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覇権国家計画  作者: 納豆
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第76話:海の街道 その四


測量艦から降ろされた舷梯げんていを一歩ずつ踏みしめ、ついに『比帆諸島連邦ひほしょとうれんぽう』の北の島へと降り立った大佐。


それを港で待ち構えていたのは、顔を不自然なまでに紅潮させ、熱い握手を求めてすり寄る地元の族長と、その背後で揉み手をしながら卑屈な笑みを浮かべて付き従う島の大商人や有力者たちだった。



その光景を冷ややかに見下ろす俺たちの背後では、船倉から、帝国が『人道支援』として持ち込んだ大量の飢餓対策物資が、次々と陸へと運び込まれていく。



「どけ、どけ! 帝国の極上小麦だ、一粒たりとも傷をつけるな! ――おい、そこの荷は我が商会の直轄倉庫へ運べ!

連邦内の流通や商品価値に一番詳しいのは我々だ、奥地の貧しい農漁村へ届ける役目も、すべて我が商会が責任を持って仕切る!」



そう叫んで現地の荒くれ者を怒鳴り散らす大商人の足元では、「お願いです、もう家には小麦が一粒もないのです。このままでは子供たちが……」と悲痛な声を上げて泥の中に泣きすがる、痩せ細った女たちの姿があった。



地元の自警団は、肩に担いだ魔導銃の冷たい銃身に退屈そうに手をかけ、その凄惨な光景を他人事のように平然と見下ろしている。


だが、港の奥の深い暗がりには、そんな自警団の目を盗むようにして、帝国軍の物資と兵員へ明らかに鋭く狂暴な敵意を向ける集団が潜んでいた。



そんな大人たちの醜いごうや打算を他所に、地元の子供たちは、初めて見る異世界の巨大な影を見上げて歓声を上げて跳ね回る。



「すげえ! 見ろよ、あの船、お化けみたいに黒い煙を吐いてるぞ!」

「本当だ! 生きてるみたいだ、かっこいい!」



初めて目にする帝国の近代蒸気船が吐き出す不気味な黒煙に、子供たちだけは純粋な歓喜の声を上げていた。



――この北の小さな島に開かれたばかりの港は、様々な利権と打算、そして生き残るための狂気が渦巻く、底知れぬ混沌カオスに満ちあふれていた。



そんな危険極まりない未開の港において、俺の周囲には、いつもの陸軍護衛二個分隊に加えて、海軍の最高実力組織である『特別強行警備』二個中隊が、過剰なほど強固に張り付いていた。


陸軍の事務方を自分の都合で最前線まで呼び寄せておきながら、万が一にもその身に傷をつけまいとする、海軍司令部による執念深い責任回避(配慮)の表れだった。



彼らは海軍特殊戦部隊の中から、さらに選び抜かれた精鋭中の精鋭だ。尋常な人間であれば、その冷徹な眼光と目が合っただけで気圧され、身から放たれる圧倒的な殺気と威圧感に平伏してしまうだろう。



しかし、俺は現代社会人としての経験を伊達には積んでいない。これからお世話になる部署への「現代的な挨拶(手土産)」は基本だ。



俺が持ち込んだのは、帝都の実験農場で作られた、現代農業工学という名の“インチキ”を総動員し、土壌と植物に強制労働を強いて絞り出した、帝国で最も甘い極上の果実。それは皇帝陛下へ直に捧げられる最高品種の果物だ。


これを、あくまで「将来、陛下に献上される最高級品種の、最終品質評価のための『現場試食試験』」という完璧な公的名目で、彼らの前に提示したのだ。



「本官はただ、前線に立つ皆様の率直なご意見を伺いたいだけです」


完璧な言い訳の元、最高品質の果実を口にした海軍特別強行警備中隊の間には、極めて良好で、鉄壁とも言える信頼関係が築かれている。



「少尉。果実……、『皇帝への献上品の目利きを任された』という名誉と愛国心で籠絡したのですか」


「中尉。彼らは、任務に忠実なだけです」



彼らの愛国心は極めて高い。

――己の舌による評価が、そのまま皇帝陛下への献上品を左右するのだ。この極上の果実が陛下に相応しいか否か、その実を口にする資格があるのか。



この島は、一つの完成された経済の縮図だった。


漁村の男たちが命がけで獲った魚は港街の市場へ運ばれ、街の商人によって「塩」や「鉄の農具」、あるいは「小麦」といった生活必需品と交換される。


その中から集められた大量の魚は、さらに有力商人の手で干し魚へと加工され、外から来る大商船へと輸出されていく。決済に使われるのは、眩い銀貨や信用手形だ。

彼らはその富を使い、島に足りない物資を外部から大量に買い付けて島内へ循環させていた。


一見すると見事な自給自足の循環。だがその実態は、あまりにも脆弱な薄氷の上の均衡だ。



漁村が魚を長期保存の利く「干し魚」にするには、木こりの村が供給する「薪」と、街の商人が独占する「塩」が絶対に欠かせない。


もし木こりが薪を値上げしたり、商人が塩を出し渋ったりすれば、それだけで村々の生命線は断たれ、容易に深刻な私闘や暴動へと発展するだろう。


――「自給自足の閉鎖空間」でありながら、「都市の政治や経済の縮図」を内包する社会。どこか一つの歯車が狂うだけで、この島は明日にも容易に崩壊する。



「少尉。何から始めるのですか」


俺は、手にした鉄製の測量儀を取り出した。


「中尉。俺の任務は『測量』です」



「いつでも暴動が起きうる火薬庫」であるこの島に、帝国が持ち込んだ「帝国の物資」と、それを守る「海軍の圧倒的な暴力」。それは、破綻と隣り合わせの状態で維持されていた経済秩序を、根底から叩き割る決定的な一撃となるはずだった。



帝国が行う『ODA(政府開発援助)』は、港湾整備を主軸とする。だが、ただ港を広げるだけでは意味がない。港単体の建設に留まらず、そこへ至る街道や、周辺の経済特区整備を一体化させてこそ、真に地域を塗り替えられる。


まず俺が着手したのは、港街から近くの漁村へと続く泥の獣道を、車輪の跡が刻まれた強固な『わだちコンクリート街道』へと突貫工事で上書きすることだった。



――その先にある、漁村。


人口三百人、世帯数は六十。

塩を孕んだ暴風に耐えるよう、石造りや厚い木材の壁で造られた家々が、海岸線や入り江を囲むように密集して建っている。


屋根は粗末な茅葺きだ。家の周辺には、泥に塗れた網を干す道具や、魚を加工するための燻製小屋がせせこましく並んでいた。



この村には、男たちが決定的に少ない。

漁に出て不在なわけではなかった。天候の急変による遭難だけでなく、この海には小型の魔物が棲息している。


ひとたびその群れに襲われれば、彼らの乗る木製の小型船など、ひとたまりもなく食い破られてしまうのだ。


結果として、村には多くの未亡人や孤児、そして老人が取り残される。彼ら残された弱者たちが、「網の補修」や「魚の塩漬け・燻製加工」、「貝類の採集」といった、潮気に肌を荒らされる過酷な重労働を細い腕で担っていた。



――帝国の村も、昔はそうだった。

近代化される前の、かつての帝国の姿が、目の前の寂れた村にそっくりそのまま重なっていた。



俺の護衛を務める分隊長が、痩せ細った子供たちをじっと見つめている。曹長との付き合いも長い。彼が何を考え、何をしたいのかくらいは察しがついた。


しかし、彼の最優先事項はあくまで護衛任務だ。曹長は非常に優秀な軍人であり、胸の内にどれほど私情を抱こうとも、機械のように正確に任務を遂行する。



「曹長。大人たちは帝国軍を警戒している。子供たちから警戒されずに話を聞いてきてほしい」


「――はっ、少尉。了解いたしました」



曹長は一瞬だけ表情を和らげ、すぐさま子供たちの方へと歩み出た。そして彼が懐から取り出し、配給し始めたのは、帝国軍の標準装備である『高純度ブドウ糖錠剤』だった。



村の子供たちは、この異様に白く、無機質で、不気味な魔薬のような塊をこれまで見たこともなかっただろう。だが、ひとたび口に含めば最後、それは脳を直接揺さぶる甘美な報酬へと変貌する。



「あまーい! これ、お砂糖? お砂糖ってこんなに美味しいの!?」

「あはは! なにこれ、すごい! 魔法みたい!」

「これ、毎日たべたい! 明日も、明後日も、ずっとこれたべたい!」



子供という生き物は、自身が得た快楽体験を周囲へ瞬時に拡散する、極めて優秀な「個体」だ。


俺は、この村の人間たちへ嘘をついたり、命令したりはしない。子供たちが「美味しかった」という強烈な個人的記憶を、周囲の大人たちへ自発的に送信するだけだ。



「少尉。子供たちが、喜んでいますね」


遠くで弾ける子供たちの歓声を耳にしながら、中尉が小さく目を細めて呟いた。


「中尉。俺は『測量』のために必要なことを行っているだけです」


やがて、子供たちの輪から離れた曹長が、静かに俺の元へと戻ってきた。その顔には、優秀な軍人特有の、険しい警戒の色が浮かんでいる。



曹長が甘い錠剤の対価として、子供たちの口から聞き出した情報――それは、最近この周辺の海域に現れたという『海賊』の噂だった。


村の男たちを襲い、漁を不可能に陥れているその海賊は、妙な小型船を操るのだという。


風を背に受けて進むしかできない従来の帆船とは違い、その船は、鋭い逆三角形の帆をはためかせ、あろうことか「風に向かって」突き進んでくるのだと、子供たちは怯えながら語った。



――風上航かざかみこう


現代ヨットの知識。卓越した造船技術を誇るこの『比帆諸島連邦』のどこかに、それを実用化し、海賊へと技術供与している「異世界人」が潜んでいる。


読んでくださり、ありがとうございました。

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