第195話:世界大戦 その八十六
比帆諸島帝国領地、海軍庁舎士官室。
『合衆国』との実査会議が終了して以降、俺と教導大隊の四百名には、依然として待機命令が下されたままだった。
『合衆国』の技術将校と外務官たちは、未だこの帝国領の島に滞在しているが、その警備任務すら出されていない。もっとも、海軍庁舎の警備を陸軍所属の教導大隊が担当するというのも、それはそれでおかしな話ではあるのだが。
このまま北の海で引きこもることが可能なら大歓迎だが、待機命令が出ている以上、近いうちに何かが起こるのは容易に想像できる。
そして、悩みと言うほどではないが、煩わしい事態も発生していた。海軍艦型試験池の大佐殿が、毎日俺を食事に誘ってくるのだ。
もちろん、海軍の食事は旨い。参謀本部の士官食堂でも、実験農場で作られた新鮮な野菜と特別飼育肉を食べることができる。しかし、海に面していない陸軍の食堂には海鮮がないのだ。
海軍では戦意維持のためにも「唯一かつ最大の娯楽は食事である」という方針が徹底されており、陸上の庁舎の厨房であっても設備自体が陸軍とは異なる。
「街道大尉。お前ほどの男をくすぶらせておくのは惜しい。我が海軍なら、相応の地位を用意できる」
毎日、旨い食事を無料でいただけるのは嬉しいのだが、対面に座る大佐殿から毎回同じことを言われているのだ。
万が一にも大佐殿の下に付くことがあれば、新兵器の実戦評価試験のために前線に連れて行かれるのは既定路線である。
少佐がいれば適当に話を振ることもできたのだが、あの男は二度目の食事会から、まるで狙ったかのように食事の時間になると士官室から消えるようになった。
俺は平身低頭、心にもない謙遜を並べ立てて、連日体よくその申し出を断り続けていた。旨い飯で胃袋を掴まれかけはしたが、命の重さには代えられない。
そんな皮肉な攻防が続いていたある日、士官室の扉が静かに開き、少佐が入ってきた。
少佐は、未承認の決裁欄を差し出す時のように冷たく引き締まった表情のまま、一枚の報告書を机に滑らせた。
「大尉。『霧宮王国』が、比帆諸島連邦の領海付近において大規模な軍事演習を行うと、周辺国に通知を出しました」
俺は机に置かれた書類に目を落とした。演習に参加するのは総数で五十隻以上。新型のスクリュー式蒸気戦艦や大型輸送船、揚陸艦も含まれている。
「少佐。……これは演習という規模ではないですね」
(……霧宮も帝国と同じく、スクリュー式蒸気戦艦を艦隊で運用できるほどに量産しているのか。少なくても海軍戦力なら『合衆国』を確実に上回っているな)
俺は脳内で『比帆諸島』と『霧宮王国』の歴史を整理した。
もともと、この比帆諸島は『比帆諸島連邦』という一つの国家だった。だが、内部の激しい政治対立から一部の島々が分離独立を宣言し、『比帆諸島共和国』を設立(第88話)。内戦状態へと突入した。
その泥沼の内戦の終戦直前、連邦内部で海軍を中心とした軍事武力蜂起が発生。敗北した海軍派の残党勢力は国外へと逃亡し、『霧宮王国』へと亡命した。そこで彼らは『自由比帆諸島』の設立を宣言したのだ(第96話)。
その後、彼らは『合衆国』の陰からの支援を取り付け、故郷奪還を目指して大規模な解放戦を仕掛けたものの、途中で合衆国が梯子を外し、後ろ盾を失ったことでその勢力は事実上消滅した(第167話)。
(始まりは連邦内部の権力闘争と独立運動だったはずが、気づけば列強の代理戦争の舞台に仕立て上げられ、切り捨てられていった歴史だ)
元々、帝国への編入を目指して設立されたのが『比帆諸島共和国』だ。今も政治的な調整は続いている。そして『比帆諸島連邦』の反帝国組織であった『自由比帆諸島』はすでに消滅している。
現在、比帆諸島連邦と比帆諸島共和国、そして帝国の関係は友好的だ。
俺はもう一度、『霧宮王国』の軍事演習予定が記載された書類を見つめた。
「少佐。霧宮が連邦領海付近に集めている艦隊が、演習ではなく連邦への上陸を目的としていた場合はどうなりますか?」
「大尉。単純な戦力で言うならば、連邦に勝ち目はないでしょう。沿岸砲の射程より、霧宮の砲艦の方が射程が長いと推定されています」
港を抑えられ、首都島に上陸されてもすぐに占領とはならないだろう。それに海上を封鎖すれば共和国も必ず参戦することになる。そして両国に『平和維持活動(PKO)』の名目で介入してきた無関係ではいられなくなる。
霧宮の目的は、世界中で意図的に代理戦争や軍事危機を引き起こし、『戦争そのものを国際社会の均衡装置』として機能させること。参謀本部が断定しているのだから、これは間違いない。
今までも、霧宮が直接参戦したことはない。
――今回は、どちらだ。
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