第61話:綿花戦争 その一
帝都参謀本部、特別監察室。
「少尉。予備兵志願者数ですが、依然として増加傾向です」
中尉は淡々と報告書を読み上げた。
「しかし、各地の兵站倉庫において、軍服の供給不足が問題化しています。特に綿布価格の高騰が深刻です」
俺は、特別監察室の窓から見える『臨時案内所』を見ながら答えた。
「中尉。帝国の民が豊かになった証拠です」
『帝都複合娯楽施設』。
開園以来、連日のように凄まじい賑わいを見せ、人手が途切れる気配は一瞬たりとも無かった。
敷地内には帝都市民のみならず、遠方の商人、旅人、そして近郊の街から押し寄せた物珍しげな観光客が足の踏み場もないほどに溢れかえっている。
中心街へと続く定期馬車の停留所には朝から長蛇の列が途切れず、周辺の宿場、食事処、土産物屋はどこも戦場のような大盛況だ。
そればかりか、普段は地味な日用品を扱う雑貨店にまで、人だかりによる混雑が波及していた。
中でも特に人気なのは、『帝都複合娯楽施設』の特別衣料街だ、南方産の綿布を扱う店の前に、若い女たちの列ができている。
従来の麻布や羊毛に比べ、綿布は圧倒的に扱いやすい。特に夏場の労働着としての需要は凄まじく、一部の工房では、すでに数か月先まで予約が埋まっているという報告すら上がっていた。
「軽い」
「蒸れない」
「洗っても乾きやすい」
――そんな口コミが、版画新聞や旅人たちの噂話を通じて帝都中へ広がっている。
その熱狂を支えているのが、軍が各所に設置した『臨時案内所』だった。
掲示板には、口コミ格付け(第24話)で上位に食い込んだ店舗広告が大々的に掲載されている。
もちろん無料ではない。
すべて掲載料を徴収した有料広告だ。個々の店舗から毟り取る額は日々の端た金に過ぎないが、これが帝都全域ともなれば、軍の懐へと転がり込んでくる貴重な、そして確実な「現金収入」の源泉となっていた。
帝都の店舗経営において、この「口コミ格付け」が持つ意味はもはや絶対的な信用そのものとなっていた。
これほどまでに評価制度が機能しているのは、軍がシステムの信頼性を担保するため、裏で定期的な監査と捜査を行っているからに他ならない。
無論、軍が評価の数値を恣意的に操作するような不正はいっさい行っていなかった。
物理的な評価のごまかし、仕込み客を使った詐欺、あるいは客への暴力といった通報があれば、軍警察が直ちに出動して厳格に対処する。ただそれだけの極めて公平な運営だ。
この世界では、酒場や食事処が不当な水増し請求をし、裏で粗悪品を平然と提供することなど日常茶飯事だった。
宿場町であっても、夜間に命からがらたどり着いた旅人の足元を見、通常の数倍に跳ね上がった超高額な宿泊料を要求する悪質な手口など珍しくもない。
しかし、現在の帝都においては、そうした不条理は完全に無いとは言い切れないまでも、ほぼ根絶されたと言ってよい状態にあった。
口コミ格付けによる徹底した信頼の可視化と保障、そして各地の道の駅(PA/SA)に設置された軍直営の宿場網。
これらが強固に機能している帝国、なかんずく帝都の版図においては、旅人を脅かす暴力的な危険も、身ぐるみを剥がされるような経済的な危険も完全に排除されていたのだ。
――この絶対的な安全と安心という名の付加価値こそが、現在の『帝都複合娯楽施設』の爆発的な賑わいを生み出す、最強の呼び水となっていた。
「中尉。綿花は贅沢品ではなく、工業化社会の血液です」
帝国において、綿製品はかつての高級品から大衆品へと、その姿を変えつつあった。
だが今、需要に対して供給が決定的に追いつかないという、深刻な事態に直面している。理由は明白である。輸入量の激減が、綿布価格の暴騰を招いているのだ。
その引き金を引いたのは、南方に位置する一大綿花原産国であった。通称『白綿共和国』――今やいつ内戦の火の手が上がってもおかしくない混迷の渦中にある。
一年中、南からの強い陽光が降り注ぐ温暖な地。かつて苛烈な王政を打倒し、輝かしい「共和国」へと生まれ変わったはずの国であった。
しかし現実は、議会の議席を巡って諸民族が泥沼の政争を繰り広げる、終わりなき混沌の最中にある。実質的に政府は機能を停止し、国全体が火薬庫と化していた。
中尉はただ、次はどうするのかを純粋に楽しみに聞いている。
「少尉。『白綿共和国』へ武力介入するのですか。理由がありませんよ」
「中尉。違います」
俺は書類から視線を上げず答えた。
「帝国は、人道的観点から、現地の治安維持を行うだけです」
帝国は、これまでも紛争地域における停戦の監視や治安維持、経済支援を通じて、紛争の再発防止と平和構築を支える活動をしてきた。(第44話)
帝国による人道的制度――『平和維持活動(PKO)』である。
――治安維持活動中に、「現地民の暴動」や現地の正規軍との誤認による「偶発的な戦闘」が発生する可能性はあるが、帝国軍と、その兵士は『英雄』なのだ。それが帝国民の認識だ。
二週間後。
新たな版画新聞が、各地の道の駅(PA/SA)の掲示板に一斉に張り出された。
そこには、複数の事実が箇条書きの記録のように無機質に並んでいた。
――綿服店の前にできる長蛇の列。
――工場労働者の夏服不足。
――南方綿布の不審な買い占め。
――南方綿商会における輸入量の急激な減少。
――そして、原材料の供給元である『白綿共和国』の国内の混乱。
渡りの絵師たちが活写したそれらの状況説明の真下には、軍からの公式声明が簡潔に添えられていた。
『帝国軍は商人たちの護衛任務を決定。帝国軍は南方陸路の安全を保障する』
版画新聞を食い入るように見つめる民衆の間からは、瞬く間に安堵の声が広がっていった。
「軍が動いてくれるならもう安心だ」
「これで夏服や綿服もすぐに値下がりするだろう」
「治療院の包帯が買い占められる心配も、これで無くなるな」
誰もが口々に軍への感謝を語り、その迅速な対応を称賛していた。
「少尉。渡りの絵師や語り部たちは、妙に詳しいですね」
「中尉。彼らは優秀なのでしょう」
俺は何もしていない。
ただ、軍の定期的な情報提供の窓口を、新たに各地の道の駅(PA/SA)に作り、遊詩人ギルドや絵師ギルドに属さなくても公平に情報を受け取れる用にしただけだ。
もちろん軍は、「現地の状況は各自で確認せよ」としか通達していない。
彼らは、自分たちの足で綿服店へ向かい、自分たちの目で行列を見たのだ。
目撃したのが、現在大反響の『帝都複合娯楽施設』の特別衣料街だとしても、何一つ嘘はない。
帝都の民衆は、今年の夏も安心して綿服が買えるのだと笑っていた。
――その安心を維持するため、帝国軍は南方へ進軍を開始した。
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