第64話:綿花戦争 その四
『白綿共和国』の南北境界線においては、小規模な武力衝突が連日のように発生していた。
現地へ進駐した帝国軍は、あくまで「地域治安維持」の名目で周辺の巡回を続けていたが、対峙する南北の武装集団――いわゆる民兵たちに対して、積極的な武装解除を命じることはいっさい無かった。
理由は極めて単純だ。
――山岳地帯の少数民族が今なお略奪目的の襲撃を繰り返している以上、現地住民が自衛の手段として護身用の武器を所持するのは当然の権利である。
『白綿共和国』南部帝国軍宿営地。
「少尉。武装集団に対して武装解除勧告は行わないのですか」
中尉は、定期巡回班からの報告書に目を落としたままだ。
「中尉。帝国は人道的に『平和維持活動(PKO)』を行うだけです」
定義上、『白綿共和国』では内戦には至っていない。
帝国の『平和維持活動(PKO)』は、中立厳守、武器使用は生命保護の最小限とし、人道的に食料、医薬品を届け難民を保護している。
帝国軍は、あくまで“非武装の民間人”を守るだけ。南北の武装集団同士の衝突には介入しない。制度としての中立性を保つための、極めて形式的な線引きだった。
――だが、その線引きが、『白綿共和国』の崩壊をさらに加速させていた。
一方で、『白綿共和国』の正規軍はすでに完全に南北へと分裂していた。南北の境界線に位置する防衛要衝の砦には、北部の正規軍主力が集結。
対する南側からは、増長した南部の武装民兵たちがその砦を完全に包囲していた。
北部の指導層は、自国の鉱山資源と工業基盤さえあれば、それだけで国家経済は十分に維持できると信じて疑わなかった。そして純粋な戦力差の比較なら、農業地帯の南部に負けるはずがないと考えていたのだ。
事実、工業地帯である北部は各種兵器や弾薬といった「兵站」を自前で製造・生産できるため、長期的な戦争継続能力においては南部を圧倒的に凌駕していた。
北部議会の出した計算式(結論)は、こうだ。
――帝国の甘い技術を国内に導入し、インフラを帝国に依存させれば、国家はその瞬間に死ぬ。
北部工業にとっての最大の顧客は、他ならぬ南部だった。その南部が帝国の経済規格へと完全に傾けば、北部の工業市場は根こそぎ崩壊する。
北部にとって、南部における帝国軍の駐留と人道回廊の建設は、まさに“経済的な死刑宣告”そのものに等しかったのだ。彼らはただ、自らの産業システムを守るために必死だった。
だが、対する南部議会もまた、別の計算式を頭の中で組み立てていた。彼らは、帝国軍が提供してくれるインフラが、単なる人道支援の食料(小麦)だけに留まらないことを完全に理解していた。
これまで生活のために北部から買わざるを得なかった日用品、工芸品、農機具。――これらは、帝国が本格的に南部へと進出し、その巨大なインフラ(仕様)を繋ぎさえすれば、北部というシステムが世界から消滅したとしても、帝国がすべて代替供給してくれると盲信したのだ。
南部にとって、帝国は“北部の代わり”を完璧に務め得る、神のごとき巨大な上位互換インフラだった。
「少尉。南部臨時議会は、北部を完全に切り捨てる気のようです」
書類を片付けながら、中尉がいつもの淡々とした声音で話しかけてくる。
「中尉。帝国は『平和維持活動(PKO)』を行っているだけです」
――帝国、北部、南部。誰も嘘はついていない。
南北境界線に位置する砦の包囲戦は、一週間以上にも及んだ。限界を迎えた北部は「砦の兵たちへ食料の補給だけを行う」と通達したが、被害妄想の極みに達していた南部民兵は、それを“物量増援の偽装”と勝手に判断。
ついに、砦に対する容赦のない一斉砲撃を開始した。
激しい砲撃は丸二日間にわたって続き、轟音の果てに、孤立無援となった砦の北部正規軍はついに白旗を掲げて投降した。
頑強だった砦の巨大な門が内側から開かれた瞬間、包囲していた南部民兵たちの地を揺るがすような歓声が上がった。
「北部の圧政は終わった!」
「帝国軍が俺たちの背後を見守っている。俺たちの正義は証明されたんだ!」
帝国軍は南北どちらの支援もしていない、非武装の民間人を山岳の少数民族から保護するため、周辺の巡回を続けていただけである。
――だが、その愚かな勝利の陶酔が長く続くことはなかった。
砦の陥落から僅か三日後。
報復として北部の武装民兵たちが、南部最大の生命線である巨大な商港を奇襲し、完全に破壊し尽くしたのだ。
広大な港湾倉庫は一瞬で激しい炎に包まれ、近代化の象徴だった巨大なクレーンが無残に崩れ落ち、何本もの桟橋が黒焦げの炭となって海へと沈んでいった。
財産をすべて失い、泣き叫ぶ南部商人たちの絶望の声は、空へと立ち上る容赦のない黒煙の中に消き消されていった。
南部にとって陸路は北部の検問所によって厳しく制限されている。あの商港こそが、彼らに残された唯一の、そして絶対の生存インフラだった。
その港が完全に消失したことで、南部にはもう、帝国軍が建設を進めている『人道回廊』という名の細い鉄の道しか残されていなかった。
――商港崩壊から五日後。
『白綿共和国』南部帝国軍宿営地。
「少尉。このままでは南部経済、民間人に被害が出ます」
「中尉。帝国は『平和維持活動(PKO)』を継続するだけです」
帝国は、自衛のためとして、『平和維持活動(PKO)』に伴う南部正規軍への武器提供を正式に決定した。
南部には残った港と数少ない生産工場、そして最大の綿花畑がある。
帝国は、南部の非軍事施設“守る価値のある資源地帯”を中立の立場から保護しただけである。
どちらが先に撃ったのかは、もはや誰にも分からない。
――こうして、歴史に刻まれる南北戦争――「白綿共和国内戦」が始まった。
山岳の少数民族は、相変わらずそんな国家の崩壊も内戦の推移も関係なく、ただ勝手に暴れ回っていた。
彼らにとっては、守るべき大義も国境線もどうでもよかった。「略奪できる場所」が世界に増えただけのことだった。
――その頃、遥か後方の帝都は、いつも通りに平穏で平和だった。
帝国道の駅(PA/SA)の掲示板には、今日も刷り上がったばかりの新しい版画新聞が一斉に貼り出されていた。
『南部商港、北部民兵の奇襲により壊滅』
『南部正規軍、帝国軍の迅速な人道支援を受け再編成へ』
『北部議会、帝国の“侵略回廊”建設を不当に非難』
『山岳少数民族の襲撃、今月だけで三十件を突破』
帝都の民衆は、その無機質な事実の並ぶ新聞を読みながら、口々に憤りや同情を漏らしていた。
「南部の罪なき子供たちが飢えているというのに、北部は何という野蛮な真似をしているんだ」
「我が国の帝国軍が守ってやらなければ、南部は今頃完全に滅びていただろうな」
「北部はいわれのない被害妄想で、帝国の崇高な人道支援を邪魔しているだけだ」
帝国軍の評判は、保護された南部で爆発的に上昇し、ここ帝都においても、弱者を救う絶対的な『英雄』として語られ始めていた。
帝国は侵略などしない。ただ『人道的』に平和を守っているだけである。
帝国軍は今日も、『平和維持活動(PKO)』の原則に従い、南部の街道で炊き出しを行い、飢えた難民を保護し、略奪を繰り返す山岳民族を効率的に排除し、商隊の安全を完璧に護衛していた。
そうして、南部は帝国軍を神のごとく頼り、北部は帝国軍を死神のごとく恐れ、少数民族は何も知らずに暴れ回り、一つの国家は確実に分裂の溝を深め続けていく。
帝国の“治安維持”が、“結果として”て『白綿共和国』の内戦の炎を最悪の形へ加速させているのもまた、厳然たる事実だった。
俺たちの頭上――帝都の空は、今日も恐ろしいほど穏やかに晴れ渡っていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




