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覇権国家計画  作者: 納豆
18/32

第18話:救貧院


小国との戦争が終結し、二カ月が経過した。


俺が細かく指示を出さずとも、農場の運営や街道の整備はそれなりに回るようにはなっていた。だが、システムが自律し始めたゆえの弊害も出ている。現場の「指示待ち」と、役所の「予算承認待ち」による停滞だ。


前例のない事態に対し、官僚組織は驚くほど脆い。新しい施策が、紙の束の間で窒息しかけていた。


それに、後方とはいえ戦場を「実体験」したことで、書類上の数字だけでは見えてこなかったバグも露呈した。


例えば、保存食や馬具の消費速度だ。

通常巡回であれば予測モデル通りに推移するが、実戦――特に撤退戦や強行軍においては、その消費量は予測を容易に超えてくる。兵士たちは機動力を確保するために「荷物を捨てる」からだ。


「……少尉。予測精度の向上を待つより、供給能力そのものを底上げすべきかと」


中尉の進言はもっともだが、帝国内に今すぐ新たな軍専属の拠点(自社工場)を築くのは、予算的にも工期的にも非効率だ。

ならば、既存のリソースを流用するしかない。それも、軍の枠組みの外にある施設を「外注」の形で。


俺は目を閉じ、今まで見てきた施設と人物を頭の中のから呼び出す。

——聖女だ。元看護士の彼女が管理する、教会運営の救貧院。


この世界の救貧院は、現実の中世のような劣悪な環境ではない。自立困難な貧困者や孤児たちに食事と寝床を提供する、貴重なセーフティネットだ。だが、その実態は寄付と税金に頼った、自転車操業のボランティア組織に過ぎない。


軍や予備工兵が消費する「保存食のパッキング」、消耗が激しい「馬具の修理」、そして「制服や土嚢用麻袋の縫製」。これらを救貧院へ、民間相場の最低金額で発注する。


それは社会福祉コストを、生産コストへと強引に転換することを意味していた。

教会には運営資金が入り、収容者には「労働」という名の賃金が与えられる。そして軍は、固定資産(工場)を持たずに弾力的な供給ラインを手に入れる。


慈善事業を「軍事サプライチェーンの一部」と再定義するのだ。


三者が得をする、完璧なソリューション。だが、その「効率」の裏側に、慈愛の場を軍靴で踏み荒らすような冒涜が潜んでいることに、俺は気づかない振りをした。


「少尉、そんなに笑って。また悪だくみを思いついたのですか」


中尉が、ただ温かく見守るような顔で声をかけてきた。

俺は笑っていたのか。まだ戦場の、あの焼け付くような効率の追求(高揚感)が残っていたようだ。手の震えは、いつの間にか止まっていた。


早速、使いを出し、聖女との面談を調整した。

既に教会本部を通した事務手続きは始まっているが、彼女と直接会うのは久しぶりだ。


当日。俺は中尉と供に、手土産を抱えて現地へ向かった。


教会本部は、眩いばかりの白亜の石材で築かれた大聖堂を冠していた。高くそびえる尖塔、ステンドグラスから溢れる極彩色の光。神の威光を物理的な質量で示したかのような威容だ。


だが、そこから少し離れた場所にある救貧院は——品の良い言い方をすれば、極めて質素な建物だった。


壁の漆喰は剥がれ、隙間風を塞ぐための補修跡が痛々しい。本部が大聖堂なら、ここはさしずめ忘れ去られた納屋だ。同じ教会の名を冠しながら、この凄まじいまでの「格差」はどうだ。


事務屋の目で見れば、これは信仰の問題ではない。悪質な「資産の偏り」と、メンテナンスコストの放棄だ。


視察に訪れた俺を、聖女はいつもの穏やかな、どこか浮世離れした微笑みで迎えた。


「これ……、私がいただいてもよろしいのですか?」


差し出した花束と果実の籠を、彼女は戸惑いながら受け取った。

「ええ。日頃の感謝です。施設の方々で分けてください」


根回しと贈答。社会人の、あるいは事務屋としての「円滑なコミュニケーション」の定石だ。心理的拒絶を和らげ、本題を切り出しやすくする。

だが、聖女は果実を愛おしそうに見つめ、困ったように頬を緩めた。


「ありがとうございます。……でも少尉さん。この果実、最近とても甘いと評判の品種ですよね? 帝都の貴族の間では、驚くような金額で取引されていると聞きました。そんな貴重なものを、私たちのような場所に……」


「……いえ、あくまで試作品です。市場に出る前のデータ取りの一環ですから、気にしないでください」


嘘ではない。糖度と収穫量の相関関係を調べるためのサンプルだ。だが彼女はそれを「自分たちのために工面してくれた贅沢品」だと解釈したらしい。感謝を通り越した「信頼」が瞳に灯る。俺は居心地の悪さに目を逸らした。


「少尉さん。……本当に、あなたは心のお優しい方ですね」


彼女の言葉に、俺は手に持った書類——救貧院ごとの「生産割当表」と「納期遵守率」のリスト——を、思わず隠した。


「優しい? ……俺が、ですか」


「ええ。戦後、職を失った者や、行く当てのない老人たちのために、これほど多くの『お仕事』を紹介してくださるなんて。普通、軍の方はもっと威圧的で、私たちのことなど目にもくれないものです」


聖女は、ホールで布を縫う老婆たちや、麻袋を詰める子供たちを愛おしそうに見つめている。

彼女の視界にあるのは「救済事業」だ。だが、俺の視界にあるのは「未活用リソースの低コスト運用」に過ぎない。


「……組織的な業務の再配置です。彼らには適正な賃金を支払いますし、救貧院の運営費もこれで安定するはずですから」


俺は乾いた喉を鳴らし、言葉を濁した。

本当はこう言うべきなのだ。

『彼らが縫っているのは、次に誰かを殺すための制服だ。これは福祉ではなく、戦争というシステムを維持するための歯車だ』と。


だが、彼女の誤解を解くことは、この「効率的なプロジェクト」を台無しにする。彼女が「国内の仕事を同郷人と言う理由で紹介してくれる親切な軍人さん」を信じて微笑んでいる限り、救貧院の労働力は安定し、管理コストも最小限で済む。


「少尉さん、また何かあればぜひ相談してくださいね。神様も、あなたのこの尊いお仕事を、きっと見ておいでです」


「……ええ。また、伺います」


早々に立ち去ろうと踵を返した、その時だった。

「あ、おじちゃん! また来てくれたの!」


バタバタと駆け寄ってきたのは、以前外壁補修の立ち会いで来た際、少しだけ端材を触らせてやった子供だった。俺の軍服の裾を掴み、満面の笑みで見上げてくる。


「わあ、すごい! おじちゃん、ぼくね、教えてくれた『お仕事』、がんばってるんだよ。袋詰め、楽しいよ!」


小さな、少しだけ汚れた手が、俺の手の甲を包み込む。その温もりは、書類やコンクリートには決して存在しない、生々しい人間としての熱を持っていた。


「……そうか。効率よく、丁寧にやるんだぞ」


「うん! ぼく、いっぱいお仕事して、聖女様を助けるんだ!」


子供の無垢な決意を聞きながら、俺の指先は冷たくなっていく。


子供が「楽しい」と詰めているのは、前線の兵士が血に汚れた手で開封する戦闘糧食だ。この子供が「聖女様を助ける」と信じている作業は、軍事予算を削減し、物資を効率的に戦場へ送り込むための「機能」の一部に過ぎない。


「少尉さん、おじちゃんも一緒に食べようよ!」

子供たちの催促と、聖女の逃げ場のない微笑み。俺が「予定がある」と断ろうとした瞬間、茂みの奥で珍しい虫を見つけた少年のような、爛々とした瞳の中尉がそれを遮った。


「少尉。三十分ほどなら余裕がありますよ」


(……あいつ、わざと言ってやがるな。)


結局、全方位から服の裾を引かれ、強行突破は不可能だった。

救貧院の古びた長机に、俺が持ち込んだ「試験農場の選抜種」が並べられる。聖女がナイフを入れると、断面から溢れる蜜の香りが部屋を満たした。


「はい、少尉さん。一番大きなところを」


一切れ口に運ぶ。暴力的なまでの甘み。だが、俺はその味の正体を知っている。

実がつき始めた瞬間に窒素肥料を控え、収穫二週間前から灌水を遮断して糖度を凝縮させる。さらに周囲に白塗りのコンクリート板を配置し、反射光で光合成を限界まで加速させている。


仕上げは、街道整備で余ったコンクリートの蓄熱を利用した「ヒートアイランド現象」の応用だ。夜間の代謝を維持し、植物の成長を促す。


これは自然の恵みなどではない。俺が「現代の農業工学」を総動員し、土壌と植物に強制労働を強いて絞り出した、計算済みの成果物だ。


「おじちゃん、これ魔法の果実なの?」

頬を膨らませた子供に、俺は苦笑いを返す。

「魔法じゃない。ただの理屈だ。水の絞り方を変えただけだよ」


『貴族への賄賂用、あるいは領主への技術供与による利権確保』。

それが、俺がこの研究に没頭した本来の目的だ。いずれこの技術をパッケージ化し、高付加価値農業による経済圏を掌握する——。そんな黒いロードマップが、俺の中には既に出来上がっている。


だが、聖女はまたしてもそれを慈愛のフィルターで上書きした。

「……こんなに甘いものを作られたのは、きっと食べた人を笑顔にしたかったからですね。少尉さんの研究は、いつも誰かの幸せに繋がっています」


「……。……そう見えるなら、もうそれでいいです」


果実の甘さは、そのまま俺の罪悪感に比例している気がした。


否定する気力も失い、最後の一片を飲み込んだ。

その間、中尉は一言もしゃべることなく無表情のまま食べていた。


「おいしいですか? 少尉さん。これを作ってる人たちに『ありがとう』って言っておいてね!」


無垢な感謝が、喉に詰まる。

俺が「効率」を追求すればするほど、世界は豊かになり、そして同時に、人々は俺の管理するシステムの中に絡め取られていく。


「……ああ。また、仕事の進み具合を確認しに来る」


『仕事』という言葉を、子供たちは『遊びに来る』という約束だと受け取ったようだった。

救貧院の門を出た瞬間、風がひどく冷たく感じた。


「少尉。……あの仕組みは、うまく機能していますね」


「……ええ」


与える側と、奪う側。救う側と、利用する側。


本部が大聖堂に贅沢を尽くしている間に、俺はこのボロボロの救貧院を、最新の効率を誇る軍需デポへと作り変えてやる。それが、ここを維持するための唯一の、そして最も残酷な最適解だった。


読んでくださり、ありがとうございました。

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