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覇権国家計画  作者: 納豆
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第77話:海の街道 その五


比帆諸島連邦ひほしょとうれんぽう』の小さな漁村。子供たちが見たという「風に向かって」突き進む三角帆の小型船。



――現代ヨット。



結論から言えば、どこかの異世界人がただヨットの絵を描き、それをこの世界の職人が見よう見まねで再現した、という可能性は絶対にあり得ない。



三角形の布を張るだけでは、それは単に「風を受けるだけの帆」にしかならないからだ。風上へ進むためには、最初から「飛行機の翼のような三次元の膨らみ」を計算して布を縫い合わせる必要がある。


強風を受けた瞬間に布が伸びて形が崩れれば、その時点で揚力は消失する。つまり帆の形状そのものに、目に見えない“流体力学的な設計”が不可欠なのだ。


精密な設計図がなければ、風に向かって突き進む推進力など、逆立ちしても生まれはしない。



それだけではない。海面下に隠された「巨大な重りを備えたヒレ(キール)」の存在を知らなければ、強風の横圧力を受けた船体は、復原力を失ってあっけなく転覆する。



「少尉。『比帆諸島連邦』に異世界人がいる、あるいは関わっているの確実です」


「中尉。問題の本質は、異世界人ではありません」


問題は、「造船に詳しい異世界人」ではない。既存の警備網を根底から突破し得る、恐るべき『海洋技術の体系』そのものが、敵の手に渡っているということだ。


もし現代ヨットの基本構造がこの世界の技術で完全再現されているのだとすれば、その巡航速度は時速三十キロ近くに達するはずだ。海軍の誇る蒸気船は、確かに風が無くとも進める。しかしその速度は、せいぜい時速十キロ程度に過ぎない。


――風さえあれば、奴らは、こちらの三倍の速度で海を駆ける。近代化の象徴であるはずの蒸気艦が、風を味方につけた「過去の遺物(帆船)」に速度で圧倒されるという最悪の現実が、すぐそこに迫っていた。



「中尉。直ちに大佐へ報告します」


俺と中尉は漁村を後にし、港街に停泊中の大砲が並ぶ『測量艦』へと急ぎ引き返した。



――報告を受けた大佐の動きは迅速だった。

漁村でのヨットの目撃情報を耳にするや否や、艦内に同乗させていた『海軍艦型試験池』の技術員を即座に現地へと派遣したのだ。



まずは事実確認が先決である。目撃された船が何隻あるのか。技術員の確かな目であれば、その形状や帆の大きさから、敵のヨットが持つ正確な性能を瞬時に割り出せるはずだ。


艦長室の重苦しい空気の中、大佐は手元の煙草に火を点けた。



「街道少尉。十年ほど前になるが、帝国の管理下にあった異世界人が、他国の工作員に拉致された事件があった。……その時も、ヨットが使われた」


「はい、大佐殿。本官はかつて、その異世界人と面会したことがあります」(第22話)


俺の言葉に、大佐は煙草を咥えたまま、静かに『比帆諸島連邦』の海図へと視線を落とした。



「街道少尉。あの事件が敵国による強制的な拉致だったのか、あるいは奴自らの意志による亡命だったのかは、未だに分かっておらんのだ」


大佐の言う通り、参謀本部ですら、当時の真相を断定しきれていなかった。


あの異世界人は、戦闘の才能もなければ、特筆すべき特殊技能も持っていなかった。だからこそ、帝国側も『無害』と認定し、監視を緩めていたのだ。



――だが、もしもあれが自発的な「亡命」だったとしたら。

帝国は「亡命」を絶対に認めない(第21話)特別な技能など持たずとも、ただ現代の概念を頭の中に宿しているというそれだけで、あの男の『無害認定』は完全に解除されることになる。



「少尉。どう対応しますか」


中尉は、新しい玩具を分解する時のような、好奇の眼差しで、俺を見ている。


「中尉。俺の任務は『測量』です」


俺がいつも通り答えると、大佐は指の間に挟んだ煙草から灰をそっとしごき落とし、邪悪に口元を歪めた。



「街道少尉。お前は『測量』を続けろ」


「はっ、大佐殿」


「心配はいらん。我々の強襲揚陸母艦には『高機動飽和迫撃艇』を搭載してある。我が海軍のそれより速い船など、この海のどこにも存在せんよ」



――高機動飽和迫撃艇。

名前を聞いただけで、それがどんなヨットなのか容易に想像が付いてしまう。

(しかし大佐。それ、海軍の最高機密の部類だろうに、陸軍の事務方にすぎない俺に言って良いのか? もしかして、わざと聞かせたのか……?)



大佐とのいびつな作戦会議を終えた俺は、中尉や海軍特別強行警備中隊を引き連れ、次なる『測量』の目的地へと向かった。


次の舞台は、青い海に囲まれた沿岸の漁村ではない。島の胸奥、痩せた台地の上に息を潜める山村だ。四方を海に囲まれていながら、ここには潮風の匂いすら届かない、峻険な「山の世界」が横たわっている。



灰色に乾いた大地には、わずかなカブの葉が申し訳程度に揺れるばかり。だが、この村には羊がいる。石だらけの傾斜地を器用に歩く羊の群れこそが、村人たちの生活を支える血肉だった。


その肉は貴重な糧となり、厚い羊毛は厳しい冬を越すための衣服へと姿を変える。山を下りた先にある港街の織物職人たちにとって、この山村の毛織物は、高く買い取るだけの価値がある至高の財産なのだ。



「少尉。この村にも『測量』が必要ですね」


「中尉。この島全体に『測量』が必要です」



山村の情報は事前に把握済みだ。荒涼とした風景の中へ建設工兵大隊の兵士たちが容赦なく分け入っていく。


彼らは手際よく村の壊れた井戸を修理し、最新の深井戸ポンプを設置していった。その横に持参の『高性能湯沸かし窯』が据え付けられると、またたく間に湯気が立ち上り、温かいスープの炊き出しが始まる。


この『高性能湯沸かし窯』の真価は、炊き出しだけに留まらない。羊毛を製品化する際、脂や汚れを落とすための「大量の温水」を供給できる点にある。



軍が管理するこの公共の窯のおかげで、村人たちは貴重な森林を切り崩すことなく、高品質な羊毛を大量に洗浄・加工する術を手に入れたのだ。


気がつけば、曹長が配る『高純度ブドウ糖錠剤』の周りに子供たちの人だかりができていた。ここでも子供たちが、良い体験を拡散してくれるだろう。


「兵隊さん、ありがとう! こんなに美味しいスープ、初めて食べたよ!」

「井戸の水が綺麗だ。帝国軍の手押しポンプは魔法のようだ」

「薪の心配をすることなく、お湯が使えるようになるのは助かるわ」



俺の任務は、あくまで『測量』だ。だが同時に、この帝国軍の展開は、国が推し進める『ODA(政府開発援助)』の一環――すなわち人道支援でもあった。


人命の救助、苦痛の軽減、そして人間としての尊厳の維持。それらの大義名分の下、俺は生活必需品を供与し、今後の生活を支えるインフラを構築していく。


もっとも、彼らが手に入れた安定した食料と便利なインフラは、裏を返せば「帝国無しでは維持できないシステム」そのものだった。



その光景を苦々しい顔で睨みつける男がいた。この村を代々管理してきた、村長だ。


村長は自らの取り巻きの男たちを引き連れ、俺に近づいてきたが、すぐさま護衛分隊がそれを阻止した。

村長の視線は、帝国軍が持ち込んだ支援物資――特に高価な医薬品の箱や、大量の小麦が詰まった麻袋に注がれている。



「おい、帝国の役人。その物資は一度、我々役場が預かる。分配は村の年長者である我が一族が仕切るのが、この島の古くからのおきてだ」


傲慢な響きを帯びた声が、賑わう広場に冷や水を浴びせるように響いた。



俺は手元に広げた白紙の書類――突貫で作成を始めた『住民票(名簿)』に目を落としたまま、顔すら上げずに事実のみを簡潔に伝えた。



「島長にも伝えておりますが、帝国は人道的観点から、全ての住民へ公平な基準を持って、住民一人ひとりに直接配給します」


「なっ……!?」


「この名簿にある通り、親のいない孤児であれ、働けない病床の老人であれ、帝国は全ての命を等しく対応します」



村長の顔が、屈辱と怒りで激しく引きった。

激昂し、掴みかからんとした村長だったが――しかし、彼はそれ以上言葉を続けることができなかった。


硬質な金属音が周囲に響く。俺の斜め後ろに控える護衛分隊が、冷徹な手付きで魔導銃の銃口を村長へと向けていた。それだけではない。広場の周囲には、完全武装した海軍特別強行警備二個中隊(二百名)が視線を投げかけている。



さらに村のあちこちでは、建築工兵大隊(三百五十名)が淡々と作業を続けていた。今この時点で、この村の全人口よりも、展開している帝国兵の数の方が多いのだ。


反抗が物理的に不可能であることを理解し、村長は忌々しげに顔を歪めながらも、這うようにしてその場から引き下がっていった。



その背中を見送りながら、隣にいた中尉が小さく肩をすくめる。


「少尉。これでは占領統治ですね」


「中尉。これは『測量』の一環です」


だが、村長とその取り巻きたちが引き下がった先――村の奥の暗がりでは、違った動きが始まっていた。


読んでくださり、ありがとうございました。

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