畜の餌』にして、その家畜の排泄物を『肥料』として畑に戻す循環にある。ただ植えて放置するだけじゃ、窒素固定はできても効率が悪すぎる。おまけに、冬の間の家畜の飼料問題も解決していない」
彼女の顔から血の気が引いていく。
「え、でも、漫画では……」
「はい。あなたは正しかった。でも漫画は、物語を面白くするためにディテールを端折るんです。ここは現実だ。物理法則と生物学的根拠が支配する世界なんですよ」
俺は中尉に向き直った。
「中尉、すぐにサイロの建設と、家畜の導入計画を策定します。彼女の知識は『入り口』としては優秀でした。ここからはプロの『最適化』が必要です」
俺の食事を、そして帝国の食事を支える「農業革命」。
その第一歩は、異世界人が持ち込んだ「不完全なファンタジー」を、現実的で地味な作業で叩き潰すところから始まった。
「……ああ、それから奥さん。日焼け止めは無理ですが、高純度のグリセリンがあれば、それなりの保湿剤は作れるかもしれません」
俺の言葉に、元主婦の目がぱあっと輝いた。
「本当ですか!? ぜひ、ぜひお願いします! 協力ならいくらでも……」
食い気味に詰め寄る彼女を、俺は手帳を閉じながら冷静に制した。
「ただ、肌に塗っても問題ないレベルの純度を出すには、高真空を維持できる精製ボイラーと、精密な蒸留設備が必要です。今の帝国の鋳造技術と気密保持のレベルを考えると……」
俺は畑の向こう、遠くに見える帝都の煙突を眺め、事務的に付け加えた。
「順調にいって、十年後くらいですかね」
「十年……っ!?」
絶望に顔を歪める彼女を放置して、俺は中尉に向き直った。
「中尉、彼女の現代知識で収穫量は増えました。つづいて、サイロの建設と家畜の導入を行います。彼女にはその監督を」
俺は元主婦に希望を持つよう伝える。
「心配はいりません。帝国は貢献した民を裏切ることはありません。保湿剤は必ず作りますし。完成したら優先的に手配します。」
(俺が、帝国軍人になったの昨日だけどな)
俺は再び中尉に向き直った。
「中尉、そうですよね。」
「ほら、中尉が証人です。十年後、保湿剤があなたの手に届く。では、サイロ建設に適した場所を中尉と確認しますね。」
元主婦に声が届かない位置まで来たら、中尉が呆れたように笑う。
「……曹長、君は本当に、希望を与えるのが残酷なくらい上手いな」
俺は肩をすくめ、ガタつく馬車へと足を向けた。
「嘘は言っていません。俺だって、十年も待たされるのは御免です。だから、最短で文明レベルを上げなきゃならない。……俺自身の、快適な生活のために」
十年後、保湿剤が出来なかったら恨まれるのは中尉も同じだ。それは黙っておこう。
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