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覇権国家計画  作者: 納豆
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第75話:海の街道 その三


海軍は、周辺国に対して利便性の高い近代的な「商港」を善意で建設している。西の『豊浦王国』(第57話)でも、南の『白綿共和国』(第66話)でも、定義上は「純粋な経済発展と人道秩序のための自由貿易港」だ。


ただ、巨大な商港の心臓部には、帝国海軍の最新鋭の補給軍事施設が、港の設計段階から組み込まれており、帝国海軍の主力が寄港・展開できる、実質的な駐留軍基地と呼べなくともない。



「少尉。海軍が建設しているのは、軍港なのではないですか。」


「中尉。定義上は、商港です。」


嘘ではない。実際に商港近郊経済は回復しているのだ。



そして海軍は今、北の『比帆諸島連邦ひほしょとうれんぽう』の島々にも、物流効率化や経済成長を後押しする『ODA(政府開発援助)』を人道的に進める。もちろん、港単体の建設だけでなく、街道や周辺の経済特区整備などとの一体化が重要だ。



西の豊浦、南の白綿。そして今回、北の比帆諸島。この三方を押さえることで、帝国は大陸周辺の主要海域のすべてを完全に包囲し、文字通りの絶対的支配下に置くことが可能になる。



――「……この仕様書を書いた奴の頭の中は、冷徹な計算式で満たされているか、さもなくば悪魔のそれだ」



これほどの巨大な地政学的包囲網を、経済支援の仮面を被せて平然と実行に移す狂気。俺が思わず声を漏らすと、対面に座る中尉は、ただ無言のまま、もの言いたげな不気味な視線をじっとこちらに送ってきた。


「……少尉」


「何ですか」


「海軍の仕様書を“悪魔的”と評しましたが」


中尉は静かに書類を閉じた。


「全ての『道の駅(PA/SA)』、『水産国』と『資源国』を繋ぐ共有街道、『森の小国』や『白綿共和国』の人道回廊、『沼蛮国』の水路」


「その全てに、あなたの署名があります」


「中尉。採用したのは参謀本部ですし、俺は、快適で安全な隠居生活のためにやっているだけですよ」



帝国政府が『比帆諸島連邦』政府に対し、港湾整備を主軸とした大規模な『ODA(政府開発援助)』の実施を慇懃に打診するその裏側では、連邦の側にも極めて深刻な問題が発生している。


無数の小さな島々が様々な利益で結ばれ、長らく奇妙な均衡を保ち続けていた群島国家。しかし連邦を構成する一部の島々が、密かに連邦からの離脱を表明し、『帝国への編入』を水面下で画策し始めていたのである。


その目的は、帝国の軍事力を背景に安全保障を確立しつつ、自領の自治権を維持するという極めて打算的なものであった。



「少尉。『比帆諸島連邦』は島ごとの自衛力に大きな差があります。『帝国への編入』を望む島は、自国と戦争になる可能性があります。なぜ、そこまでするのでしょうか」


「中尉。『帝国への編入』は彼らにとって、非常に実用的な利点があります」


打算的ではある。しかし彼らにとっては、生存をかけた極めて合理的な選択だった。帝国への編入とは、単に主権を差し出すだけの売国行為ではない。



帝国においては、制度上、子供が飢えて死ぬことが無い。どこかの領地で食料が不足すれば、帝国の強固な物流網によって瞬時に他地域から物資が運び込まれ、ひとたび疫病が発生すれば、速やかに専門の治療団が現地へ派遣される。


各地には帝国軍直轄の『職業訓練学校』が建設されており、貧しい農家の子供も、魔物が減少して職を失ったかつての冒険者たちも、望めば新たな技能を学び、好きな仕事に就くことができるのだ。



もっとも、その近代化の代償として、古き貴族の伝統や、地域の固有文化、あるいは各種ギルドが代々秘匿してきた門外不出の職人技術といった多様性は、ことごとく効率性の刃によって消え去っていったのだが。



「少尉。近代化によって、失われた文化がありますね」

「中尉。文化が消えたのではなく、彼らが利便性を選択しただけですよ」


「では、少尉。帝国より優れ便利な国家が誕生したらどうなりますか」

「中尉。帝国は、それを認めませんよ」


中尉は手元の書類を閉じ、椅子の背もたれに体を預けた。



――百年以上続く『覇権国家計画』。

帝国は、絶対に止まらないだろう。背中に砲を隠しながら笑顔で握手をし、食料と技術を輸出し、世界に強固な相互依存関係を作る世界大戦阻止計画。


帝国、南の『水産国』、『資源国』、『白綿共和国』、『沼蛮国』。

気が付けば、あの一帯はもう互いの物流と食料なしでは成立しない。


……少なくとも、以前のような大戦争は起こせなくなっている。……ないはずだ。



――二週間後、俺は海軍の新型測量蒸気船の甲板にいる。


そういえば、この世界で海に出たのは初めてだ。


頬を撫でるべた付く湿った風が、容赦なく肌を粟立たせる。それは内陸の洗練された帝都では決して味わうことのなかった、塩気と、生臭さと、そしてどこか不穏な熱を孕んだ海の匂いだった。


視線を上げれば、軍艦の木製甲板の向こうに、果てしない藍色の水平線が広がっている。


遠く霞む先には、これから自分たちが内側から解体し、帝国の檻へと閉じ込めることになる『比帆諸島連邦』の島影が、まるで巨大な怪物の背びれのようにうっすらと浮かび上がっていた。



「少尉。この艦の甲板には大砲が固定されていますね。」


「中尉。砲艦を改修した“測量艦”です」


足元の甲板から、ゴトゴトと重苦しい振動が伝わってきた。それは波の揺れとは違う、何かが一定の規則で回転する規則正しい地鳴りだった。



「――不思議かね、街道少尉」


振り返ると、そこに立っていたのは、この艦の主である海軍艦型試験池のあの大佐だった。勲章の並ぶ胸を張り、べた付く海風を浴びながら、艦長は最新式回転砲の台座へと繋がる大径鉄鋼丸棒を指差した。



「手動でこの大砲を旋回させるには、頑健な水兵が十人は必要だ。だが、それでは食料も水も、余計な兵舎も食いつぶす。だから我が海軍は、甲板の下(船倉)に『強化型輓牛ばんぎゅう』を仕込んだ」



強化型輓牛――。陸でも砲兵大隊の高性能野戦砲を牽引する強靭な牛。


「大佐殿。牛、ですか……? 船の底に」


「そうだ。暗がりの中、巨大な円形歯車に繋がれた牛は、外の光も、砲声も知らぬまま、鞭の音だけに従ってただ円を描いて歩く。それだけで、上の大砲は自由自在に敵を狙えるのだ」


艦長は冷徹な笑みを浮かべ、水平線の彼方に霞む『比帆諸島連邦』の島影を睨みつけた。


海軍の正式な戦略として、この輓牛回転砲システムが本当に導入されているのか。


確かに力学的な理屈は分かる。蒸気機関を旋回動力に回すほどの高出力化や小型化がまだ未完成である以上、水兵の代わりに生物的な「動力(馬力ならぬ牛力)」を船倉に閉じ込めて減速歯車で回転力を稼ぐというのは、この世界の現行技術において極めて合理的だ。


俺もこれまで、この世界で再現可能な現代知識を無理やり“仕様”に落とし込んできた自負はあるが……まさか海軍が、ここまでの泥臭いインチキを平然と形にして実戦配備してくるとは、さすがに信じられなかった。



「測量艦」は、予定通り『帝国への編入』を望む島に寄港した。


港に広がるのは、連邦の他の島々とは明らかに異なる、どこか落ち着かない熱気だ。

舷梯げんていが下ろされ、大佐を先頭に帝国海軍の面々が島に上陸すると、そこには彼らを歓迎するために、親帝国派の有力者たちが待ち構えていた。


読んでくださり、ありがとうございました。

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