第81話:海の街道 その九
帝国製の仮設灯台が初めて稼働してから、一か月が経過した。
すでに複数の島々で灯台の火が灯っている。これほどまでに短期間で次々と完成しているのは、過酷な現場での作業期間がわずか二週間ほどで済むからだ。むしろ、本国で規格化された灯台資材を製造し、それをここまで運ぶ日数のほうが長いくらいであった。
帝国製灯台の恩恵を受ける商港には、またたく間に大型商船が集まり、新たな倉庫が立ち並び、海上保険の商人が常駐するようになった。税収は跳ね上がり、富と人が濁流のように流れ込んでいく。
一方で、帝国への編入を拒み、灯台の建設を頑なに拒絶した島々は、急速な衰退の途をたどっていた。夜間航行の危険を避ける商船はそれらの島への寄港をやめ、定期航路からも容赦なく外され、交易量は激減していく。
海から切り離された島は、ただゆっくりと、経済的に窒息していくのを待つしかなかった。
もちろん、他の島にも従来型の灯台は存在している。だが、帝国の灯台が放つ光は別格だった。巨大なアルガン灯と放物面反射鏡によって生み出される光量は、連邦の旧式灯台とは比較にならず、その差は十倍近くに達している。
「少尉。光量の違いだけで、どうしてここまで差が付いたのでしょうか」
「中尉。商船が知りたいのは方向です」
帝国の灯台が優れているのは光量だけではない。
灯台内部では、蒸気機関によって巨大な重りが巻き上げられている。それが重力に従って落下する仕組みになっていた。
「脱進機」と「振り子」を用いることで、歯車の動きは「カチ、カチ」と完全に一定の速度へと制限され、重りは数時間かけてじわじわと落ちていく。
この精緻な機巧により、灯台の光は「一分間に一回転」、あるいは「二分間に一回転」といった、寸分の狂いもない一定の速度で回り続けることが可能になるのだ。
そして、島ごとに回転周期を変えることで、船乗りたちは遠く暗い海からでも、灯台の輝き方だけで自分の位置を確実に識別することができた。
こうして、夜間の魔導ランプへと群がる虫のごとく、商船は吸い寄せられるように帝国の海へと集まっていくのだった。
もっとも、その光を維持できるのは帝国海軍だけだった。
大型反射鏡の研磨、精密歯車の保守、大量の鯨油の補給、そして蒸気機関部品の交換。これらを維持するために、過酷な環境の灯台へ二十四時間体制で人員を常駐させるなど、島の住人たちだけで行うことは到底不可能であった。
「少尉。この島の帝国編入はまだ正式に決まっていませんよ。我々はあくまで駐留軍のはずですが」
「中尉。灯台の管理維持は、正当な軍の任務です」
当然の帰結であった。灯台の光は、時に侵略者に対してすら進路を教える道標になり得る。戦時であっても利益を最優先する民間の商人に、そのような国家の命運を左右する施設の管理を任せるわけがなかった。
ただ、帝国海軍は島の経済と安全を守るという大義名分のもと、灯台の周囲に、軍港としての実質を持つ港を築いていくだけのことである。
「少尉。港街の経済は発展しましたが、その恩恵を受けていない者もいるようです」
中尉は、手元の報告書に目を落としたまま俺に問いかけてきた。
「中尉。時代によって、必要とされる職業は変わります」
帝国海軍が作り上げた安全な海路により、これまで難破船の救助を専門としていた者や、その取り分の交渉を担っていた法の専門家たちは、完全に失業することとなった。
遭難事故そのものが激減した今、高額な報酬を誇った彼らの特殊な生業は、もはや過去の遺物でしかない。
そして、その割を食ったのは漁村などの貧しい沿岸の村々も同様だった。彼らにとって、難破船は災害ではない。
“収穫”だった。
かつて彼らは、座礁した船の存在を国より先に海賊へ通報することで、密かに駄賃を受け取っていたのだ。
それだけではない。貧しい沿岸の村々にとって、難破船から得られる「木材」は、家を建て、冬の暖を取るための貴重な天然資源でもあった。
巨大な船がたった一隻座礁するだけで、村中の屋根や家具、薪がすべて無料で手に入ったのだ。しかし、灯台のせいで船が沈まなくなると、住民はわざわざ遠くの森から高価な木材を買い求めねばならなくなる。
灯台の光は、沿岸の建築文化や彼らの生活水準を底辺へと押し下げる結果をもたらしたのだ。
「少尉。報告書によると、海鳥の追突死が増えているそうです」
中尉の唐突な言葉に、俺は淡々と応じる。
「中尉。海軍の灯台勤務兵は強靭です」
巨大なアルガン灯と放物面反射鏡が放つ光は、闇夜の海を何キロメートルも先まで切り裂く凄まじいものだった。
それゆえ、夜間に移動する海鳥たちがこの強烈な光に目を眩まされ、灯台のガラス窓に向かって次々と激突し、命を落としていく。
だが、海軍の逞しい男たちはそれをただの悲劇としては終わらせない。彼らは毎朝、激突した鳥たちを黙々と回収し、その羽毛で暖かい布団を作り、肉は日々の貴重な食料として余すことなく消費するのだ。
港街では、灯台建設に反対する住民たちの激しい集会が連日続いていた。ある日、ついに暴徒化した一部の群衆が、斧や鶴嘴を手に灯台へ向かって進軍を開始した。
通報を受けた帝国軍が現場へ駆けつけたものの、そこに軍の出番は残されていなかった。経済的利益を守ろうとする商人たちが雇った民間の傭兵団により、暴動はすぐさま、容赦なく鎮圧されていたのだ。
「少尉。灯台反対派は、港街だけでは無いようです」
経済的に完全に追い詰められた一部の住民は、さらに手段を選ばなくなっていった。彼らは篝火を使った偽装灯台を試み、さらには馬の首に魔導ランプを括り付け、夜の崖道や断崖を歩かせた。
海上の船乗りに「別の船が安全に航行している」ように見せかけ、油断させてわざと座礁させようとしたのだ。無理やりにでも難破船を作り出し、かつての甘い汁を吸おうとする、必死の足掻きだった。
しかし、帝国の本物の灯台とは光量がまったく違っていた。海上警備隊は、夜の闇に浮かぶその不審な揺らぎを発見すると、即座に発光信号で沿岸警備隊へと通報した。
巡回中の沿岸巡察隊や島内各地に分散待機していた帝国の快速銃騎兵が、すぐさま駆けつける。
民間人が猟銃や旧式魔導銃でどれほど武装していようとも、帝国軍の最新鋭兵器である複合式魔導短機関銃の前では、それは戦闘とすら呼べない一方的な掃討だった。
冷徹な連射音が闇夜に数秒間響き渡り、それで抵抗は終わりを迎える。
「少尉。海賊は、なかなか現れませんね」
「中尉。海賊は必ず現れます」
「随分と断言しますね、少尉」
「中尉。灯台は、海賊から見れば“絞首台”です」
中尉の問いかけに、俺は視線を海へと向けたまま静かに返した。
定期航路の確立、海上保険の浸透、灯台税の徴収、そして灯台の周囲に築かれつつある軍港。これら帝国のインフラが網の目のように海を覆い尽くせば、海賊という「商売」が成立しなくなるのは時間の問題だ。
彼らはその生存を賭けて、この灯台という名の絞首台を破壊しに動かざるを得ない。
遠く、暗い海の水平線で、帝国の灯台が規則正しく明滅していた。
まるで、逃げ場を失った獲物を待つ処刑台の火のように。
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