第53話:西側戦線 その二
海軍司令部。
海軍艦型試験池および付属特種兵器実験部。
鉄門を潜ると、潮の匂いがした。
息詰まる帝都では感じられない、久しぶりの「管理の外側」の空気だ。
初めに海軍の技術将校へ挨拶を済ませなければならない。
どんな場であれ、元・社会人は第一印象を何より大切にする。
「街道少尉。久しいな、息災で何よりだ」
礼儀正しく敬礼を返しながら、記憶を高速で掘り返す。――あの、ヨット(第23話)の時の大佐だ。
「恐縮です、大佐殿。本日は、技術実査の機会を頂戴し、誠にありがとうございます」
(ということは、今回、俺を名指しで指名したのは、この大佐か?)
……そして今でも、海軍で俺の二つ名は『街道少尉』のままなのか。
それにしても中尉、いくらなんでも気配を消しすぎだろう。
つい先ほどまで隣にいたはずの男が、今や港口に立つ石彫の像か、あるいは執務室の壁面そのものに思えてくる。
最初からそこに据え付けられていたかのような、完璧な静寂を纏っている。
中尉の「政治的な透明化」。
関わり合いを避けつつ、実務の席だけは外さない。
――事務屋の究極系を地で行っている。
……覚えるのは当面無理そうだ。
厳重に秘匿された供覧海区を見下ろす、桟橋上の指揮所へと場を移した。
窓外の景色に、俺は内心で快哉を叫んでいた。
「なるほど、野戦砲ではなく迫撃砲か……!」
概要書の『野戦砲』という記述は、機密保持のための偽装工作か、あるいは陸軍への配慮だったのだろう。
現物のハリネズミを見て、俺はすべてを察した。
迫撃砲であれば、高初速の野戦砲に比べて船体への反動は比較にならないほど小さい。
重量も軽く、これならバラストタンク(重り)の負担も激減する。
何より、真上から降り注ぐ大曲射弾道は、海岸線に強固な陣地を敷く敵歩兵部隊を、文字通り頭上から文字通り叩き潰すことができる。
既存の兵器の弱点を、別の既存兵器(迫撃砲)の特性で相殺してみせたのだ。
――迫撃砲ハリネズミ艦。
「……これを作った奴は、合理主義者か、さもなくば底抜けた悪党だな」
政治的透明化を果たしていたはずの中尉が、無言のまま、もの言いたげな視線をこちらに送っている。
(中尉が、俺に何かを言いたそうだ。……まあ、後で確認することにしよう)
「少尉、私見で良い。連装式火力支援上陸試作艇、これをどう見る?」
「はい、大佐殿。塹壕や防壁の裏を効率的に攻撃可能になります」
「……少尉。知見は、参考になった」
――海軍司令部は、理解している。
これは、海岸線を高速で移動できなければ、こちらが的になるだけだ。
ただし、先に砲艦で敵固定砲台を破壊すれば圧倒的に有利になる。
例えば、高速ヨットでの強行偵察兼、着弾確認。
敵固定砲台を無力化したのち、連装式火力支援上陸試作艇で塹壕内の敵も無力化する。
数週間後。
道の駅(PA/SA)の掲示板に、新しい版画が貼られていた。
荒れる海。
転覆した民間船。
海へ投げ出された船員たち。
その横で、小舟を下ろす帝国海軍。
濡れた子供を抱え上げる水兵。
そして、遠景。
水平線の向こうを、帆を張った『霧宮王国』の軍艦が通り過ぎていた。
版画の下には、小さく説明文が添えられている。
『西側海域にて発生した海賊被害の救助記録』
『第三国船籍民間船を帝国海軍が保護』
それだけだ。
『霧宮王国』を非難する文言は、一文字も書かれていない。
語り部たちが紡いだのは、
『帝国海軍が、自らの危険を省みず民間人を救出した』
という、英雄談だ。
俺は、一言も嘘は言っていない。
海軍司令部が、一般公開可能とした事実を伝えただけだ。
各地の道の駅やSA・PAの窓口では、海軍の「海上保険制度」に問い合わせが殺到している。
西側航路の保険料がここ数ヶ月で三倍に高騰したことを受け、各商会にとって海賊被害は切実な問題となっていたのだ。
「少尉。この“第三国船籍”に乗船していたのは民間人ですか」
「……定義上、民間人です」
数か月もすれば西側海域は、帝国海軍の護衛艦が常駐する海へと変わる。その実態は、駆逐艦や砲艦、そして特殊上陸艦といった軍艦の群れだ。
――盾の維持費が跳ね上がれば、彼らは躊躇なくそれを捨てるだろう。
霧宮側が「これ以上の駐留は予算に見合わない」と合理的な政治判断を下せば、即座に撤退するはずだ。
そして、抑止力であった霧宮が消えた海へ、豊浦の商船が出航を躊躇うのは火を見るより明らかだった。海には、今なお『海賊』が潜んでいるのだから。
帝国とて、民間船を問答無用で攻撃するような野蛮な真似はしない。ただ、その民間船が『海賊の偽装』ではないか、臨検して調べるだけのことだ。
一ヶ月後。
帝国情報部から、豊浦王国西商港に関する報告書が届いた。
そこには、豊浦へ入港する商船の数が目に見えて減少している、という冷酷な事実が記されていた。
海賊対策を名目に開始された帝国海軍の臨検・護衛体制は、いまや西側航路を渡るすべての船に適用されている。
船籍の確認。
積荷の検査。
乗員の照合。
海上検査そのものは極めて丁寧であり、暴力的な威圧はいっさい無い。だが、一隻を捌くごとに半日、最悪の場合は丸一日が費やされた。
――生鮮品を積んだ船から順に、荷が腐っていく。
「最近じゃ、魚より書類の方が重くて敵わねえ」
港湾労働者たちの間では、そんな自虐めいた冗談すら囁かれているという。
帝国海軍はあくまで民間船を守っているだけであり、事実、海賊被害は激減していた。
護衛付き航路における死亡率は大幅に低下し、帝国の登録商船に限れば、西側航路の保険料も安定を見せ始めている。
だからこそ、誰も表立って帝国を非難することはできなかった。
「少尉。豊浦王国側の商会が、ついに『霧宮王国』への抗議を始めたようです」
「……そうですか」
『海賊』を放置したのは霧宮王国だ。
海を危険地帯に変えたのも霧宮王国だ。
ゆえに帝国海軍が治安維持のために増員された。――ただ、それだけの話だった。
数日後。
『霧宮王国』外務府は、一つの公式声明を発表した。
『西側海域における海賊被害は、現在確認されていない』
『一部国家による過剰な軍事行動は、周辺海域の緊張を不必要に高めるものである』
道の駅(PA/SA)の掲示板には、その声明を書き写した版画新聞がそっけなく並んでいた。
――わずか三日後。
帝国海軍は、新たな「海賊被害」の発生を大々的に公表した。
襲撃されたのは、西側航路を航行していた第三国船籍の貨物船。
帝国海軍の護衛艦隊が救助を実施し、海上保険制度に基づく補償手続きが開始されたという。
「少尉。海賊は、まだ存在していたようですね」
「中尉。少なくとも……帝国海軍は、確かにそれを『確認』したのでしょう」
俺は、新しく刷られたばかりの版画に目を落とす。
炎に包まれる帆船。
橙赤の炎が帆柱を舐め上げ、夜の海を不気味に照らし出している。激しくのたうつ炎は、まるで生き物のように船体を貪り、黒煙を夜空へ吐き上げていた。
救命艇に群がる黒い影と、海へ投げ出され、必死に泳ぐ船員たち。
そして、その遠景――。
またしても水平線の彼方には、『霧宮王国』の軍艦が、ただ静かに佇む姿が描かれていた
『霧宮王国』が、異世界人の軍事顧問と兵器の提供を停止すれば、『豊浦王国』は前線を維持できなくなる。
損切りする明確な時期こそ不透明だが、その未来だけは確実に来る。
「少尉。参謀本部は、次に何をすると思いますか」
俺は壁に掛けられた西側諸国の地図を見つめながら答えた。
「中尉。参謀本部は、合理的です。『豊浦王国』との停戦交渉に移行するでしょう」
中尉は、静かに悦びを噛みしめている。
「少尉。では、海軍司令部は、次に何をすると思いますか」
――海軍司令部は先月、あの上陸試作艇の『技術実査』を電撃的に実施した。
そして、その場に俺を指名し、呼び寄せた理由。
いや、呼び出されたのは俺という個人ではない。「参謀本部直轄の特別監察官」を、上陸試作艇の『技術実査』へ同席させるためだったのだ。
つまり、これは事前の根回し。あるいは、参謀本部に対する容赦のない事前交渉。
『海軍司令部は、すでに次の上陸作戦まで見据えて動いている』
それを突きつけられ、参謀本部が止めなかった(黙認した)からこそ、海軍は計画を次の段階へと実行に移すつもりなのだ。
読んでくださり、ありがとうございました。




