第87話:境界線戦争 その一
――【退役兵士再雇用支援局】局長:エルフ少尉。
これまで退役兵の再就職斡旋は、各基地や駐屯地が個別に行う補助的な業務、悪く言えば「余生の手配」に過ぎなかった。
しかしここにきて、帝国軍参謀本部は直轄の新組織『退役兵士再雇用支援局』を新設。軍組織そのものが主体となり、退役兵の本格的な“再雇用”へと舵を切ったのである。
帝都参謀本部、特別監察室。
「少尉。『退役兵士再雇用支援局』の局長にはエルフが就任しました。本人も随分とやる気があるようでしたよ」
「中尉。彼女はどこまでも任務に忠実なだけです」
中尉が並べた新たな書類を見つめながら、俺はため息を隠せなかった。
すべては、物資搬入の邪魔になるという理由で俺が仕様書を書いた「出入り口の段差撤廃」という、ただの現場改善から始まったはずだった。
しかし、参謀本部は、そのささやかな変化を、当然のように政治宣伝へ利用した。
軍はその施設を、「万人のための設計」「誰にでも開かれた福祉の空間」としてこれみよがしに民衆へ公開した。弱者への理解と思いやり、そして差別のない人道的な姿勢を大々的に宣伝することで、軍に対する世間の好感度は文字通り跳ね上がった。
だが、その慈愛の仮面の裏にある真の狙いはただ一つ。かつて戦場で五体を損ね、あるいは心を病んで戦列から退いた、実戦経験豊富な兵たちを再び軍の軛へと引きずり戻すことにあった。
義肢を付けた工兵。
片腕の通信兵。
心を病んだ元砲兵。
帝国は、彼らを「終わった人間」として処理するつもりがなかったのだ。
――士官食堂。
「少尉さん。こんにちは、最近はよくここで会うわね」
「はい。局長殿、偶然でございますね」
最近、彼女が頻繁に参謀本部に出入りしていると思っていたが、裏でこの『退役兵士再雇用支援局』の立ち上げ準備を進めていたのか。
「これで彼らも安全な内勤に就けるわ。少尉さんが作ったあの通りやすい傾斜が、全国の『道の駅(PA/SA)』や銀行の設計基準に採用されたおかげね」
「局長殿。本官はあくまで自分の利便性のために行っただけであります」
戦場で怪我を負っても、頑なに前線に残りたがる兵は多い。退役したところで、次の仕事がすぐに見つかるとは限らないからだ。
もちろん、これまでも軍は再就職の斡旋を行ってはいたが、民間企業に軍時代と同等の給与や福利厚生を求めるのは到底困難だった。
だが、軍組織そのものが「一般職」の椅子を大量に用意すれば、その問題は一挙に解決する。
形式上は再就職や再雇用を謳っているが、その実態は軍の枠組みに留めたままの「配置転換」に過ぎない。給与こそ多少下がるものの、手厚い福利厚生は軍時代のものがそのまま適用されるのだ。
しかも、新設される道の駅の光通信設備、保税倉庫の管理、さらには銀行支店の警備といった任務なら、老兵たちの培ってきた戦闘や警戒の経験をそのまま活かすことができる。
結局、書類上の所属が変わるだけで、彼らは依然として軍の人間だった。
「思いやりと人道」を掲げて民衆の心を掌握する帝国とは対照的に、『比帆諸島連邦』の国内政治は今、国家を揺るがす深刻な危機に直面していた。
一部の島々が連邦からの離脱と「帝国への編入」を声高に画策し始めていたが、彼らが掲げる大義名分は、島ごとの絶望的な経済格差であった。
連邦政府は国家の瓦解を防ぐため、不本意ながらも帝国の『政府開発援助(ODA)』を受け入れ、融和による破局の回避を図ろうとした。
だが、その格差を生み出していた醜悪な真相は、編入反対派の首謀者の一人が裏で海賊の出資者となり、近隣の島々や貿易路を執拗に襲撃させていたことにあった。
周囲に人為的な不幸を演出し、己の領地だけを「安全な島」に仕立て上げる――その合理的な安全神話こそが、彼らだけが独占的な経済発展を享受していた仕様の正体だったのだ。
もっとも、その海賊たちに関しては、帝国海軍の“測量艦”が「一斉砲撃」というこれ以上なく平和的かつ徹底的な手段によって、本拠地ごと奇麗に掃除したことで、すでに問題は解決しているのだが(第83話)。
「少尉。平和的、でしたか」
「中尉。あの事故は、海軍が重大な国際犯罪者を追跡中に発生した、不運な偶発的戦闘にすぎません」
だが、その「偶発的戦闘」の対価として、帝国は連邦政府に対し、目眩がするほどの巨額な賠償金を請求している。連邦政府は、一連の事件は自治権を持つ島が独自に引き起こした犯罪行為であり、政府の関与は一切ないと完全否定を貫いていた。
そこで帝国は、極めて人道的な妥協案を提示した。形式上は、連邦政府ではなく事件の張本人である「島」に対して賠償を求める、という形を取ったのだ。
当然ながら、焦土と化した島に金貨で支払えるだけの財力など残されているはずもない。借金が返せないのなら、代わりに現物で耳を揃えてもらう――すなわち、帝国は代物弁済として『島を一つ丸ごと』要求したのである。
島がひとつ、そのまま他国の軍事基地になりかねない最悪の事態。この帝国の強硬な姿勢を前に、連邦内では帝国への編入を望む派閥と、主権を守ろうとする反帝国派との間で、激しい対立の炎が燃え上がり始めていた。
「今、少尉が連邦に行けば、英雄が正義のために立ち上がったと、さぞや盛り上がるでしょうね」
中尉はただ、次は世界がどう動くのかを心底楽しみにしているような顔で尋ねてきた。
「中尉。連邦は、“まだ内戦”にはなっていませんよ」
――今思えば、『英雄・街道少尉』の誕生から噂が広まるまでの速度は、あまりにも早すぎたのだ。
まるで最初から精緻な台本が用意されており、海軍も、商人も、あの山村の村人たちでさえ、脚本家が書き上げた台詞をただ喋らされていたのではないかと思えるほどに。
現地の住民たちが勝手に引き起こした「偶発的な政変」という形を取る。あるいは、弾圧されている「経済的困窮に苦しむ島々」を救い出すという、極めて人道的な理由を掲げて軍事介入する。
その欺瞞に満ちたシナリオの最後の一片を埋めるために用意された政治的プロパガンダ。それこそが、俺という『英雄』の真の正体なのだろう。
二週間後、早くも『退役兵士再雇用支援局』による再雇用が本格的に動き出した。
各地の『道の駅(PA/SA)』の掲示板には、刷り上がったばかりの新しい版画新聞が誇らしげに貼り出されている。
――義肢を嵌めた老兵が、真新しい銀行の制服を受け取る姿。
――道の駅のテラスで、片腕の退役兵が愛おしそうに通信灯を磨く姿。
――戦傷で車椅子となった男が、久々に分厚い給料袋を受け取り涙ぐむ姿。
帝都の民衆は、その心温まる紙面を読みながら「我が帝国は、手厚い福祉と障害者支援で退役兵の人生を豊かにしてくれる」と、口々に称賛の言葉を交わしていた。
しかし――俺の手元にある、新兵器開発部門から回ってきた極秘書類の束には、人生の豊かさなど微塵も感じられなかった
――『軍機極秘・福祉適応共用補助式固定砲台要綱』
【種別】福祉適応共用補助式固定砲台(ふくしてきおうきょうようほじょしきこていほうだい)
【開発主旨】戦場においては、兵の五体の健否を問わず、その火力を等しく発揮せしむるこそ、陸軍の久しき念願なり。
殊に、戦傷により手足を損ねたる退役兵と雖も、車椅子のまま、あるいは隻腕のままにて、現役兵と同等の速度にて砲弾を装填し、迅速に照準を定むること能わしむるべく、本砲台を試作す。
個人の体力や肉体的な巧拙の差異を完全に排除し、万事の操作を「補助機巧」に委ね、誰が扱うとも一律の最大火力を発揮せしむる“普遍運用火点”の確立こそ、本開発の旨とす。
(……福祉と砲台に、いったいどのような因果関係があるというのか。俺の常識ではまるで理解が追いつかない)
だが、この『軍機極秘』の書類が俺に情報開示されたということは、すでに試作段階を終えて実戦配備の段階に入っている証拠だ。
新兵の訓練期間を劇的に短縮し、老兵たちの長年の戦闘経験と警戒眼をそのまま火力へ変換する――軍組織として、これほど冷徹かつ合理的な兵器システムはないことくらい、俺にも十分に理解できてしまった。
――福祉とは、人的資源を最後の最後まで火力へ変換する、極めて合理的な技術だったのだ。
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