第24話:噂話
海軍司令部が保有する「現代的ヨット」の“実査”から二カ月が経過していた。
沿岸部を管理下に置くべく、開拓団(屯田兵)を組み込んだ「新たな網」への変換計画は進めている。だが、並行して走らせている計画があまりに多すぎて、全体としての進捗は、少なくとも俺の理想とする速度には程遠かった。
農業革命や製鉄事業は、まだいい。生産力の向上は年単位だ。一度下地ができれば、俺が直接手を出す領域は少ない。超巨大倉庫の建設も、着工してしまえば現場の工務能力に委ねられる。
問題は、俺が直接設計したインフラの「保守・運用」だ。
新街道が伸びれば伸びるほど、SA/PAの数は幾何級数的に増え続けている。
脆弱性をあらかじめ潰すための補強作業だけでも、膨大な確認時間を食いつぶしていく。
しかしSA/PAは管理点だ。管理点が増えれば、確認工程も増える。確認工程が増えれば、遅延が発生する。
……このままだと、システムとして破綻するな。早急に対策を考えなければならない。
他にも土嚢用麻袋の増産工程の調整、救貧院の運営、馬車リースの与信管理……。
それらに加え、まるで自分の首を絞めるかのように「帝都複合娯楽施設」の建設計画まで始めてしまった。
百年前からこの国を動かしてきた先人たち、そして今も国家の中枢に埋もれている「ガチ」の異世界人たち。彼らの背負ってきた任務の重さは、もはや計り知れない。
そして、そんな俺の『やるべきこと一覧』を嘲笑うかのように、参謀本部から定期的に「先人」との面談指示が届く。
……人的資源の再発掘。あるいは、代替可能性の確認か。
「……もはや、現場監察の余裕すらなくなってきたな」
今日の面談者は、元口コミサイト運営者だという。
当初掲げていた「異世界人が主導する作戦の現場監察と改善」という名目は、いまや影も形もない。
押し寄せる事務の奔流に、俺という処理装置は、設計限界を超えてなお稼働を続けていた。
中尉に高性能の外部演算装置(使える秘書)が余っていないか聞いてみるか。
もちろん、俺の設計思考を理解し、淀みなく命令を分散実行できる、バグの少ない個体が望ましい。
「少尉殿。そろそろ来客の時間なのでは」
俺の護衛分隊の分隊長である曹長が声を掛けてきた。
「誠にありがとう、曹長。秘書のようなことまで助かっている」
「いいえ、少尉。これも護衛任務の一環ですので」
分隊長の彼は信頼に足る。感情よりも任務の完遂を、情動よりも規律を優先する。安定動作確認済みの個体だからこそ、俺の護衛という重責に任命されたのだろう。
彼のような「計算可能な人員」がもっといれば、俺の処理負荷も劇的に下がるのだが。
俺は軍の別棟にある、いつもの来客用会議室へと移動した。
会議室で待っていた彼女は、歳は三十前後。
仕立ての良い服をきっちりと着こなし、第一印象は非常に真面目だ。だが、俺と目が合った瞬間に見せた微かな微笑みには、どこか冗談も通じるような、風通しの良い社交的な雰囲気が宿っていた。
「少尉さん。はじめまして、本日はよろしくお願いいたします」
共通言語(現代的常識)が通じる人間は、不動産屋以来だな。
話を聞くと、彼女は現在帝都の南門の近くの食事処で働いている。この一年ほど前から人が増え続け、最近は特に混雑しているという。客たちの噂話で、どこの屋台のパイが旨いとか、どこの酒場には若い女がいるとか、そんな話を聞くことが多いそうだ。
確かに南門は大改修し、軍主導による超大型物流倉庫を建設中だ。帝都だけではなく近郊の村からも仕事を求めて人がやってきている。定期馬車と街道警備のおかげで、帝都は今、人が集まり景気が良い。
「私、この世界でも口コミサイトを作りたいんです。でもネットどころか電気がないので、どうすれば良いのかわからなくて」
彼女は困ったような、それでいてどこか期待に満ちた目で俺を見た。
なるほど、情報の重要性を理解していても、それを載せるための土台がこの世界には存在しない。
「軍であれば似たようなことは可能ですよ。ただ、あなたの協力が必要です」
「本当ですか、ぜひ協力させてください」
だが、俺の頭の中では、情報の可視化という名目の裏で、またも新たな「軍の現金収入増加計画」が動き出していた。
準備に時間はかかるが、やることは単純だ。
木札を配り、良かった店(雑貨屋、食事処など)の箱にそれを投じさせ、その数を集計して順位を掲示するだけだ。
投票用の箱はSA/PA(休息所)に設置すればいい。箱の種類も「満足・普通・不満」といった単純な三値評価で十分だ。
試験運用は南門からだ。ちょうど周辺事情に詳しい彼女が協力すると言っているのだから、現場調査などの泥臭い仕事は全て任せることにする。これが「俺の時間の最適化」というやつだ。
順位の掲示場所は、初めは南門や各SA/PAとする。試験運用が軌道に乗れば、次にこの世界には存在しない「食事処や宿場の割引回数券」をSA/PAで販売する。
軍が回数券を発行することは、「特定の食事や宿に限定した通貨」を発行するのと同義だ。回数券が売れた瞬間に、軍には「未来の役務提供」を担保にした現金の即時入金が発生する。
もちろん、有効期限切れに対する返金など存在しない。この「未行使利益」の回収こそが回数券の肝だ。
一度回数券を買った者は、「損をしたくない」という心理から、必ず軍が管理するSA/PAを利用し続けることになる。顧客の囲い込みだ。
さらに期限を絶妙に短く設定することで、旅人や商人の移動期間を「軍が意図する速度」に誘導する。物流の回転率を上げ、滞留を防ぐことで、既存施設の収容能力を最大化できる。
将来的には、回数券の利用記録を各拠点で記録し、誰がいつどこで消費活動を行ったかという「個人の動線情報」を収集する。これによって街道の混雑状況や移動の障害を特定できる。理想は時間帯別の混雑予測だが、さすがにそこまでやるにはまだ演算装置が足りないだろうな。
「……少尉さん? なんだか、すごく怖い顔で笑っていますけど」
「いや、効率的な運用を想像していただけだ。君には現地調査から始めてもらいたい、念のため警備隊を付けるので安心して欲しい」
「少尉さん。ありがとうございます」
純粋な善意で仕事をする。理想的な「外部演算装置」が、また一つ増えたな。
彼女が帰る前に白い部屋の聞いてみた、彼女の願いは趣味のソロキャンプだった。持ち込まれたのは、直火で使えるチタンマグカップと小型焚き火台。
……デジタル体温計と血圧計を持ち込み数日でバッテリーが切れゴミになった元看護師の現聖女よりは、マシだろう。
俺は、特別監察室に戻り、俺流の口コミの計画書の作成を始めた。
現在、SA/PA(休息所)には、物流網の利点を活かして遠方の街でしか手に入らない貴重な薬なども試験的に配備している。
「食事回数券の利便性」や「休息所の薬で命を救われた」といった物語を、市井の吟遊詩人や軍お抱えの語り部たちの物語に組み込ませ、意識的に流布させる。
「有効期限が切れる寸前に休息所へ駆け込み、そこで供された最高のスープと特効薬によって一命を取り留めた騎士の物語」などは、大衆受けも良く、システムへの依存度を高めるには格好の題材だろう。
高評価を得た店には、軍が「公式推奨」の盾を貸与し、店頭に掲示させる仕組みも面白い。
人流を意図的に優良店へ誘導できれば、店側はその盾を維持するために、軍への協力を惜しまなくなる。
民間への支配力を高めるのに、必ずしも武力は必要ない。情報の格付けさえ握れば、民衆は自ら「望ましい行動」を選択するようになる。
……もし、この「格付けと噂(口コミ)」の仕組みが成功した場合、参謀本部はこれを「軍が意図した方向へ世論を自発的に誘導するための手順」として確立させるだろう。
民衆が自発的に語っていると思い込んでいる言葉が、実は軍の設計したひな形に従っているだけ……という歪な構造。
むしろ、これが最も人道的な支配であると自分に言い聞かせた。
参謀本部の方針は、俺が判断すべき領域ではないし、俺の設計が正常に動作している証拠でもある。事務屋の仕事は、あくまでシステムを最適化し、停滞という名の不具合を取り除くことにあるのだから。
俺は、俺の覇権国家計画に必要なことをやるだけだ。
むしろ俺がやっていることは、むしろこれは民主主義の強化だ、と自分に言い聞かせた。「ギルドの歴史や家柄」といった不透明な権威ではなく、「客の満足度」という数値を権威に据える。そうすれば質の悪い店は自然淘汰され、応対品質の均質化が進む。
不透明な権威ではなく、数値化された評価を基準に民衆が行動する。そこに恣意はない。
——設計者である俺の意図を除けば。
いつの間にか背後に中尉がいた。
「少尉。楽しそうですね」
中尉は何故いつも、気配を殺して俺の後ろから話しかけてくるんだ?
さすがに怖くなってきた。
試験運用開始から二か月後。
順位掲示が始まった直後、予測されていた事件が発生した。
南門の超大型物流倉庫、その敷地内に設置した投票箱が盗まれたのだ。
——数日後。俺の元に、簡潔な報告書が届いた。
老舗のパイ屋台と店主は、世界から消えた。
それ以降、投票箱に触れる者はいない。
読んでくださり、ありがとうございました。




