第30話:平和
俺の帝都待機命令は解除された。
先行して仕様書を携えた部下たちを西部地方へ送り出したばかりだが、俺自身も超大型星型要塞の現況を確認するため、再び馬車に揺られている。
目的地まで、馬車で十日。
この移動時間は、決して「待ち」の状態ではない。俺は投入されている膨大な一般作業員たちの稼働率をさらに追加の構成に思考を割いていた。
思考中に、ふと、六年前のことを思い出した
俺が特別監察官の辞令を受け取ったあの日。その紙片に記されていたのは、帝国が百年以上前から連綿と受け継いできた『覇権国家計画』の断片だった。
帝国を「侵略不可能な大国」として完成させ、世界に食料と技術を輸出する。
強固な相互依存関係の網を張り巡らせ、戦争の費用を「物理的に支払えない」水準まで引き上げる。
感情や正義ではなく、経済的・軍事的な損得勘定によって紛争を強制終了させる、巨大な抑止の構築。
この超大型星型要塞は、その計画において不可欠な「侵略不可能な盾」としての物理実装だ。
(だが、西側の国々がこれを受け入れるとは思えない)
彼らにとって、帝国の技術や食料は、生存に必要な資源であると同時に、自国を縛る見えない鎖でもある。
政治思想や宗教的背景という、論理では解決できない「例外」を抱える彼らは、依存が深まれば深まるほど、その鎖を断ち切ろうと暴発する可能性が高い。
今のところ、彼らの評価は「帝国の恩恵を享受しつつ、隙があれば背後を刺す」という極めて不安定な状態で固定されている。
不意に、処理の実行を待つ模範的な笑みを浮かべた中尉が、数枚の書類を差し出してきた。
「少尉。参謀本部が『国境の落日』を発動したそうです」
……その名称に、奇妙な既視感を覚えた。
手渡された作戦概要に目を通す。目的、手順、期待効果。
論理構造は俺の知るある模範と一致しており、細部だけがこの世界の解像度に調整されている。
「少尉。あなたの論文、ずいぶんと実用的だったようですね」
「評価は参謀本部の仕事です」
俺はあくまで理論を提出したに過ぎない。それを実行するかどうかを判断するのは、俺の管轄外の工程だ。
十日後馬車が止まった。
視界に飛び込んできた超大型星型要塞は、工程表よりも前倒しで進んでいた。
「西部方面の脅威が消失した」という共通認識が一般大衆にまで、行き渡った結果、予定を上回る資源(作業員)が集まったらしい。
俺はそのまま、建設工兵連隊の連隊本部へと足を運んだ。
出迎えたのは、叩き上げの軍人らしい風貌の連隊長、彼は巨大な要塞の影を背負いながら、ぽつりと呟いた。
「少尉。隣国が大型魔物を駆逐し終える前に、この『森の賢者』が設計した要塞の方が速く完成する。そうなれば、向こうは当面、手出しできん」
(『森の賢者』?
……この要塞の設計に関わっている異世界人たちの、帝国側での総称か。
分厚い石材の皮膚に、長距離要塞砲を林立させた鋼鉄の塊。
森を育むどころか、周囲の生態系を更地にして焼き払うための殺戮装置だ。
的外れにも程がある。)
「少尉が来るという報は受けている。詳細は現場の大隊長と詰めてくれ」
「大佐殿。了解いたしました」
現場の指揮を執る大隊長の元へ移動する。
「少尉。大佐殿から話は聞いている。給養部隊の到着は予定通り進んでいる」
俺は、軍が労働者の健康と福利厚生を保障する制度――。社員食堂というサブスクリプション(定額制提供)の概要を説明した。
彼は土埃に塗れながら、構築されつつある砲座を見上げ、冷めたトーンで口を開いた。
「少尉。砲で黙らせるのも、砲を隠して握手するのも、結局は『撃てる側』の都合だけで決まるんです。帝国は今、握手という選択肢を選んでいる。
……ただ、その選択が有効なのは、背後に『あの砲』という物理的な説得力があるからですよ」
(計算された保留、か)
大隊長は、足元の土面に描かれた要塞の見取り図を、深靴の先で無造作に消した。
消された線は、今の擬似的な平和を象徴しているようにも見えた。
外交儀礼というプログラムには、常に『人間』という名の例外処理が付きまとう。
そして常在する例外は、蓄積し、いずれシステム全体を物理的に損壊させる。
俺はPA臨時司令部へと移動する馬車の窓から、夕闇に沈みゆく建設現場を眺めた。
鉄と石で固めた城壁が、巨大な墓標のようにも、あるいは新しい時代のゆりかごのようにも見えた。
……この平和は、まだ仮設だ。
物理的な要塞を作るのは容易だ。だが、人間の頭の中に「戦争は非効率だ」という仕様を書き込むには、まだいくつもの部品が必要になるだろう。
西部平原の掃討対象となる小型魔物、現在の個体数は推定八千。
明日は、討伐隊からも直接事情を聴取しなければならない。馬車の中、揺れる灯火の下で俺は仕様書の補足情報を整理した。
翌日。西部平原小型魔物討伐隊、臨時司令部。
俺は討伐隊大隊の次席将校、中佐と面談することになった。
この世界において、女性将校は極めて稀有な存在だ。貴族の義務として女性が従軍することはあるが、その実態は「お飾り」の儀礼官であり、実戦で指揮を執ることなどまずあり得ない。
だが、帝国では数十年前に先人異世界人から「軍は伝統や性別ではなく、実力と実績で評価し、正当な人事を行うべきだ」という進言を受け、その実力主義的な人事システムへと移行したと聞いている。
「少尉。貴様が『調整官』か。参謀本部のお気に入りが来たと聞いているぞ」
「……失礼ながら中佐。本官は『調整官』ではございません。『特別監察官』です」
女性が実力で中佐まで登り詰めたのであれば、彼女は「前例のない努力」を積み重ねてきたはずだ。そこに参謀本部の直命を受けた若造の「監察官」が現れれば、火花が散るのはシステム上の必然だった。
「フン、参謀本部の連中も、こんな若造を送り込んでくるとは。この泥まみれの平地が、温かい執務室と同じだと思っているのか?」
「――中佐殿。我々は、『覇権国家計画』の遂行のためにここに居ります」
中尉が、俺に助け舟を出す。……中尉がこれほど積極的に口を挟むのは珍しい。この中佐もまた、帝国の根幹たる計画の「共有者」だということか。
(海軍司令では俺は街道少尉だったな、参謀本部の中では何と呼ばれているのか、今更気になってきた)
「(一瞬の沈黙)……そういうことか。いいだろう。貴様たちの身の安全は厳守せよと、軍司令部から最優先命令を受けている。護衛に二個小隊を付けてやる。補給部隊のケツに張り付いて、せいぜい死なないように監察することだな」
俺は補給隊に数日従軍し、現場の一次情報を吸い上げることにした。参謀本部が、西部掃討に「遅延の予兆あり」と判断した結果だ。一年近く帝都に塩漬けにされていたが、解除された途端に泥臭い実戦部隊に張り付くことになるとは。
俺は戦術も魔物の生態も知識としては持っている。だが、それはあくまで教科書的な知識だ。現場でそのまま実行できるほど、実戦は甘くない。
補給部隊に従軍し、兵たちから直接話を聞き、二晩の野営を経て見えてきた。
西部平原の広大な大地。そこに、小型魔物は広く散会している。
元々生息地の予測が不可能なうえ、中型・大型といった上位個体(捕食者)が駆逐されたことで天敵が不在となり、小型魔物は異常増殖を遂げていた。当初こそ討伐は順調だったが、このままでは資源の枯渇による遅延は免れない。
だが、討伐隊も軍として「正しい」行動は取っている。
開拓団(屯田兵)の村は新兵ばかりだ。彼らを守り、超大型星型要塞への資材搬入路を確保し、PA/SA(休憩所)に小型魔物を誘導しないよう慎重に進軍している。その論理は正しく実行されていた。
だが、止まることが許されない『強制的な物流ライン』が、現場に過度な負荷を強いている。
補給部隊は、小型魔物の死骸を焼却し疫病を防ぐための「衛生資材」――石灰、油脂、薪――という重量物を抱えている。これが進軍速度を著しく低下させ、全体の律速となっていた。
以前、小国(第17話)との戦争で行った、前線の部隊を「動くコンビニ」と再定義した『多頻度小口配送』は、ここでは機能しない。
「兎サイズの小型魔物」が「広大な平地」に溢れている状況下では、その補給モデルは「強盗が店内に常駐している状態で、補充車両が襲撃され続ける」という極限状態に陥る。
平原に散った八千匹の小型魔物は、物流網にとって「道路を占拠する暴徒」ではなく「空気を汚染する毒」に近い。配送頻度を上げれば上げるほど、敵に「獲物の位置」を知らせる信号弾を撃ち続けているのと同じだ。
「超大型星型要塞」という国策のため、現場の兵士たちが「動く防波堤」として消費され、「新兵の村を守る」という道徳的に正しい選択が、戦術的な死を招いている。
つまり、解決すべきは「小型魔物」という名の物流障害。
配送拠点から最終的な顧客(現場)へ荷物を届ける「最後の区間」の地獄だ。
ならば、「構造の再設計」をすればいい。
俺は補給部隊の進軍ルートと、魔物の出没記録を重ねた地図を広げた。
読んでくださり、ありがとうございました。




