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覇権国家計画  作者: 納豆
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第57話:西側戦線 その六


帝都参謀本部、特別監察室。



雲一つなく良く晴れたある日、俺は特別監察室の窓から、眼下の広場を見下ろしていた。



そこでは軍が主催する、あの『高純度ブドウ糖』を使用した菓子の無料試食会が行われているようだった。


甘い匂いに誘われるように、屋台の周囲には帝都の子供たちが大勢集まっている。

菓子を奪い合う、子供たちの笑い声が聞こえる。


子供は、自分が面白いと思ったものを、驚くほどの速度で周囲に広める。しかも、悪気なく。

軍の広報活動は、一定の成果を上げるだろう。



――『豊浦王国とようらおうこく』の難民キャンプでも、そしてここ帝都でも、システムが提供する「生存と豊かさ」に子供たちが群がる光景は何も変わらない。



西側戦線からの緊急速報を受け取り、素早く黙読した中尉が、いつもの事務的な口調で俺に告げた。



「少尉。海軍司令部が主導する、『豊浦王国』西商港への上陸作戦が開始されました」


「中尉。……思ったよりも、速かったですね」



俺が西側戦線の現地監察を終え、帝都へと戻ってから三ヶ月が経過した頃のことだった。

ついに、海軍の描いたあの「不具合のない設計図」が実行に移され、西側の海が動き出したのだ。


二週間前、豊浦王国最大の穀倉地帯を領する有力貴族が、帝国へ帰順したという一報が入った。それに呼応するかのように、数日前から『霧宮王国むきゅうおうこく』の海軍が自国海域へと撤退を始める予兆が、はっきりと観測されていた。



もちろん、彼らの戦力が完全に消え去ったわけではない。霧宮の海軍戦力は依然として脅威だ。

だが、もし全面衝突に至ったとしても、帝国の勝利が揺らぐことはない。



「少尉。霧宮王国の異世界人は、無能ではない。あなたの監察報告と参謀本部の初期分析は一致しています」


俺は、壁の地図を見ながら答えた。


「中尉。彼らは合理的な判断をしているだけです」



単純にして絶対的な、兵器性能の差。



そこにあるのは、戦場を風のように駆け抜ける名馬でもなければ、槍一本で魔物を仕留める一騎当千の英雄でもない。


圧倒的な物量を誇る暴力の結晶――『大砲』だ。


それは、陸であっても海であっても変わらない。

陸ならば土嚢の壁や塹壕を築くことで、野戦砲の射程差をある程度までは誤魔化し、防衛に徹することも可能だろう。


だが、遮蔽物のいっさい存在しない平らな海の上では、その射程差はそのまま「生と死の絶対的な境界線」となる


霧宮王国の背後にいる異世界人なら、帝国海軍の砲艦をその目で見た瞬間にすべてを理解するはずだ。



彼らが最初に見るのは、砲艦に据えられた「砲身の長さ」だ。それだけで、現代の知識を持つ人間なら「自分たちよりも遥か遠くから、正確に先制攻撃を加えてくる」という仕様を即座に見抜く。


故に、『豊浦王国とようらおうこく』から手を引くという選択肢(逃げ道)が用意されているのであれば、彼らは合理的な計算の元に、迷わず撤退というカードを選択するのだ。



相手が現代知識を持つ異世界人だからこそ、この『数字』は完璧な抑止力として機能する。しかし――。



「中尉。異世界人が政治・軍事に深く関わっている国家にしか帝国の力を正確に判断できません」



逆に言えば、近代化に乗り遅れ、いまだ名誉や伝統、あるいは目先の保身と利益ばかりを優先している、この世界の旧弊な王族や支配層たちには、この高度な抑止力(計算式)は通用しない。


それは、決して彼らが無能だからではない。ただ、時代が変わったのだ。

今までの世界では、それが最も正しい判断だった。

……帝国や異世界人が、その“正しさ”を書き換えただけだ。



そんな彼らに帝国は、砲を背にして握手という選択肢を提示するのだ。

早ければ、数か月で、強制的に『豊浦王国』の王は、帝国と握手をするだろう。



――そう、確信していた。



だが、それから一ヶ月も経たないうちに、俺の予測の範疇を完全に超えた、致命的な“事件”が発生した。


『豊浦王国』の王宮最終防衛の要。王族派の最大派閥である「王宮聖騎士団」を率いる貴族と、その分家のほとんどが、豊浦の最大戦力である「王宮聖騎士団」を丸ごと引き連れて、あろうことか『霧宮王国』へ電撃的に亡命したのだ。



最初は耳を疑った。

これは、地方貴族たちが目先の損得に迫られて、単純に帝国へ下ったのとは全く性質が異なる。



王宮聖騎士団は、単なる近衛兵ではない。『豊浦王国』における、貴族社会そのものの象徴だ。



「少尉。初めて間違いましたね。」


中尉は、新しい壊れ方を見せた玩具を見るかのように、ただ鋭い目で俺を見つめている。


「中尉。俺は正解を求めたことはありません」



豊浦王国は、武力、名誉、血統、正統性のすべてを奪われていた。――霧宮王国は何年も前から、もしかしたら数十年という歳月をかけて、豊浦王国への協力を隠れ蓑にしながら、自国の強化(吸い上げ)を周到に図っていたということになる。



帝国の前線を膠着させてこちらの国力を徐々に低下させつつ、豊浦の精鋭を自国に取り込んで国力を同時に増加させる。


『霧宮王国』の海軍が、こちらの想像よりも遥かに早く自国海域へと撤退を始めた本当の理由。それは、投資に見合わなくなったからではない。


裏で同時に進めていた「自国の完全な強化」が、この瞬間にすべて完了したからだったのだ。『豊浦王国』という国家は、最後まで「戦場」ですらなかった。


帝国と『霧宮王国』の舞台装置。それこそが『豊浦王国』だった。



――二日後。

特別監察室に、帝国情報部からの最新の緊急速報が届けられた。


そこには、西商港近郊および王都の生々しい惨状が冷酷な文字でまとめられていた。王宮聖騎士団の主力が、夜陰に乗じて霧宮王国へと亡命を果たした直後、王都は手の付けられない大混乱に陥ったという。



残された下級騎士や兵卒の多くは、瞬時に指揮系統を喪失。その半数以上が武器を捨てて脱走した。

中央の抑止力が完全に消滅したことで、王族派の貴族邸宅は次々と焼き討ちに遭い、街路には略奪の炎と暴動の黒煙が立ち上っている。


正規軍は完全に分裂していた。

一部は帝国への無条件投降を決め、もう一部は霧宮へ逃げた亡命組を「裏切り者」として追撃しようと、身内同士での凄惨な同士討ちを始めている。



報告書に添付された現地からの簡易絵図には、赤黒く燃え盛る貴族街の遠景と、なけなしの荷車を引いて逃げ惑う哀れな民衆の姿が、乱れた筆致で描かれていた。


王宮の白い壁は煤煙に包まれ、かつて「王国最強」と謳われた聖騎士団の誇り高き旗は、泥にまみれて路傍に捨て置かれていた。


――この情報はすでに『八日前』の出来事だ。

現在の西商港は、帝国海軍司令部の当初の作戦(仕様)通りに完全制圧され、港湾一帯は鉄の秩序の元に封鎖されている。



「少尉。これ以上の戦闘継続は不可能でしょう。停戦合意という形で幕を閉じます」


俺は、炎に包まれた王都の絵図を数秒見つめてから、静かに答えた。


「中尉。『豊浦王国』の王が死ねば、内戦になり復興支援の予算が増えます」



『豊浦王国』の王が民衆の手で引き摺り下ろされるか、あるいは同士討ちで死ねば、この国は確実に本格的な内戦へと突入する。そうなれば、戦後に帝国がばら撒く『復興支援の予算枠』は跳ね上がる。



『霧宮王国』の異世界人が、豊浦王国というシステムが限界を迎えるその瞬間まで兵器を支援し続け、帝国の兵站を徐々に削り取った。


そして、いよいよ維持が不可能になった頃合いで、王宮聖騎士団の亡命という「国家崩壊(最大の地雷)」を信管ごと仕掛けて撤退していったのだ。



直接戦えば、帝国には逆立ちしても勝てない。だからこそ、他国を便利な道具として使い潰し、泥沼の戦争を継続させることで、帝国を止める。

そして、世界の安全を維持する。


実に見事な、仕様書の書き換えだ。



「……『霧宮王国』の異世界人とは、趣味が合いそうだ」



だが――参謀本部は、すでに次の統治計画へ移行しているだろう。

帝国の参謀本部が持つ「暴力」という名の圧倒的な合理性。それは洗練された設計図だ。多少の不具合など、より合理的な仕様に上書きされるだけだろう。



王が死んだのなら、別の王をそこに用意すればいいだけのこと。



――数日中にもたらされる次の報告書は、おそらく『豊浦王国との停戦合意』、そして、帝国と豊浦王国の合同軍による『国内反乱軍の冷徹な討伐』の開始だ。



参謀本部にとって重要なのは、『誰が王になるか』ではない。次の署名欄に、誰の名前を書かせるかだ。



読んでくださり、ありがとうございました。

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