第56話:西側戦線 その五
『霧宮王国』の異世界人は、『“俺の”覇権国家計画』に邪魔だな。
「少尉。敵国の異世界人が引き起こしたこれら一連の事件、どのように解決しますか」
指令所の机で問う中尉に、俺は書類を戻しながら淡々と告げた。
「中尉。何もしません。技術的な対策はいっさい不要です」
『霧宮王国』の異世界人は、有能ではないが無能でもない。
たとえば、こちらが新肥料に青い色を付け、「青くない肥料はすべて偽物だ」と触れ回ったところで、敵はすぐに偽の青い肥料を出回らせるだけだ。
いたちごっこに資源を割くのは非効率極まりない。
武器を持たない難民に「仕事」として破壊工作をさせる――手法としては、確かにもっとも費用対効果が高い。
――ならば、こちらも同じように「難民」を使えばいいだけの話だ。
知識として『知らない』だけの難民たちが行動したのは、ただ自分たちの生活のためだ。
そして、実際に帝国が彼らの生活を豊かにしているからこそ、彼らは「帝国の新技術」という敵の偽情報をあっさりと信じ込んだ。
であるなら、帝国側から「新たな事実」を難民たちの脳内に上書きしてやればいい。
『豊浦王国』の指導者が、自らの富を独占するために汚い嘘をついていること。君たちは彼らに騙された、哀れな被害者であること。
そして帝国は人道的観点から、そんな弱者を救うためにわざわざ軍を動かしたこと。――帝国兵が語ること以外は、すべて民を騙す偽の情報だ。
――俺は、一言も嘘は言っていない。
ここで言う「指導者」が、彼らにとっての自国の王を指すのだと、難民たちが勝手に判断しただけだ。
「少尉。飢える人々に『服従か、さもなくば死か』を突きつける、と?」
中尉が鋭い視線を向けてくる。俺はそれに、冷ややかな微笑だけで返した。
「……中尉。俺はただ、帝国の至高たる人道主義を厳守しただけです」
占領地域のインフラを保護するため、これまで立ち入りを厳しく制限していた「帝国の渡りの絵師や語り部たち」。
彼らに対し、帝都で定めた『報道の自由』(第33話)の特権を盾に、特別許可証を発行してこの前線戦区へと解放する。
帝国において、彼らは民たちに世界の真実を届ける「英雄」だ。少なくとも本人たちは、自分たちの正義を一片の疑いもなく信じ切っている。
悪意のない正義の味方は、誰よりも速く、情熱的に、「真実」を世界へ伝染させてくれるものはない。
――二週間後。
各地の道の駅(PA/SA)の掲示板には、新しく刷られた版画新聞が次々と並び始めていた
そこに描かれているのは、配給の列へと静かに並ぶ難民の姿。敵国の子供へ、優しく白い糖錠を手渡す帝国兵の横顔。
そして、泥に汚れた教会の中で、帝国の医官が跪き、難民の足を丁寧に洗っている光景――。
版画の隅には、簡潔な見出しが添えられていた。
『帝国軍、敵国民への人道支援を継続』
『豊浦王国東部にて、疫病の流行を未然に防止』
語り部たちは、ただ自分たちの目で見た「真実」を熱っぽく語っているだけだ。――俺は彼らに、何一つ命令などしていない
そして、その「真実」という名の劇薬は、国境をまたぐ商人たちの口を伝い、瞬く間に『豊浦王国』の内部へと侵入していった。
効果は劇的だった。すでに豊浦の地方貴族と、その私兵たる騎士団の一部が、水面下で帝国への協力を開始したのだ。
地方貴族の本質は、現代の自治体代表ではなく「独立小国の支配者」だ。
この世界の地方貴族の本質とは、現代の自治体代表のような甘いものではない。彼らは「独立小国の支配者」そのものだ。
領地の中では己自身が法律であり、たとえ国王や中央の役人であっても口出しをさせない絶対的な特権(不入権)を持っている。
領地も領民もすべては領主個人の資産であり、彼らは領民から吸い上げた税で、自分たちだけの軍隊を養っている。
だからこそ、彼らの損益計算は早い。
国王の無能な政策で領民が次々と難民化し、己の領国が自滅の道をたどるなど目に見えている。ならば、伝統や忠誠などという実のないものは捨て、実利を取るまで。
彼らは領地崩壊という最悪の倒産(運命)を回避するため、「帝国への帰順」という最も利益に適ったカードを切ったのだ。
自国の王を裏切り、帝国の軍門に下った彼らは、もう二度と立ち止まることはできない。
『暴走する王を止め、民を救う』
彼らが掲げたその大義名分は、いまや己の生存と財産をかけた、絶対に負けられない防衛戦へと変貌していた。
もちろん、帝国軍事務職の少尉に過ぎない俺が、敵国の貴族たちと直接政治交渉を行うことなど不可能だ。それは帝国のどれほど有能な政治家であっても同じことだろう。
だが――商人ならば、容易に彼らと面会ができる。
帝国は現在、豊浦王国に対して厳格な輸出規制を敷いている。帝国の商人が彼らと直接取引をすることなど許されない。
だが、第三国を経由して水面下で流出していく、帝国産の「高級食材」や「最新の魔導具」の密輸を、完全に防ぎきることなど不可能なのだ。
どれほど強固な規制を組もうと、経済には必ず抜け穴が生まれる
商人たちは、自分たちに莫大な利益をもたらしてくれる上得意の顧客たちに対し、世間話のついでに、彼らなりの「真実」を伝える。
――帝国占領地は豊かで、誰も死なない。
――国王の暴走のせいで、あなた方の領地はいずれ干上がる。
「少尉。帝国へ帰順した貴族の娘は、開戦前、帝都へ留学していたそうですね」
「……中尉。俺は、公開可能な情報を商人へ伝えただけです」
俺は、商人たちに対して何一つ命令も強制もしていない。ただ、彼らの利益を求める本能に対して、選択肢を置いただけだ。
その結果、商人たちが「真実」をどう解釈し、それを聞いた貴族たちがどう動くかなど――俺の責任ではない。
あと数か月もすれば、、豊浦王国の西商港周辺は、回復不能な段階になり致命的な経済損失を被るだろう。
それと同時に、中央の王と公然と敵対する地方貴族の数も、指数関数的に増えていくはずだ。
『豊浦王国』に兵器を供与し、帝国に対する「代理戦争」を行わせている霧宮王国の異世界人たち。
彼らにとって、この地での戦争は『覇権国家計画』の進捗を遅らせるためのただの手段(過程)に過ぎない。
ゆえに、彼らは極めて合理的だ。このまま豊浦の利権が内部から腐り落ち、自らの投資(兵器と顧問の維持費)に見合わなくなれば、何のためらいもなく『損切り』を選択する。
彼らはこれ以上の消耗を嫌い、豊浦王国を見捨てて盤面から手を引く。
『霧宮王国』の海軍が、西側戦線周辺の海域から自国へと去る時――。それこそが、海軍司令部が手ぐすね引いて待っている、西商港への『上陸作戦開始』の前兆だ。
「少尉。あなたは海軍司令部の『覇権国家計画』を手伝っていますね」
俺は、変わらない。
「中尉。俺は、俺の快適で安全な隠居生活のためにやっているだけですよ」
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