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覇権国家計画  作者: 納豆
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第73話:海の街道 その一


――帝都参謀本部、特別監察室。



磨き上げられた黒檀の机の上に、ぽつりと置かれた一通の封筒。その中央には、陸軍のそれとは明確に一線を画する、意匠の異なる海軍司令部の精緻な紋章が重々しく刻印されていた。



――嫌な、予感しかしない。


何故なら、その封筒を部屋に持ってきた張本人である中尉が、まるで長年欲しかったお気に入りの玩具をようやく手に入れた子供のように、その濁りのない両目をうっとりと細め、恍惚とした悦びに浸っているからだ。


中尉がこんな表情をしている時に、まともな案件が持ち込まれた試しがない。



「少尉。海軍の『海軍艦型試験池』を管轄する大佐が、今期行われる最新鋭艦型の技術実査の担当官として、直々にあなたを指名してきました。どうやら、あの大佐に随分と気に入られたようですね」


「……また、あの名ばかりの『技術実査』ですか」


俺は湧き上がる頭痛をこらえるように、額を手で押さえながら深くため息をついた。



海軍司令部が、陸軍のしがない少尉である俺をわざわざ名指しで呼び出す目的など、書類を見るまでもなく分かりきっていた。俺個人の工学的な知見や意見が聞きたいなどという、前向きな理由であるはずがない。


彼らにとって必要なのは、技術的な知見ではなく、「参謀本部直轄の特別監察官が、現場をその目で直接視察した」という、動かしようのない客観的な既成事実そのものなのだ。(第53話)



何か不測の事態や技術的な不具合が起きた際、陸軍の上層部から「海軍の最新知見が共有されていないのは、お前たちの悪質な秘密主義のせいだ」と、一方的にいわれのない責任転嫁をされるのを未然に防ぐ。


組織間の慢性的な相互不信を背景にした、これは一種の極めて冷徹で合理的な防衛策だった。



参謀本部直轄の特別監察官たる俺に、海軍の最高機密である艦型開発の現状をあえて直接視察させる。


それにより、後々に「海軍はすべての知見を事前に共有し、門戸を開いていた。にもかかわらず、見落とした、あるいは内容を理解していなかったのは陸軍(参謀本部)側の過失である」という、最強の裁判証拠が残るのだ。


これはのちに必ず発生するであろう軍部内の政治的な責任問題において、海軍側の正当性を担保するこれ以上ない強力な手札となる。



もっとも、それでも帝国軍という巨大な組織が破綻せずに回っているのだから、たぶん、これこそが彼らなりの歪んだ、しかし機能的な「情報共有」の形なのだろう。



「少尉。少々、深読みが過ぎるのではないですか」


思考を巡らせる俺の様子を観察していた中尉が、探るような視線を向けたまま言葉を繋いだ。


「今回の新型船は、いわゆる『外輪船』です。その構造や基本設計を知識として知っている、異世界人を招いての技術実査に過ぎませんよ」


――そんなことは無い。


海軍が、ただの『外輪船』程度で参謀本部直轄の監察官を呼び出すはずがない。


なぜなら海軍の奥底には、俺のような断片的な知識を切り売りする存在とは一線を画する、本物の『ガチの造船専門家』である異世界人が隠匿されているからだ。


俺がこれまで会ってきた先人異世界人たちは、偏った、しかし愛すべき知識を持った『趣味人』たちだった。


だが、海軍が試験池の底に秘匿しているのは違う。国家の勢力図を一夜にして塗り替えかねない、本物の技術を持った『国家機密の異世界人』だ。帝国の至宝であり、最優先で保護されるべき絶対的な隠し玉。(第23話)



かく言う俺自身、護衛として二個分隊の精鋭が昼夜を分かたず張り付き、移動の際には参謀本部の影そのものである中尉が常に同行するような身の上だ。

あの愛すべき『趣味人』たちに比べれば、帝国から『交換不可能な資産』としてそれなりに評価されている自負はある。



――二週間後。

海軍司令部。その最奥に位置する、海軍艦型試験池および付属特種兵器実験部。



かつて『帝都複合娯楽施設』(第58話)の落成式において、周辺諸国の使節団をも驚天動地させた、あの帝国最大の特大展示物――『蒸気ポンプ』。


一般公開から三年という月日が流れた今、それはもはや最新奇抜な超技術ではなく、帝国各地の主要な鉱山で排水用に平然と稼働する、ありふれた産業インフラの一部と化していた。



もっとも、あの時に民衆の前に披露された『蒸気ポンプ』は、情報漏洩を考慮した一般公開用の旧型品に過ぎない。


軍の直轄事業では、すでに熱効率を高めた高性能の次世代型が実戦配備されているが……まさか海軍が、その出力を利用した『外輪船』をこの短期間で実用化の域にまで漕ぎ着けていたとは、完全に想定外だった。



「少尉。海軍は『外輪船』を実用化させました」


「中尉。帝都と『道の駅(PA/SA)』を繋ぐ鉄路のレール幅(軌間)も帝国の『標準軌』に合わせて施工しています」



これほどの技術集積と進化の速度を目の当たりにすれば、あと数年以内に帝国の主要街道を鉄の蒸気機関車が疾走し始めるのは、もはや確定した未来と言っていい。


だが、案内された試験池の『外輪船』の実物を視界に収めた瞬間、俺は言葉を失い、凄まじい衝撃を受けた。


そこ鎮座していたのは、従来の常識である流線型の木造船ではなかった。巨大な外輪を側面に備えたその船体は、そのすべてが鈍い鈍色を放つ『鋼鉄』で覆われていたのだ。完全なる鉄甲船の雛形が、そこにあった。



「街道少尉、久しぶりだな。元気な姿を見られて嬉しいぞ」


振り返ると、海軍の濃紺の軍服を纏った壮年の大佐が、煙草を咥えたまま鉄船を見上げていた。


「お久しぶりです、大佐殿。直々にご指名いただき、こうして技術実査の機会をいただけたこと、本当に感謝しております」


(やはり俺を名指しで指名したのは、他でもない大佐だった。……そして、海軍における俺の通り名は、すでに『街道少尉』で定着してしまっているらしい)



試験池のさらに奥、鬱蒼とした敷地の境界からは、天を突くような巨大な煙突から絶え間なく吐き出される、禍々しい黒煙が立ち上っているのが見える。

海軍は、この秘密施設の内部に巨大な「製鉄所」と「造船所」を、文字通り隣り合わせで完全併設していたのだ。


なるほど、この二つの巨大インフラを同一敷地内に併設していれば、驚異的な製造効率が成立する。



「大佐殿。原料の精錬から進水までを一箇所で行うとは……。海軍のやり方は、実に合理的で効率的ですね」


――俺は敷地の奥から天を突くように立ち上がる黒煙を指さし、大佐の横顔を盗み見た。


「街道少尉。我が海軍が誇る『量産型鋼鉄外輪艦』の艦隊を維持するには、これでも最小限の設備なのだよ」



製鉄所の高炉から引き出された、真っ赤に焼けた熱いままの鋼鉄板を、冷ますことなくそのまま隣の造船所へと直接移動させる。そして、まだ金属が柔らかい高熱の状態のまま、超巨大な大型成形機へと放り込み、船体の湾曲した複雑な形状へと一発で塑性加工してしまうのだ。



一度冷え切った鋼鉄を再加熱する無駄な燃料も、加工にかかる膨大な時間も、これによって極限まで短縮される。近代工業の大量生産における『熱効率の極致』が、海軍の実験部で秘密裏に完成されていた。



「木より重い鉄で船を造るなど、正気の沙汰ではない。そう思うか、街道少尉」


「……大佐殿。一般的な造船術に照らせば、ただの鉄屑てつくずです。速度を出すなど論外でしょう」


「ああ。『普通の人間』が造れば、そうなるだろうな」



――通常、船体が重くなればそれだけ水中に深く沈み込む。結果、水から受ける凄まじい抵抗――摩擦抵抗が増大し、満足に速度など出せなくなる。


この世界の一般的な造船知識しか持たない者ならば、誰もがそう考えるに違いない。木よりも鉄が重いのは自明の理であり、鉄で船を造るなどという発想は、それだけで狂人の沙汰とされるのが常識だろう。


だが、異世界から持ち込まれた、物理法則という名の“現代的なインチキ”の視点に立てば、その常識は完全にひっくり返る。



俺たちは知っているのだ。船が水に浮かぶ本質的な理由は、材質の軽さなどではない。「船が水中で押し退けた水の総重量」が、「船体全体の総重量」と釣り合うからこそ生まれる浮力のシステムなのだということを。



「だが、街道少尉。実際には逆だ。鋼鉄は木材より遥かに強い。ゆえに船殻を極限まで薄くできる」


「はい。大佐殿。内部容積を稼げる……ということですね」


「そうだ、街道少尉。結果として“軽く、大きい船”になる」



――素材の圧倒的な強度ゆえに、外壁を極限まで薄くできる。


それが鋼鉄船の真価だった。中をがらんどうにすることで、容積あたりの重量は劇的に低下する。鉄でありながら、木造船より「遥かに軽く、浮力に富む船」を設計する。この世界の常識を置き去りにする、純然たる物理の計算だった。


「街道少尉。私見で構わん。この巨大な鉄の箱……お前の目にはどう映る?」


――大佐は、鈍色にびいろに鈍く光る船腹を拳で軽く叩いた。


「はっ、大佐殿。……一言で申し上げるなら、これは海に浮かぶ『動く鋼鉄の要塞』です」



――ある程度の重量を保った鋼鉄船というのは、軍事的な観点から見れば最強の利点を有している。


船体そのものが重ければ、艦載した巨大な大砲を一斉射撃した際、その凄まじい破壊力の反動を鉄の自重でそのまま相殺できる。反動によって船体が激しく揺れたり、最悪の場合に横転したりする不具合が端から存在しないのだ。



厚い装甲で敵の砲弾を弾き、自らの砲撃の反動を物ともせずに、一方的に火力を叩き込む。


それは海の上を滑る、文字通りの『動く鋼の要塞』に他ならなかった。


読んでくださり、ありがとうございました。

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