第32話:トレーディングカード
東部地方から帝都へ帰還し、二か月が経過していた。
特別監察室の部下は二十人まで増員されたが、俺の稼働率は一向に下がらなかった。組織が巨大化すれば、それに比例して管理時間が増大するのは、この世界の物理法則らしい。
この世界では元々、日が昇れば働き、沈めば眠るという「環境依存」の労働体系が一般的だった。
だが、帝国には百年前から異世界人が介入している。『日が長いので十六時間勤務です』といった、どす黒い精神論は初期に即座に否定された。今や帝都の至る所に時計が設置され、正確な時を刻む鐘の音が労働時間を規定している。
もっとも、農村やギルドの職人、あるいは建設現場の作業員たちの多くは、依然として前時代的な「仕様」のまま動いている。
帝国軍に限って言えば、週四十時間勤務と長期休暇が保障されている。……俺個人には、全く適用されない勤務規程だが。
「少尉。本日の先人面談は、元トレーディングカード収集家です。帝都複合娯楽施設の件で、折り入って相談があるとのことです」
中尉が、事務的な微笑とともに予定を読み上げた。
(……先人たちの間で、俺を「便利屋」か何かだと勘違いする噂でも回っているのか?)
俺がこの世界に転移して六年。俺より後に来た「新しい個体」がいる可能性は高いが、中尉からはその手の情報は一切下りてこない。
もしいたとしても、それが特定の分野における「専門家」であれば、帝国は即座に国家機密として保護するはずだ。
専門家でなくともいい。共通言語(現代的常識)が通じる個体であれば、部下に置く価値はあると考えているが、現実はそう簡単にはいかない。
時間になり、俺は護衛分隊を引き連れて別棟の来客用会議室へと移動した。
会議室で待っていたのは、五十歳前後の男だった。健康的に日焼けした肌に、さりげないが趣味のいい装飾品を身に着けている。
簡単な自己紹介を終えると、男は単刀直入に本題を切り出した。
「こんにちは、少尉さん。早速ですが、頼みたいことがありましてね」
男は現在、帝都の劇場で働いているという。帝都複合娯楽施設はまだ計画段階であり、着工すらしていないが、既存の劇場へはすでに出店案内を出している。情報源はそこだろう。
この施設に出店できる劇場には枠に限りがある。口コミによる格付けが選定基準の一つだが、これは永続的な権利ではない。定期的に劇場や食事処を入れ替えることで、顧客の再来店率を維持し、陳腐化を防ぐ「循環型運営」が俺の戦略だ。
男は、前の世界にあった「トレーディングカード」のようなものを作りたいのだと語った。
この帝都には、娯楽と呼べるようなものは少ない。男は自力で制作を試みたようだが、規格が統一され、かつ同一の精緻な絵が印刷された板紙を、個人で大量生産するのは不可能だった。
施設の入場券や、劇場の入店特典としてカードを配布する。すべて集めれば豪華な景品と交換できる「動機付け」を設ければ、客足は伸び、さらに特典の「個人間取引」も発生する――それが男の提案だった。
なるほど、やはり現代人の視点からこの帝都を俯瞰すれば、何が「不足」しているのかが明確に見えてくる。
この過酷な世界で、実益のない紙切れに金貨をつぎ込む者はまだ少数派かもしれない。だが、それは「今」までの話だ。
帝都周辺は連年の豊作に沸き、建築需要で溢れ、人口は膨れ上がっている。宿場も食事処も増え、庶民の手元には使い道のない余剰資金が滞留し始めている。
金貨をタンスの中にしまわれてもも経済は発展しない。通貨を流動させ、消費を加速させる「受け皿」は、多ければ多いほど望ましい。
俺の脳内では、またしても軍の現金収入を最大化し、さらに多方面への副随効果を期待できる「娯楽経済圏」の設計図が、高速で書き換えられ始めていた。
「少尉さん。大丈夫ですか?」
あまりの長考に、男が不安そうな視線を投げかけてきた。
「ああ、問題ない。トレカの話だったな。軍のインフラを活用すれば、似たような仕組みを構築することは可能だ。それには君の協力も必要になる」
「もちろん、何でも協力します!」
男の快諾を聞き流しながら、俺は脳内の設計図に細部を書き込んでいく。
軍が、物品との交換保証も奉仕の約束も付与されていないただの板紙を大量発行するのは、実質的に独自の「通貨」を鋳造するのと同義だ。だが、いきなり板紙の量産には動かせない。今の帝都にそこまでの需要はない。
ならば、まずは「押印」による試験から実装すべきだ。
現在、帝国全土に展開している「道の駅(PA/SA)網」で、専用の押印手帳を配布する。
さらに、毎月更新される特定の特産品や工芸品を購入した者だけが押印できる仕様にする。一定数を集めた者には、軍の保養施設や高級宿への招待権を付与する。
図柄には、勇者や聖女といった帝国民に馴染み深い記号や、各PA/SAごとの守護精霊を採用すればいい。この世界の人間は信仰心が厚い。全て集めるという「儀式」には必ず食いつく。
だが、これらはあくまで副随効果に過ぎない。
このシステムの真の狙いは、旅人や商人、それに絵師や語り部の「動線制御」だ。現在、道の駅は毎月のように新設されている。特定の押印を条件に組み込むことで、軍は意図的に「人の流れ」を操作し、未開拓地の活性化や物流の最適化を裏側から操作できる。
そして、最も重要な本命の仕様はここからだ。
例えば、神話に語られる「帝国十二騎士」や、騎士リーグの優勝者の図案を用いた限定押印を作る。子供ですら知っている、帝国を守る象徴だ。
愛国心が強い個体ほど、これらを必死に収集するだろう。
そして、すべてを集め切った者には、軍の就職試験における「加点」を与える。
これにより、軍は「高い愛国心を持ち、かつ各地の交通網を実体験として把握している新兵」を、募集の段階で自動的に選別できるようになる。
目の前の男は、自分の提案が帝国の軍事・人事戦略を根底から書き換える「国民管理システム」に変貌しようとしていることなど、微塵も気づいていないだろう。
「……面白い。この計画を『帝国全土印章集め』として立案しよう。君には、各地域での図柄の選定を任せたい。稀有さといった釣り合いは元収集家の君が適任だ」
「ありがとうございます! まさかそんな大きな話になるとは……!」
男は興奮に顔を上気させていた。俺はそんな彼を冷徹に見つめながら、手元の手帳に新たな「仕様変更」を書き加えた。娯楽という名の餌を撒き、その裏で国民を軍の望む方向へ誘導する。
トレカ収集家の男が帰る前に、例の白い部屋の願いを確認した。男が、この世界に持ち込めたのは、一冊のアルバム。
男は収集したトレカを手放したくないと願い、アルバムを手に入れた。この世界に来た時に、その手には中身が無いアルバムがあったという。
白い部屋の願いは正確で、平等で、残酷に叶えられていた。
男には、帝国十二騎士や各地域の守護精霊など、帝国民なら誰でも知る人気がある事柄を調べるように依頼した。当然、正当な対価としての手間賃も約束した。
宣伝告知については、以前から立案していた計画を前倒しで実行する。幸い、参謀本部からも準備ができ次第進めるよう命じられており、予算という名の資金を心配する必要はない。
俺は帝都、および全ての道の駅(PA/SA)に対し、軍からの通達を発行した。
内容は、渡りの絵師や語り部に対し、軍の定期馬車の「無料回数券」を配布するというものだ。
これには即座に反応があった。だが、それは好意的なものではなく、根深い不安だった。軍に都合の悪い事実を話せば粛清されるのではないか、という生存本能に根ざした恐怖だ。
帝国軍は一般市民から見れば、抗いようのない暴力装置だ。だが最近は道の駅のような軍直営の福利厚生施設が増え、不作の地域には無償で食料を提供している。今、帝国民の認識は、軍を「領土と民を豊かにする守護者」へと、認識が書き換えられつつある。
この認識をさらに強固にする。絵師や語り部の旅費を軍が負担し、軍の公式発表だけでなく、民間という「外部」からも情報を発信させる。
当初こそ疑心暗鬼だった彼らも、信頼に足る情報を基にした発信であれば軍は一切関与しないという規約を提示すると、徐々にその懸念を払拭させていった。
もちろん、「勇者の死の真相」といった致命的な不都合となり得る情報は、権限設定によって厳重に制限している。彼らが発信するのは各地の名産、過酷な環境に挑む開拓団、あるいは土地を切り開いた英雄譚といった、帝国の正当性を補強する記録ばかりだ。
帝国は軍が国営に深く関与しているが、単純な軍事独裁国家ではない。皇帝を頂点とした君主制でありながら、文官による政治機構も機能しており、周辺諸国に比べれば遥かに「民主的」な感性を持っている。
百年前、当時の皇帝の養子となり、覇権国家計画を提唱した先人異世界人。この国家体制も、彼が遺した設計図に依るところが大きい。
まずは、この『帝国全土印章集め』の試験運用を直ちに開始する。
――三か月後。帝国の全領土、あらゆる都市に、国民の感情を激しく揺さぶる「出力」が広がった。
渡りの絵師が描いたのは、『血に染まる無垢な少年。その手には平和を訴える小さな旗』という、視覚的な暴力だ。
語り部たちが紡いだのは、『隣国から警告もなく、平和を訴える帝国民に砲弾が撃ち込まれ、多数の死傷者が出た』という、聴覚的な呪いだ。
民間という名の報道機関に軍が旅費という「回線」を提供したことで、その情報網は瞬時に国境まで到達していた。
帝国民は深い悲しみと、隣国に対する「制裁」という名の実行命令を待ち望む空気に包まれていた。
特別監察室の窓から、犠牲となった少年の無念を訴える集団が通り過ぎるのが見えた。
外を見ている中尉が、俺に視線を切り替え語る。
「少尉。参謀本部より通達です。『国境の落日作戦』は次の段階へ移行します」
中尉は、停止という選択肢を削除した、稼働履歴のような無機質な無表情のままだ
――帝国軍は、本当に都合の悪い情報発信以外には、一切関与しない。
読んでくださり、ありがとうございました。




