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覇権国家計画  作者: 納豆
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第22話:パンとサーカス


特別監察室は参謀本部の奥、より広い場所へ移動した。出入りする人数も増えた。といっても、俺の部下が増えたわけではない。

あの逃亡者の件以来、俺を取り巻く物理的な「原価」が跳ね上がったからだ。


以前は最低二人の護衛で済んでいたが、現在は二個分隊が交代で張り付いている。

二十四時間体制の完全監視。もはや護衛というよりは、俺という「重要資産」が破損・盗難されるのを防ぐための動態管理に近い。


警護にあたる分隊長の階級は曹長だ。階級の上では少尉である俺の方が上だが、警護部隊の運用に関しては、任命された責任者に独立した指揮権がある。専門外の俺が口出しできる領域ではない。


特に、泥をすすって生きてきた現場叩き上げの曹長と、実務経験が紙の上だけの若手士官(事務方)という構図は、組織論的に見れば摩擦係数が最も高い組み合わせだ。


だが、現代社会で組織の歯車をやっていた俺は、経験豊富な下士官を立て、敬意という名の潤滑油を注ぐのが「士官の処世術」であることを熟知している。


「誠にありがとう、曹長。今日も抜かりない警備だ」


毎日の挨拶は、手抜かりをなくすための点検表と同じで、欠かしてはならない基本手順だ。


「……少尉殿、任務ですから。ただ、参謀本部から移動する際は左右を固めさせていただきます」


曹長は事務的な口調で応じるが、その目は俺の体調や周囲の不審物を冷徹に確認している。

俺を「人間」としてではなく、守るべき「重要資産」として扱っている。その徹底した意識には、とても好感が持てた。


曹長より、不審物検分済みの定時巡回警備隊の運用報告書を受け取る。


定時巡回警備隊の運用開始から二か月。細かな調整は発生しているものの、順調と言ってよい稼働状況だ。新街道の敷設も屯田兵の増強により、予定より早く進捗している。


本来なら、東部に広がる平坦な大地を農地へと返還すべく開拓を進めたいところだが、あちらは魔物の活動密度が高い。軍の討伐隊も苦戦しているようだ。一方、制御不能な環境破壊者のガキ(勇者)は、正反対の西の国境付近で暴れ回っているらしい。


勇者を最後に見たのは、三年ほど前だったか。そろそろ寿命が尽きる頃ではないかと、俺は帳簿の減価償却を確認するように、彼の余命を推測していた。


よく晴れた、ある日。


「少尉。参謀本部より、行商人の相談を受けよとの指示です」


特別監察室に入ってきた中尉は、まるで箱の中の虫がどう動くかを観察するような、無表情な好奇心をその瞳に宿していた。


……反論する気にもならなかった。

特別監察官の本来の任務からは、完全に逸脱している。なぜ俺が一介の行商人の相談などに時間を割かなければならないのか。


「少尉。行商人と言っても、『先人異世界人』の民間人です。相談というより、帝都で定期開催されている市場の改善歎願ですね」


なるほど、それなら話は別だ。

現代人の視点から見れば、この世界の市場は脆弱性の塊だろう。通路は狭く、混雑は群衆事故の予備軍だ。騒音、マナー、出店者同士の喧嘩といったことも無視できないだろう。

俺はこれまでインフラ整備に忙殺され、市場の改善は手つかずの状態だった。


それに、市民目線の異世界人から意見を吸い上げれば、軍の現金収入を最大化させる新たな事業のヒント——あるいは、新たな徴税の口実が見つかるかもしれない。


異世界人とはいえ、民間人を特別監察室に招き入れるわけにはいかない。俺は軍の別棟にある、殺風景な来客用会議室で面会することにした。


扉を叩く音がして、入ってきたのは、日に焼けた肌と実直そうな目をした男だった。歳は四十くらいだろうか。


「お忙しいところ、すみません。……あんたが、噂の少尉さんかい?」


どんな噂なのかは聞かないことにする。


男の話をまとめると、行商人は市場での自由販売権こそ認められているが、既存のギルドや用心棒まがいの既得権益者によって、集客の見込めない僻地へ追いやられているという。


「少尉さん。フリーマーケットみたいに、当日の場所割りを抽選にできませんかね?」


それは俺も考えたことがある。だが、既存の市場において「場所」は数世代にわたるギルドの特権だ。新規参入は物理的・政治的に封殺される。


であれば、取るべき工程は一つ。既存のシステムを改修するのではなく、「軍主導の新規市場」を構築すること。

定期馬車の浸透により、帝都の流入人口は右肩上がりだ。人が増えれば、既存の商会だけでは需要を捌ききれず、この男のような行商人も溢れかえる。


男は、元古物商だと言った。だが、骨董品や古い家具を愛でるような情緒的な系統ではないようだ。


「要するに、“需要の先回り”で利幅を抜く商売か。……俺と同じだな。規模が違うだけで」


「少尉さん。違いますよ。私は“価値が上がる前に買っている”だけです。

——あなたが国でやっていることを、個人でやっていただけです」


俺は、ほんの一瞬だけ「否定したい衝動」が出たが、返す言葉を選ばなかった。


男は白い部屋で大切な金を失いたくない、と願ったそうだ。そして、その手には銀行通帳と印鑑が握られていた。支店はもちろん、ATMすら存在しないこの世界を知った時の絶望は想像するまででもない。


その後、彼には現在の市場に巡回警備を増員することを約束した。将来的に既存の市場では対応しきれないと判断されれば、軍主導の新市場を開設する可能性は否定できない、と結論を濁して面談を終えた。


しかし、俺が気になったのは、元古物商の話だけではない。男は行商人にしては荷物が異様に少ない。それに、人ではなく周囲の“流れ”を見ている目をしていた。一応、中尉に報告をしておこう。


俺は、特別監察室に戻り、元古物商の話から得た、「空間の先物取引」という概念を帝都の土地に植え付けるための計画書の作成を始めた。


脳内では「軍主導の新規市場」の設計図が立ち上がっている。いや、それは単なる市場ではない。「軍主導の複合娯楽施設」だ。


劇場や食事処、的当てのような射幸心を煽る施設。さらには富裕層向けの宿泊施設を併設し、そこで実験農場の「改良果実」を提供する。

客をその空間に滞留させ、消費効率を最大化する。


この世界には存在しない、一大テーマパークを帝都に出現させるのだ。


これにより、貴族や大商会、果ては教会関係者すらも引き込み、彼らに特等席という「空間の先物取引」を毎週売りつける。軍の現金収入が爆発的に増加することは、確実だ。


「価値が発生する前に売るからこそ、損失もまた売れる」


特等席の権利を嵐で無に帰しながらも、貴族たちから資金だけを確実に吸い上げる。

さらにその収益構造を地方貴族に提示し、新街道の敷設権と建設費を肩代わりさせる。帝国の財政支出を最小限に抑えつつ、物流という名の毛細血管を全土に張り巡らせる。


地方の人口減少は絶対に防がなければならない。覇権国家計画は、大国全体の発展が必要だ。


「少尉。今度は『パンとサーカス』ですか」


俺の背後に立つ中尉は、次にどんなエラーを吐くか、無表情に、それでいて機能的に心待ちにしている顔だ。


相変わらず酷いこと言う、俺は愚民化政策を進めている訳じゃ無いぞ。


確かに帝都の民衆やギルドの中には、新街道を税の無駄だと言うやつもいるが、街道が整備され定期馬車が走り遠方の商品や薬、手紙が直ぐに届き、人も増えているというのを分かりやすくしているだけだ。


「中尉、元古物商の男と話しましたが、違和感がありました。上手く説明できませんが、あれは、市場の話をしに来たというより、何かの“流れ”を見ている目です。」


「承知した、少尉。」


中尉の目が、観測対象の『不純物』を見逃さない、検品員のような冷徹に研ぎ澄まされた目に変わった。



元古物商の男とは、あの後も会うことは無かった。そして中尉も、ここ二週間ほど特別監察室に来ていない。いつもなら最低限の伝達があるのに、それすら無い。まるで“こちらを切り離した”ような動きだ。


深夜。


俺は、参謀本部より待機命令を受け特別監察室にいる。部下たちは、とっくに帰宅している。今は護衛の分隊だけだ。


特別監察室の扉が音もなく開き、中尉が入ってきた。


「少尉。確認してください」


中尉から手渡された数枚の報告書。

沿岸の村、元古物商の誘拐、他国工作員との交戦、風に向かって進む、鋭い三角帆の船。


「……バミューダ・リグ。三角帆で風を切り裂く、高速帆装だ」


現代ヨットの知識。それを他国が、あるいは他国に属する「異世界人」が実用化している。


ダクロンやカーボンといった素材が使えないこの世界で、いかにして風の圧力に耐える帆を作り上げたか。シルクの積層か、麻テープによる格子状の補強か。


帝国海軍にも同様の船舶は存在している。ただ俺は、具体的にどの程度まで再現されているのかは知らされていない。参謀本部から海軍の監察は不要と言われている。


「少尉。海軍軍令部は、技術流出は絶対にない、と言っています」


俺は報告書から目を上げた。

海軍軍令部には、俺たちのような「現代の知識をかじっただけの素人」とは一線を画す、ガチの造船専門家がいると聞いている。


元古物商の男の顔が浮かぶ。“流れ”を見ていた目。

あの男は『価値が上がる前に買っている』と言った、じゃ売り先はどこだ?


「……中尉。本当に、彼は“さらわれた”のですか」


「判断は、参謀本部が行います」


参謀本部と海軍軍令部は、今頃、責任の所在を擦り付け合っているはずだ。


あの男は、陸軍と海軍。その境界線という名の「空間の隙間」を利用したのかもしれない。



読んでくださり、ありがとうございました。

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