第54話:西側戦線 その三
――『海軍司令部は、すでに次の上陸作戦まで見据えて動いている』
「少尉。では、海軍司令部は、次に何をすると思いますか」
中尉の問いが、頭の中で反復していた。
普通の軍人なら、海軍の上陸作戦計画を「血気に逸った、やりすぎの暴挙」と断ずるだろう。ただでさえ西側海域が燻っているというのに、これ以上戦地を増やしてどうするのか、と。
だが、壁の地図を見つめる俺の脳裏には、別の計算式が浮かんでいた。
――なるほど、一理ある。
異世界人たちがもたらした、将来に必ず起こるという「世界大戦」の予言。
そして『覇権国家計画』の最終目的。世界大戦抑止。
百年以上前から皇帝が異世界人と関わりを持ち、将来の世界大戦抑止という大義を掲げ、現在も軍主導で継続されている『覇権国家計画』。
帝国を侵略不可能な大国にし、食料と技術を輸出し、各国を複合的な相互依存にする。
国家が、戦争にかかる費用を物理的に支払えない世界を作り、そして戦争を抑止する。
国家単位で、百年先の物流と戦費を計算している。
……正直、まともな発想ではない。
だが、『覇権国家計画』は、その狂気を百年以上維持している。
「少尉。海軍司令部の目的は?」
俺は、地図を見つめたまま答えた。
「中尉。『覇権国家計画』です」
上陸作戦は一時的な大出血を伴う。戦力差を見れば勝利は確実だが、破壊した『豊浦王国』の西商港を建て直すための「復興費用」は莫大なものになるだろう。
だが、その復興費用こそが、豊浦を縛る最も強固な『楔』になる。
帝国の資金で、帝国の規格を用いて、帝国の技術で港湾インフラを復興させる。そうなれば、豊浦王国は「帝国の部品がなければ、明日からクレーン一基すら動かせない国」へと生まれ変わるのだ。
さらに、西海周辺諸国の国際拠点港湾となれば、帝国規格が世界へと広がる。
俺がいた世界でも、国際拠点港湾と軍港が同じ場所に同居している例など、いくらでもあった。
参謀本部(陸軍)に所属する俺がこれまで陸で重ねてきた仕様と同じように、海軍司令部――いや、「海軍側の異世界人」は、この海に、世界には存在しない「経済と軍事が不可分となった巨大システム」を構築しようとしているのだ。
「少尉。海軍司令部には、もうひとつ目的があります」
静かに悦びを噛みしめるような表情を浮かべる中尉を、俺は冷ややかに見つめ返した。
「……縦割り組織の、縄張り争い」
国家としての最終目標は完全に共有していても、「組織の実績」や「次年度の予算確保」のためとなれば、協力や情報共有の速度は途端に死に体になる。
参謀本部は、『霧宮王国』の海上輸送を締め上げるために、海軍司令部へ「海賊退治」を体よく押し付けた。
対する海軍司令部は、その海賊退治の延長線上で、上陸試作艇の『技術実査』に「参謀本部直轄の特別監察官」である俺を強制同席させた。
――「俺たちはここまでやるぞ。予算と利権を奪われたくなければ、陸軍も相応の手札を切れ」
……結局。
互いに情報を抱え込み、土壇場で決定事項だけを叩きつけ合う。
それでも帝国軍が回っているのだから、たぶん、これが彼らなりの「情報共有」なのだろう。
合理的とは、到底思えないが……、それが仕様書どおりに稼働しているなら、何も問題はない。
だが、それだけの絵図を描いているのなら、海軍には一つ、絶対に欠かせない『手札』があるはずだ。
――『豊浦王国』の西商港へ、合法的に上陸するための絶対的な大義名分。
いくら戦争中とはいえ、西側諸国の拠点港湾であり、非武装の民間港でもある場所を何の大義もなく武力制圧すれば、国際社会からの猛烈な非難は免れない。
帝国が目指す「帝国なしでは生きられない相互依存関係」の構築において、他国からの経済制裁という余計な費用を払うのは本末転倒だ。
だからこそ、海軍は「仕掛け」を用意しているはずだ。
……たとえば。
『海賊』が、民間船を時限式の迫撃砲で攻撃しながら、豊浦王国の西商港へと逃げ込んだとする。
帝国海軍は『海上保険制度』の規定(仕様)に基づき、民間船を保護する義務がある。ゆえに、海賊を追跡して西商港の至近へと接近する。
――そこで、正当防衛による「偶発的な戦闘」が発生するのは、致し方ないことだ。
海賊を放置していたのは豊浦であり、霧宮だ。帝国はただ、自国の保険に加入している民間船を守るために、合法的な手続きに則って引き金を引くだけのこと。
「……よく出来た設計図だ」
誰も帝国を悪とは呼べない。被害者を救う英雄として、帝国海軍は堂々と豊浦の港を踏み荒らす。
海軍司令部にいるという異世界人が書いた、冷酷極まりない「不具合のない侵略計画」。
……そこまで理解したところで、俺は無意識に口を閉ざしていた。
「海軍司令部所属の異世界人は、底抜けた悪党に違いない」
さっきまで嬉しそうに歪んでいた中尉の口元が、まるで電源を落とされたかのように、一瞬で平坦な無表情に変わった。
「……少尉。参謀本部より下命です。西側戦線で異世界人の『足跡』を確認してください」
そのあまりの温度差に、俺は思わず言い返した。
「中尉。命令には従いますが、俺は前線じゃ何の役にも立たないし、普通に死にますよ」
「少尉。あくまで後方視察です。危険度は許容範囲内とされています」
「それでも、砲弾は飛んできますよね?」
「飛んできます」
――やっぱり、帝国軍人はどいつもこいつも頭がおかしい。
だが、システムを仕様書通りに動かすために、設計者の俺自身が直接現場を視察するというのは、確かにこれ以上なく合理的だった。
――数日後。前線後方へと向かう街道。
軍用馬車の絶え間ない揺れに耐えながら、俺は膝の上で帝国情報部の最新報告書を捲っていた。
『西側航路・鮮魚輸送遅延』
『第三国商船、入港数二割減』
『西商港における荷役滞留の増加』
紙面には、ただ数字だけが淡々と並んでいる。
砲撃による被害なし。港湾機能は完全に健在。航路封鎖の事実も確認されず。
――にもかかわらず、流通量だけが、目に見えて右肩下がりに落ち込んでいた。
「少尉。どうやら、本当に魚が腐り始めたようですね」
向かいに座る中尉の言葉に、俺は視線を書類に落としたまま答えた。
「中尉。海は止まっていません。ただ、極端に『遅くなった』だけです」
西側航路で行われている海軍の臨検は、一隻ごとに半日以上。
積荷の照合。乗員の確認。保険証書の厳密なチェック。暴力はいっさい無い。ただそれだけの手続きで、生鮮品という名の経済は簡単に窒息する。
特に豊浦王国は、漁労輸出への依存率が極めて高い。
港の入り口で一日足止めを食らうだけで、彼らの被る損失は雪玉式に膨れ上がっていくのだ。
「……なるほど」
腑に落ちた俺は、バサリと報告書を閉じた。
「海軍司令部は、港を砲撃して物理的に破壊する前に――“港湾の経済機能”だけを、先に殺すつもりか」
『豊浦王国』の西商港が死ねば、あちらの経済は完全に崩壊する。
そして、行き場を失った大量の民がどうなるか――俺は馬車の窓枠に手をかけ、外の景色に視線を向けた。
消毒薬の匂いが強くなってきた。
街道の脇には、豊浦王国から流れてきたと思われる難民たちの姿が点々と見えた。
だが、その光景には悲惨な餓死者の群れも、絶望的な暴動の気配も一切ない。彼らは帝国の誘導兵に従い、整然と配給を受け取り、仮設の避難所へと収容されていた。
ここは帝国占領地だ。侵略された土地であるはずなのに、豊浦の難民たちは自国を捨てて、こぞってここを目指してやってくる。
理由は単純だ。この帝国占領地は、彼らにとって「本当に死なない地域」だからだ。
飢えを凌ぐ十分な食料があり、疫病を防ぐ衛生管理があり、海賊や匪賊から身を守る強固な治安がある。
ただ「他よりマシ」ということではない。
自国の無能な王族に縋るよりも、帝国のシステムに管理された方が圧倒的に生存率が高いという冷酷な現実を、難民たちは肌で理解しているのだ。
「少尉。難民たちを、どう思いますか」
「不具合は無いようです」
海軍が海を絞め殺し、陸軍がこぼれ落ちた民を「生かす」ことで吸収する。
馬車が速度を落とす。どうやら、目的地である西側戦線の後方基地に到着したらしい。
「少尉。着きましたよ」
いつもの平坦な声音に戻った中尉が、先に馬車の扉を開けた。
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