第60話:馬車鉄道
『休眠金鉱山再開発計画』に伴う建設工兵大隊の教導補佐という、あの中佐殿の視線に晒され続けた任務を無事に終えた俺は、帝都に戻るや否や、すぐさま次なる設計図(仕様書)の作成に取り掛かっていた。
――『帝都環大路馬車鉄道』計画。
窓の外では、石畳を砕く音が朝から絶え間なく響いていた。
軍属の土木部隊と徴用労働者たちが、帝都の大通りを封鎖し、巨大な鉄材を何本も荷馬車で運び込んでいる。
道路脇では、子供たちが「鉄の道だ」とはしゃぎ、商人たちは「次は自分の店の前まで路線を延ばせ」と役所へ陳情を飛ばしていた。
帝都の各城門から中心街へと市民を運ぶ従来の定期馬車とは別に、各門を内回りと外回りの複線で巡回させる巨大な軌道交通網。
市民の移動利便性の向上、軍事・物流機能の強化、そして帝都の近代化といった数値上の利点だけに留まらず、これを利用した者が、文字通り「帝国の圧倒的なシステム」をその身で理解するための、内政上の一大計画だ。
現在、帝都の各城門の停留所には、朝から長蛇の列ができている。行商人、工員、学生、軍属の家族。
以前なら徒歩で数時間を要した移動を、人々は今や「時間通りに到着するもの」として疑わなくなっている。
馬車鉄道の最大の仕様は、帝都市民だけでなく、他国から来た商人も旅行者も、全員が「無料」でこれを利用できるという点にある。
「少尉。馬車鉄道を無料にするのですか? 少尉の好物の軍の現金収入ですよ」
――中尉の評価は、酷い誤解があるようだ。俺に金貨を愛でる趣味は無い。
帝都の税は地方の領地に比べて額面そのものは高い。正確に言えば、税率自体は地方とさほど変わらず、場合によっては低く設定されている場合すらある。
しかし、帝都の民は他領地に比べて圧倒的に裕福なのだ。流通する富の分母が大きいからこそ、結果として莫大な税収が国庫へと転がり込んでくる。
そこで、この無料の馬車鉄道だ。運賃を無料にされた民たちは、「自分たちが納めた税金が、目に見える形で自分たちの生活を豊かにしてくれている」と、帝国のシステムを幸福感と共に再認識する。
そして、その路線の建設と日々の運営を担うのは、他ならぬ「帝国軍」だ。
各地の道の駅(PA/SA)には、軍服姿の若者たちの肖像画が何枚も掲げられている。
西部戦線で補給路を守り切った兵士、洪水で孤立した村を救助した工兵部隊。
子供たちはその絵の前で敬礼の真似をし、親たちは誇らしげにそれを見守っていた。
帝国において、軍や兵士は常に民衆の「英雄」である。
例え他国の民であっても人道主義の元に弱者を救い、帝国の民が一人でも不利益を被れば、他国へ軍を即座に派遣して「最低限の迅速な自衛活動」を完璧に遂行する。
――その実態がどうであれ、それが帝国内における揺るぎない共通認識として稼働している。
それだけではない、この馬車鉄道の敷設は、今後十年以内に必ず運用が始まるであろう『蒸気機関車』の、大規模な簡易走行試験を兼ねているのだ。
先日の金鉱山で実戦投入した分離凝縮器の技術基礎から逆算すれば、単にレールの上で蒸気機関車を「動かす」だけなら数年、事故が許容範囲で運用させる基盤を整えるまででも、せいぜい七、八年といったところだろう。
――もちろん、この帝都であっても土地の勾配は大きい。
鉄のレールを敷くための傾斜を無くす切土・盛土工事は、必然的に大規模なものとなる。
「少尉。予算は問題ありませんが、肝心の人手が足りませんよ」
「中尉。問題ありません。帝都には今、軍の予備兵になりたいと願う志願者が文字通り溢れ返っています」
志願者たちにとって、それは単に「食いっぱぐれのない安定した仕事」というだけの意味ではない。この帝国において、兵士とは民衆の憧れを一身に背負う『英雄』なのだ。
俺は嘘など、言ったことは無い。
ただ、帝都で定めた『報道の自由』の特権を盾に、前線へと解放した渡りの絵師や語り部たちが、自分たちの意志で、軍の凄烈な英雄活動という厳然たる「事実」をありのままに伝えているだけだ。
時に、その事実が原因で、市民たちから軍が激しく非難される場合もある。例えば、先の西側戦線(第56話)において、ある一つの事件が起きた。
退路を断たれた敵国『豊浦王国』の軍は、焦土作戦として自国の村々に火を放った。
その際、一人の帝国兵が「即時撤退」の軍令を明確に無視し、敵国の子供たちが取り残された教会へと、ただ一人で飛び込んで子供たちを救い出したのだ。
――帝国軍は、軍規に則り、命令を無視したその兵士に対して極めて厳しい厳罰を科した。
語り部や絵師たちによって、その「事実」は生々しい版画新聞となり、各地の道の駅(PA/SA)の掲示板に一斉に張り出された。
その日、帝都中央PAの掲示板前が、異様な人だかりになっていた。
焼け落ちる教会。炎の中から子供を抱えて飛び出す帝国兵。そして、その兵士へ下される「命令違反による厳罰」の文字。
版画新聞を見た女が泣き、老人が軍を罵倒し、若者たちは沈黙したまま志願窓口へ並び始める。
『人道を貫いた英雄が、なぜ罰されねばならないのか』
帝国民たちは、軍規という規則の絶対性を痛感すると同時に、子供たちを救った英雄の減刑を求める声を挙げ、無数の嘆願の署名が各地の道の駅へと文字通り殺到した。
帝国軍は、どれほど大量の署名が集まろうとも、最後まで軍規を曲げず処罰を撤回しなかった。当然、世論からは軍の冷徹さに対する激しい非難が巻き起こった。
――だが、その批判の嵐と完全に比例して、軍への熱狂的な志願者の数もまた、爆発的に膨れ上がることとなったのだ。
「規律のために英雄すら罰する、冷酷で強固な軍」
「その冷酷な軍のなかにあっても、命を賭して人道を貫く、気高き兵士たち」
民衆は軍を非難しながらも、その強烈な「正義の物語」に魅了され、自らもその英雄の列に加わろうと、我先にと予備兵の募集窓口へ列を作った。
窓の外では、今日も予備兵募集の列が伸び続けている。
版画新聞を胸に抱えた少年たちが、英雄の真似をして敬礼していた。
「少尉。その報道は、軍の公式記録と違いますね。進軍の軍命違反も、教会のボヤも別の時期で、地域も異なります」
俺は、中尉を見ることなく答えた。
「中尉。俺は機密保持の観点から、公開可能な情報のみを開示しただけです」
「……少尉。語り部や絵師たちは、何故“同じ事件”だと思ったのでしょうか」
「中尉。俺は、救出された子供、教会の火災、焦土作戦、兵士の軍命違反。を日を置いて順に伝えただけです」
俺はただ、報道の規制を解除し、軍は処分を仕様通りに執行しただけだ。
そして、公開可能な情報を選択して伝えた。それをどう解釈し、筋書きとするかは、渡りの絵師や語り部たちであり、最終的には版画新聞を見た帝国市民たちだ。
事実は、版画新聞となって帝都中を巡回し、人々の感情を乗せながら、今日も鉄の道を走り続けている。
帝都の大通りでは、今日も馬車鉄道が規則正しく走り続けている。
その横で、版画新聞を抱えた市民たちが、英雄の物語を語り合っていた。
俺は何もしていない。ただ、仕様書を渡し、公開可能な情報を順に伝えただけだ。
だが、鉄のレールと同じように、物語もまた帝都を巡回し、人々の感情を乗せながら勝手に走り続けている。
制度は、誰の意図とも関係なく動き続ける。
今日も帝都は、静かに、そして確実に“帝国の仕様”へと形を変えていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




