第62話:綿花戦争 その二
帝都参謀本部、特別監察室。
帝国による人道的制度『平和維持活動(PKO)』。
その先駆けともいえる「南方綿商会護衛隊」が、大手民間商隊と共に『白綿共和国』へ出発して一か月。
『白綿共和国』の情勢報告が、朝から途切れなく届いていた。
北部工業地帯の関税強化、南部農業地帯の自由貿易要求、そして山岳地帯の少数民族による略奪。
三つ巴の混乱は、もはや「内政問題」という範囲を完全に逸脱していた。
中尉は、届いたばかりの報告書を淡々と捲りながら言った。
「少尉。『白綿共和国』の北部は、帝国との貿易を全面的に拒否しています。……南部の綿花輸出路が、完全に遮断されるのも時間の問題です」
俺は、机上に広げた地図に視線を落としたまま静かに答えた。
「中尉。北部は、帝国の“経済植民地化”を恐れているだけです」
北部の主張はどこまでも単純明快だ。
――工業を守れ。
――関税を上げろ。
――帝国を入れるな。
帝国の圧倒的な工業製品が流入すれば、発展途上である自国の産業が根こそぎ壊滅する。そう見抜いている彼らの危機感は、構造的には極めて正しい。
一方で、南部は真逆の理論で動いていた。彼らは綿花を帝国へ売り続けることだけで、国家の経済を回そうとしている。不確実な国内加工産業の育成よりも、目の前の通商貿易を最優先しているのだ。
そして、山岳の少数民族にいたっては、ただ己の欲望のままに略奪を繰り返しているに過ぎなかった。彼らにとっては、国家の針路が北部主導になろうが南部主導になろうが、どうでもよかった。
『白綿共和国』は、制度として完全に死んでいた。
「少尉。帝国の綿布価格ですが、先月比でさらに上昇を続けています。軍需物資としての需要だけでなく、民間の治療院用包帯の備蓄も危険水域まで減少中です」
「中尉。『白綿共和国』が完全禁輸を貫くなど、到底不可能です」
近年、『白綿共和国』は慢性的な不作が続いており、主食である小麦のほとんどを外部からの輸入に頼っている。そして、その最大の供給元(輸入先)こそが、他ならぬ帝国なのだ。
綿花の生産地も、食料の消費地も、その大半は南部に集中している。さらに南部には巨大な商港があるが、海路を使った貿易はあまりにも遠回りでコストがかかる上、いまだ海賊被害が付きまとう。
――つまり、彼らにとって最も近く、最も大量の物資を相互に輸出入できる唯一の最適ルートは、帝国へと続く陸路しかないのだ。
南部は綿花を輸出し、引き換えに帝国から命の綱である食料を輸入したい。その生存本能を、北部の政治的都合だけで抑え込めるはずがなかった。
だが、これは単なる食料供給だけの問題ではない。
南部はすでに、帝国向けに行っている綿花の輸出貿易によって、国庫を揺るがすほどの莫大な利益を弾き出していた。しかし、その利益は南部の巨大商会がすべて独占しており、北部の工業地帯にはただの一銭も還元されていなかったのだ。
だが、利益を独占する南部にも致命的な弱点があった。
彼らはあまりにも綿花と食料ばかりを作ってきたがゆえに、身に付ける衣服、生活を営む家具、畑を耕す農機具、果ては日常の贅沢品にいたるまで、あらゆる生活必需品を『北部から買うしかない』という構造的依存に陥っていた。
――北部の怒りも無理はない。
北部が関税の引き上げを主張するのは、単に自国の未熟な産業を守るためだけではない。帝国という巨大な怪物に依存しない、自立した経済発展を本気で目指しているからだ。
北部から見れば、南部は目先の綿花の利益ばかりに目を奪われ、国を丸ごと帝国の半経済的植民地に差し出そうとしている、国家の近代化を邪魔する「売国奴」に他ならないのだろう。
そこへ、近年の致命的な食糧問題が直撃した。
「少尉。つまり根本的な問題は食料ではないと?」
「中尉。問題は、国の仕様書がないことです」
「南部の綿花貿易のおかげで、この『白綿共和国』全体が豊かになっていた」というのは紛れもない事実だ。だが、その利益の分け前をどう配分するか、そして国家の運営主導権をどちらが握るかという泥臭い喧嘩が、今や限界を迎えようとしていた。
南部は「俺たちが外貨(金)を稼いで、帝国から食料を買ってやっているから飢えずに済んでいるんだ」と主張する。
北部は「俺たちが服や農機具を作ってやらなければ、お前たちは土を耕すことも服を着ることもできないくせに、金を独占するな」と主張する。
お互いがお互いを必要としながらも、自らの生存と特権のために相手の息の根を止めようと、システムが内側から自壊を始めている。
――それから、二ヶ月後。
「少尉。白綿共和国の南部臨時議会より、帝国へ正式な要請が届きました」
中尉は新たな書類を机へ置いた。
『帝国軍による南方交易路の保護、および食料輸送支援の即時要請』
そこに記されていたのは、合理的な嘆願の文字だった。
「……予想より早かったですね」
南部の領内では、すでに都市部の小麦価格が通常時の数倍へと異常暴騰していた。
輸出の術を失った綿花倉庫には、売り物にならない綿花が山積みのまま虚しく腐り始めている一方、人々の命を繋ぐべき食料倉庫の底は完全に見え始めている。
食糧不足の深刻化に伴い、各地の農民たちは生き残るために武装化し、一触即発の暴動の気配が領内を包んでいた。
北部は自らの利権と産業保護のため、陸路を物理的に完全封鎖。通行税という名目で南部の輸送量を限界まで制限し、彼らの経済の呼吸を止めていた。
さらに最悪なことに、山岳地帯に潜む少数民族が、その間隙を縫って輸送隊そのものを無差別に襲撃している。
「少尉。現在の南部は、帝国の供給(食料)無しでは飢え死にする状態です」
「中尉。だから自由貿易を求めているのでしょう」
帝国が輸出した小麦そのものが消えた訳ではない。
小麦は北部の倉庫へ届き、北部民の胃袋を満たし、あるいは備蓄として積み上がっている。ただ――南部へ流れるはずの輸送路だけが、政治的理由によって閉ざされていた。
報告では、北部民兵と南部側自警団が、すでに数度の発砲事件が発生している。
「自ら稼いだ資金で食料を調達しているにもかかわらず、北部の政治的思惑によって流通を阻まれ、子供たちが飢餓に瀕する」――この決定的な理不尽さは、南部の民衆に修復不可能なレベルの「北部への憎悪」を植え付けることになるだろう
「少尉。南部主導で国家を再編した方が、早いのでは?」
「中尉。帝国は他国の内政へ干渉しません」
翌日、緊急速報が届けられた。
帝国軍「南方綿商会護衛隊」交戦報告
――帝国兵、五名負傷。
――帝国商人、被害なし。
――所属不明の武装集団、死者二十七名、捕虜八名。
白綿共和国の山岳地帯にて、略奪目的の少数民族と交戦。状況から見て、「偶発的接触」であると思われる。
「少尉。どう思いますか」
俺は南部地方の地図に視線を落としたまま淡々と答えた。
「中尉。帝国は、常に人道的ですよ」
数日後。
帝国政府は正式に『南方平和維持活動(PKO)』の開始を発表した。
派遣兵力は二個連隊、およそ六千名。
西側戦線の沈静化によって生じた余剰戦力が、そのまま南方へ転用される形となった。
道の駅(PA/SA)の掲示板には、刷り上がったばかりの版画新聞が大々的な見出しを躍らせている。
『帝国軍、南方交易路の平和維持へ』
『帝国、白綿共和国の民間人保護を表明』
帝都では、その新聞を横目に、若い娘たちが綿服店の店先で新作の服を手に取りながら楽しげに笑い合っていた。
「南方綿布はやっぱり涼しいわね」
「今年は白い刺繍入りが流行りらしいわよ」
窓の外に視線を向ければ、今日も『帝都環大路馬車鉄道』が、何事も無かったかのようにレールの上を滑り、平和な帝都を静かに巡回し続けている。
読んでくださり、ありがとうございました。




