第58話:帝都複合娯楽施設
――『帝都複合娯楽施設』。
構想の計画が始まったのは、今から約八年前(第22話)のことだ。五年前の着工を経て、ついにこの巨大施設の正式な開園が決まった。
一般開業日までまだ二週間もあるというのに、すでに帝都周辺の宿場町は、この『複合娯楽施設』を目当てに押し寄せた各地の人々で完全に飽和している。
前売り入場券にいたっては、実に三年(第32話)も前から販売を開始していた。十年前のこの過酷な世界であれば、生存に直結しない「娯楽」という実益のない概念に金貨を投じる者など、ごく少数の物好きだけだったろう。
だが、今の帝国は違う。
帝国は周辺諸国に対し、莫大なODA(政府開発援助)を投じてインフラを丸抱えし、帝国なしでは国が成り立たない強固な複合的相互依存関係を築いてきた。
他国の経済活動をも帝国の規格で動かすこの巨大な仕組みにより、帝国国内の産業は他国へ輸出できるほどの食料と仕事にあふれ返っている。
帝国民は名実ともに豊かになったのだ。そして豊かになった民は今、腹ではなく「娯楽」に飢えていた。
帝都南門から『帝都複合娯楽施設』へ続く道には、屋台が乱立し定期馬車の大渋滞が発生している。
地方訛りの観光客があふれ、帝国軍警察は交通整理に大忙しだ。
特別監察室の机で、俺は各地の道の駅(PA/SA)から上がってくる定期馬車の利用者数推移、前売り券の消化率、それらに伴う帝都の経済波及効果の情報を精査していた。
導き出されるのは、この施設が軍にもたらすであろう、これからの運営を支える莫大な「現金収入」の試算だ。
窓外の喧騒を映すように、静止画のような冷ややかな充足感で目を細めた中尉が、書類を捲る俺に語りかけてきた。
「少尉。ずいぶんと悪趣味な笑みを浮かべておられますね。……『豊浦王国』に、さらに何か仕掛けるつもりなのですか」
――俺としては至って冷静に情報分析していたつもりだったが、どうやら無意識に口元が歪んでいたらしい。
「中尉。『豊浦王国』で、俺がすべきことはすべて終わりました」
『豊浦王国』。
帝国と『霧宮王国』の間で戦地とされ、巨大な舞台装置として消費された国。
謎の死を迎えた先代の王に代わり、その弟の息子――地方貴族と帝国が後援する新たな王が即位した。そして正式な「終戦」を迎えたのだ。
「停戦」という保留ではない。紛れもない「終戦」だ。あの地における戦争は、完全に終わったのだ。
今後は、ODA(政府開発援助)の投入による復興に加え、帝国軍と『豊浦王国』軍の「共同治安維持活動」――すなわち帝国軍による平和維持活動(PKO)の名の下、王国内の反乱分子は、文字通り全て消し去られることになるだろう。
書類を凝視する冷静な俺を見て、中尉は悪趣味な笑みを浮かべていると言ったが、その実、俺の内心はこれまでにない期待に溢れ返っていた。
なぜなら、この『帝都複合娯楽施設』には、周辺諸国をも驚天動地させるであろう、最大の特大展示物が据えられているからだ。
――『蒸気ポンプ』。
帝国の技術の結晶。俺がこの世界にやって来る十年も前から開発(第9話)が始まっており、実に二十年以上という歳月をかけてようやく実用化に漕ぎ着けた超兵器だ。
かつて「鉄道に詳しい異世界人」という触れ込みで新兵器開発部門に抜擢された男がいた。彼は俺がこの世界に来る十年も前から、この蒸気機関の開発に関わり続けてきたのだ。
しかし、その実態は単なる時刻表を愛でるだけの「電車オタク」に過ぎず、設計や開発そのものの現場では、これといって目立った活躍はできていなかった。
だが、彼の名誉のために付け加えるなら、彼がこの世界にもたらした「真空でピストンを動かす」という基本概念そのものは、まさしく“現代的なインチキ”であり、数百年先にある技術の正解だった。
本来であれば、この世界の天才たちが気の遠くなるような年月と思索を重ね、数百年かけてようやく辿り着くはずの真理。それを、彼はただの「知識」としてショートカットさせて見せたのだ。
だが、それを「形」にするための産業基盤が、当時の帝国には圧倒的に足りていなかった。
にもかかわらず――帝国の新兵器開発部門は、その失われた欠けた環を埋め、僅か二十年という驚異的な速度で実用化まで昇華させてみせたのだ。
なお、その電車オタクの彼は現在、要職である「帝都公共交通馬車運行ダイヤ」の最高責任者の座に就いている。
過去に彼から、全PAの時刻を完全に同期させるため、中継地点ごとに大砲を配置して「音速を逆算した時報の砲撃リレーを行う」という、極めて物騒で膨大な予算を捨てるような狂気的なインフラ図面を提案されたことがある。
その時は俺が速やかに却下したが、それでも彼がもたらした概念がなければ、現在の正確な定期馬車運行システムなど不可能だったと言っても過言ではない。
そして今なお、彼以上に効率的な「乗換案内」を組める人間は、この広い帝国のどこを探しても存在しないのだ。
二週間後。ついに『複合娯楽施設』の一般開業日を迎えた。
開門を待つあふれんばかりの人々は、遥か南門の外にまで及ぶ気の遠くなるような大行列を作っている。
行列の周囲には移動式の簡易屋台がひしめき、小遣い稼ぎの駄賃を目当てにした子供たちが、串焼きやお茶の配達に慌ただしく走り回っていた。
――そして、例の『蒸気ポンプ』が展示された特設会場は、立錐の余地もないほどの大盛況を見せていた。
「少尉。この『蒸気ポンプ』ですが……周辺諸国は、一体どう評価するでしょうか」
轟音を立てて動く鋼鉄の巨体を眺めながら、隣に立つ中尉が、そのおもちゃの正しい用途を測りかねるようにいつもの無表情で聞いてくる。
「中尉。大半の国は『極めて石炭を消費する、熱効率の悪いじゃじゃ馬な機械』と切り捨てるでしょうね」
それが、この世界の普通の技術者たちが導き出す、至極まっとうな常識だ。
鉱山や炭鉱の「排水」という、ごく限定された特定の用途においてこそ高く評価されるだろうが、如何せん燃費が悪すぎる。
掘り出した石炭の少なからぬ割合を、自分自身の稼働燃料として貪り食ってしまう悪循環。
普通の指導者たちの目には、「扱いが難しく、維持費ばかりがかかる大食いの欠陥品」としか映らないはずだ。
一方で、帝国の圧倒的な工業力そのものに憧れ、あるいは脅威を抱き、この粗削りな機械の技術導入や模倣に、形から奔走する国もいくつか現れるだろう。
「……少尉。この展示機、ずいぶん旧式ですね。帝国軍工廠製ではありません」
鋭い観察眼で機械の刻印を見抜いた中尉の指摘に、俺は一瞬だけ沈黙し、すぐに淡々とした声を返した。
「中尉。周辺国を驚かせ、模倣させるだけなら――これで十分です」
重要なのは、そんな有象無象の評価ではない。
『霧宮王国』のように、政治や軍事の枢密に異世界人が深く関わっている、あの国家の評価だ。
彼ら(現代人)だけが、この旧式機の展示が持つ、真の恐ろしさを正しく理解する。
帝国がただの『雑学』を披露しているのではない。骨董品クラスの旧式ですら、こうして一般の娯楽施設に展示できるほど、工業的な量産と実用化の「産業基盤」の構築を完全に完了させているのだと。
――「もう、逆立ちしても帝国には追いつけない」
蒸気ポンプという名の、産業革命の産声を前にして、彼らは自分たちの敗北を悟り、冷たい絶望を噛み締めることになるのだ。
もっとも――『霧宮王国』の場合は、既にそれを予見し帝国の覇権を止めるため、動いている。
第三国を使った代理戦争。
帝国の国力を削り、覇権国家の成立を少しでも先延ばしにするための戦争。
――『霧宮王国』は、戦争そのものを“均衡装置”として利用している。
――轟音を響かせる蒸気ポンプの前で、帝国の子供たちは無邪気にはしゃいでいた。
帝国は、ただ単に戦争に勝ち始めたのではない。
世界そのものを、自らの規格(仕様)へと作り替え始めていたのだ。
そしてこの『蒸気機関』は、もはや未来の超兵器ですらない。
誰もがその轟音に驚きつつも、こうして一般の民衆へ見世物として公開できる程度には、帝国の内側で、確実な“日常”になり始めていた。
読んでくださり、ありがとうございました。




