第190話:世界大戦 その八十一
帝国東部、帝都行き軍用列車。
鉄錆と煤の匂いが、逃げ場のない狭い車内に充満していた。
整備が満足に行き届いていないこの蒸気機関車の客車は、軌道が狂っているのか、不規則で暴力的な揺れを繰り返していた。
乾いた音を立てて激しく震えたかと思えば、次の瞬間には車体ごと底から突き上げられるような横揺れが襲う。そのたびに身体は不揃いに左右へ揺さぶられ、天井の魔導灯が不快な金属音を軋ませながら大きく弧を描いた。
俺は座席に深く体を預け、車窓を流れる荒野の景色を眺めた。前線の塹壕の中で砲弾が頭上に落ちないことを祈る毎日に比べれば、この程度の揺れは大したことではない。
「大尉。安堵しきったその顔、随分と分かりやすいですね」
対面に座る少佐が、手帳から視線を上げずに言った。
「隠す気はありませんよ、少佐。ようやく安全な後方任務に戻れるのですから」
思い返せば、俺はあまりにも不衛生で食事がまずいこの世界に耐えきれず、軍に志願した。その後は旨いものを食べるために農地改革を行い、辛すぎる移動が嫌で道路整備を行った。
すべては自分の安全で快適な生活のためにやってきたことなのに、いつの間にか『街道』の二つ名で呼ばれ、戦争が始まればプロパガンダによって英雄にされてしまったのだ。
だが、後方任務に戻っても安心はできない。次にやるべきことは、安全な任務の継続だ。
前線では「新型蒸気機関式無限軌道掘削車」と「蒸気機関式無限軌道心土破砕車」が随分と役に立った。量産化のために工廠都市の監督という名目で戻るか。あるいは、実験農場で高級葡萄酒でも作るか。
(……いや、流石に『葡萄酒を作ります』は無理があるな)
「大尉。思いにふけっているようですが、参謀本部の評価は『師団規模の敵から機密兵器回収を成功させた大戦果』ですよ。前線将校のお墨付きもあります」
「少佐。不吉なことは言わないでください。偶然が重なっただけです。だいたい前線将校に面識など……あっ」
俺は口を閉ざし、頭を抱えた。
あの前線陣地の連隊長殿か。確かに戦功を上層部へ報告すると言っていたが、「前線を見捨てて逃げた」などと言われないために良好な関係を作ろうと手渡した高級葡萄酒が裏目に出たのか。
たかが葡萄酒一箱でそこまで忖度するはずがない……と思いたいが、どこで間違えたのだろうか。
――帝都到着。
俺は、回収した新型陸戦砲の構成部品を参謀本部の輸送班へ正式に引き渡した。教導大隊には、次の任務が下るまでの待機命令が発令された。
――帝都、中央大通り。
久方ぶりに戻った帝都は、記憶の中の姿と寸分違わず同じ速度で穏やかな呼吸をしていた。あの前線のような、泥と硝煙の匂いは存在しない華やかな日常だ。
陽光に照らされた石畳を、穏やかに着飾った家族連れが行き交う。露店の菓子売りが差し出す甘い匂いのする包み紙を、幼い子供が両手で受け取り、満面の笑みで破顔する。
大通りの一角では、女たちが新しく入荷した鮮やかな絹布に指を這わせ、色味を確かめながら華やいだ声を上げていた。その傍らで商人たちは、戦時景気に乗じようと忙しなく動き回っている。
賑わう広場の掲示板の前には、古い新聞の英雄譚をじっと見つめる若い青年の姿があった。戦況の文字を追う彼の目には、まだ見ぬ戦場への盲目的な憧れが宿っていた。
(東部前線の英雄は、組織的に運用される列車砲なんだけどな……)
前線では線路敷設が遅れ、補給がままならないというのに、帝都には絹や贅沢な物資が溢れている。兵站の致命的な偏りと戦時統制を冷ややかに分析しつつも、俺は束の間の平和な空気に気が緩みそうになっていた。
――その時だった。
カン、カン、カンと、それまでの喧騒を切り裂くように規則的な鐘の音が通りに響いた。
大通りの端で、大勢の市民が膝をついて頭を垂れている。彼らの視線の先には、金糸の刺繍が施された帝国軍旗に包まれた棺を乗せた馬車の列が、静かに通り過ぎていくところだった。
「戦死者遺列、か」
華やかな日常のすぐ足元に、確実に戦争の死影が落ちている。前線とは違う形で、この帝都もまた等しく狂った戦時下なのだ。
――数日後、帝都参謀本部、特別監察室。
「大尉。新兵器開発部門から、先日の鹵獲品に関する分析報告が届きましたよ」
少佐が、分厚い報告書を机の上に置いた。
俺はすぐに書類を開いた。
――『今回回収された新型陸戦砲の部品を分析した結果、赤旗国軍が使用していた新型砲には、少なくとも二系統が存在することが判明した』
一つは、かつて『豊浦王国』(第52話)で確認された陸戦砲と構造・規格が酷似している。これにより、『霧宮王国』製であることがほぼ断定された。
だが、問題はもう一つの方だ。
もう一つの陸戦砲の残骸から検出された加工精度と金属組成は、明らかに『合衆国』の技術体系に属するものだった。
『合衆国』は、『赤旗国』と敵対しているはずだ。比帆諸島の一件で、両国は事実上の戦争状態(第163から第170話)に等しい。なぜ、『赤旗国』軍が使用しているのだ。
敵の敵は味方――そんな単純な図式は、もはやこの世界のどこにも通用しないのかもしれない。
読んでくださり、ありがとうございました。




