第44話:第三国移転
半年が経過した。
あの日、帝国の備品を奪い、自らの自由意志で赤旗国へと攻め入った『故郷奪還組』――。
彼らが再び難民化して帝国の門を叩くことは、ついになかった。その後の消息は、今も不明。生存も、壊滅も、、確認されていない。
そして、『故郷奪還組』の帰国から一か月月後。赤旗国からの難民流出は、何事もなかったかのように再開した。
新たな難民たちからの聴取記録には、村を結ぶ街道は、すべて赤旗国軍によって物理的に閉鎖されており、故郷を奪い返したところで、そこはもはや外界から遮断された“袋小路の死地”と化しているとあった。
俺は、帳簿の未確定損失の欄に奪われた備品を載せ続けていた。
難民に残された道は、他国――すなわち、唯一『人道的』な門戸を開放している帝国へと逃げ延びる道だけだった
「少尉。現在の難民は五千を超えています」
「速く自立してもらわないと経費がかさみますね」
現在、帝国領内に滞留する難民は五千名を超えて超えていた。だが、食糧の備蓄だけを見れば、帝国にはまだ余裕がある。周辺国へ輸出できるほどの圧倒的な生産力こそが、この『人道的支援』の物理的な担保だ。
「……少尉。食糧は行き届いていても、彼らは実質的に失業者です。このまま放置すれば治安悪化、暴徒化、さらには反政府活動への転用――いずれ帝国の統治機能が麻痺しかねません」
中尉は、机に広げた地図上の難民キャンプを指し示した。
俺は視線を地図に落としたまま、淡々と応じる。
「中尉。食糧だけを配れば、人間は“ただ生きているだけの存在”に成り下がります」
住居も、道路も、そして何より自立のための職もない。このままでは、押し寄せる難民はいずれ帝国が設けた『人道』という名の枠を食い破り、溢れ出すだろう。
その懸念に対し、俺は半年も前から参謀本部へ、ある『仕様書』を提示していた。
中尉は報告書を閉じると、値踏みするように俺へ視線を向けた。
「少尉。参謀本部は、あなたの“仕様書”を採用するようです」
「新たな人道的制度の件ですね」
その国は、豊富な森林資源こそあれど農地は乏しく、食糧供給の生命線を帝国からの輸入に依存している。通称『森の小国』。
帝国はこの『森の小国』の森林に最適な街道を整備し、原野や荒れ地、耕作放棄地といった未利用地を徹底的に開墾、耕作可能な大地へと造り替える。
これにより小国は食糧自給率を向上させ、整備された『共有街道』を通じて輸出を拡大できる。
帝国による新たな人道的制度――『平和維持活動(PKO)』である。
「少尉。赤旗国が吐き出し続ける難民のすべてが、帝国へ流れ着くわけではありませんね」
「例えば『森の小国』がそうですね」
地理的要因や敵軍による追い立てにより、その多くは周辺の小国へも漏れ出している。帝国は、その流出先の一つである通称『森の小国』への人道的支援を決定し、小国側もまた、これを受け入れた。
「少尉。『森の小国』には、過酷な原生林の開拓を行う余力はありませんよ」
「中尉。幸いなことに帝国内には、この数ヶ月で土嚢を積み石膏を練る技術を学んだ難民たち『技術を持った労働力』が溢れてます」
難民たちの『帰化希望組』のすべてが、必ずしも帝国そのものへの帰化に固執しているわけではない。
「少尉。移住を希望した難民の中に、相当数の『故郷奪還組』が混ざることになりますね」
「中尉。『帝国は人道的』です。移動の制限はしませんよ」
帝国は、難民の自由意志を尊重し、『森の小国』へ行きたいと望む難民たちへ、『森の小国』での仕事を紹介する。
そして、移住を希望した難民の中に、帝国が貸与した『自衛用農具・護身用具』を持った、相当数の『故郷奪還組』が混じっていたとしても自由意志を尊重し、帝国は止めることない。
帝都の特別監察室には、赤旗国の『規格外』に関する観測情報は届いていない。異世界人誘導係も行方不明のままだ。
『西部治安維持作戦』には未だ二個連隊が拘束され、一方で南部は常駐軍の大半が引き上げられ、現在は一個大隊が残るのみ。
戦力投射の均衡は、極めて危うい。
だが、俺が帝国の政治的判断を仰ぐ必要はないし、その権限もない。俺が軍に入ったのは、あくまで快適で安全な隠居生活を手に入れるためだ。そして、現在の任務は東部「難民キャンプ設営」――ただ、それだけだ。
生存を望む『帰化希望組』には、自立という名の道を。……『故郷奪還組』には、自らの自由意志に基づく行動を強制しない。
『覇権国家計画』。
帝国と俺。目指すべき過程こそ違えど、現在この瞬間、俺たちは同じ価値観を共有している。
「少尉。『森の小国』は、難民の暴走(奪還作戦)を止めようとするのではないですか」
「止めませんよ」
参謀本部は、『森の小国』に対し、過剰なまでの『人道支援物資』を送り込むはずだ、名目上は『難民に自立の機会と道具』。『森の小国』が、難民の移動を制限すれば、「飢えた難民から農具を奪い、生きる手段を奪う非人道的な弾圧」を理由に『森の小国』のインフラ整備から引き上げる。
そして『森の小国』の帝国規格整備が完了すれば、『森の小国』は帝国の保守管理なしでは国家を維持できなくなる。
二か月後。
『森の小国』に対しての大規模な『平和維持活動(PKO)』が開始された。
赤旗国からの難民流出は今なお衰えず、帝国は新たに三千の難民を抱え込むこととなった。だが、既に「技術」を叩き込まれた先行組の難民二千名は、帝国と『森の小国』を繋ぐ『人道回廊』を通じ、新天地へと移動を開始している。
深い森林を切り開き、迅速に『最適な街道』を構築していくのは、帝国軍建設工兵大隊の精鋭たちだ。
整備が進む二本の「轍コンクリート街道」。一方は、帝国の標準的な規格に合わせた馬車道。そしてもう一方は、重量級の輸送を想定した大型馬車用である。
その大型用の道幅は、強化型輓牛が牽引する『高性能野戦砲』の車幅と、寸分違わず一致していた。
また、『森の小国』の森林地帯に生息する小型魔物への対策として、歩兵大隊も「護衛」の名目で派遣された。
難民の一部は、それら魔物から身を守るため自衛処置として『魔導銃の射撃訓練』に参加した。
訓練参加者は例外なく、『対小型魔物自衛訓練』と題された公文書に署名を行っている。
『対小型魔物自衛訓練』の概要を確認した中尉は、俺の「正解」を待機するような、冷徹な眼差しを向けた。
「少尉。自衛訓練は、あなたが提案したそうですね」
「中尉。訓練は自立に必要なことです。『与えられるだけ』の生活は人間の尊厳を奪い、自尊心を著しく低下させる。それでは、彼らの長期的な社会復帰は望めません」
帝国と『森の小国』を繋ぐ『人道回廊』の先では、仮設訓練場の建設も始まった。訓練に必要な物資は、この回廊を使い、軍事的合理性に基づいた速度で搬入が可能だ。
『平和維持活動(PKO)』の開始から三ヶ月、『森の小国』へ帝国から移動した難民は合計で四千を超えることとなった。
森林を切り開いた街道は仮設ではあるが、通行可能となったことで、個人商人も行き来している。
今後、『森の小国』のインフラ整備が進めば、経済は順調に発展するだろう。
そのさなか、『森の小国』で小さな事件が発生した。
境界線を越えた魔物を追った難民たちが、偶然にも赤旗国の哨戒部隊と衝突。その結果、難民側に複数の死傷者が発生した。
この事件を契機に、難民たちは『帰化希望組』と『故郷奪還組』に完全に決別することとなった。
『森の小国』の『故郷奪還組』の数は二千五百。
『森の小国』の役人は、一時的な移動制限の声明を出すという行政上の手続きこそ踏んだものの、難民の逮捕や拘束には踏み切っていない。口頭注意のみに留め、彼らの集結に静観の構えを見せている。
帝国への難民流入は今なお衰えを知らない。赤旗国との国境付近に設置された難民キャンプは、膨れ上がる人口によってもはや一つの「町」と化していた。
その「町」の『故郷奪還組』の多くが、『森の小国』へ移動を希望した。
俺は、『森の小国向け移送希望者名簿』に承認印を押した。
読んでくださり、ありがとうございました。




