第17話:コンビニ
戦争の準備が始まった。
わずか二ヶ月での開戦。参謀本部の下した判断が、果たして国家として正しいのかどうか、俺には分からない。いや、俺が判断すべき領域ではない。
今の俺は軍人だ。そして自分の快適で安全な隠居生活を守るために、この帝国という巨大なシステムの一部になった。ならば、与えられた役割を合理的に果たすだけだ。
自分に言い聞かせるように、俺は喉までせり上がってきた「鉄の味」を飲み込み、覚悟を決めた。
相手の小国に、異世界人が関わっていることは確実だ。
だが、今回ばかりは俺が戦場で直接役に立つことはないだろう。東部反乱軍の時とは違い、相手の異世界人が戦場という「アナログな暴力の場」に直接姿を現す可能性は極めて低い。
奴は、安全な後方からシステムにウイルスを流し込み、帝国の論理的自壊を待つタイプだ。
前線に出る必要はない。そう結論づけ、頭の中で「従軍拒否」の論理を完成させていた俺に対し、中尉の言葉は、そのすべてを無慈悲に否定した。
「少尉。……現代人しか認識できない『攻撃』に対して、即座に対応する必要があります。当然、あなたも従軍ですよ」
中尉の笑みは、処理の終わりを待ち望むような、効率的で残酷な輝きを放っていた。
国境から数キロ後方に設置された臨時作戦司令部。
俺の戦場は、硝煙の匂いも馬のいななきも届かない、静まり返った石造りの一室だった。
現在、小国との国境近く。俺は工兵大隊と臨時招集された屯田兵(予備役工兵)たちと共に、仮設巨大PAの建築指導という任務に就いていた。
工兵大隊長の中佐は、俺の図面を一瞥すると何も言わず判を押した。
周囲には、戦場の高揚感など微塵もない。聞こえてくるのは、怒号ではなく、槌音と測量の掛け声、そしてひっきりなしに続く馬車の車輪の音だ。
俺が主導した「規格統一」の成果は、ここでも発揮されていた。補給部隊の馬車の大半はすでに設計が標準化されており、仮設PAの荷降ろし用プラットフォームは、それらの荷台の高さにセンチ単位で合わせて構築されている。
「……少尉。この街道の舗装、さすがに無理をさせすぎではありませんか?」
中尉が、足元の「路面」を指差して言った。
仮設巨大PAへと続く街道は、地ならしが完了するのを待たず、強引にコンクリートが流し込まれていた。しかも、乾燥して硬化する前に大量の重装馬車を走らせたせいで、路面には深い轍が刻まれ、至る所にゆがみやひび割れが発生している。
「……構いません。見た目の美しさは不要です。泥濘に車輪を奪われて進軍が一日遅れる損失に比べれば、舗装のメンテナンスコストなど誤差のようなものです」
俺は手元の進捗表にチェックを入れた。
ひび割れたコンクリートの上を、不格好に跳ねながら進む馬車の列。その効率を優先した「事務的な暴力」により、仮設巨大PAには日々、驚異的な速度で軍事物資が蓄積されていく。
国境沿いの緊張は、すでに臨界点に達していた。
ひとたび火蓋が切られれば、参謀本部はそれを「自衛」の根拠として進軍を開始するだろう。
小国の狙いは、明白な「遅延」だ。この地域に雪が積もることはないが、冬まで防衛戦を維持できれば、帝国の兵站が尽き、撤退へと追い込めるかもしれない。
国際世論を味方につけ、帝国の「侵略者」としての立場を孤立させる。それが、小国の異世界人が描いた、生存のための細い糸だろう。
参謀本部の狙いは、小国守備隊の即時無力化による早期降伏だ。
泥沼の占領戦を演じ、首都に乗り込んで強制的に話し合いのテーブルに縛り付けるような手間をかけるつもりはない。怪物は、ただ喉元を食い破り、抵抗する意志そのものを噛み砕こうとしている。
俺には高度な戦略など分からない。俺にできるのは、ただ効率的な補給網を敷くことだけだ。
作戦司令部から戻った中尉は、模範解答を待つ試験官のような、平坦で逃げ場のない笑みを浮かべていた。
「少尉。……あなたの知識(“現代的なインチキ”)で、補給部隊の補佐をしてください」
もう後戻りはできない。いや、最初からそんな選択肢は存在しなかったのだ。
不思議と、「鉄の味」が消えた。感情を排した事務処理のモードが、俺の脳を支配していた。俺は国境付近の地図を広げ、無機質な記号を書き込み始めた。
「まず、既存の『道』は無視します。軍がどのルートを辿るにせよ、ボトルネックとなる場所は予測可能です」
小国の狙いが遅延戦闘である以上、奴らは後退する際に必ず「橋」を落とす。
ならば、屯田兵たちにあらかじめトラス構造のパーツを規格化して作らせておく。現場でプラモデルのように組み上げるだけの「使い捨ての橋」だ。職人が数日かけて架ける石橋を、俺たちの工兵は数時間で上書きする。
次に、前線の部隊だ。俺は彼らを「動くコンビニ」と再定義した。
物流と鮮度管理を徹底した、多頻度小口配送。
一つの馬車に武器弾薬、土嚢用麻袋などの消耗品を混載し、別の馬車には戦闘糧食と飼葉を載せる。「単一品目の大量輸送」という、この世界の非効率な常識はすべて捨てさせる。
「さらに、配送ルートに『在庫管理用伝令』を定期巡回させます」
前線から「矢が足りない」と伝令が走り、後方で準備して届く頃には、その部隊は全滅しているか移動している。そんな情報の遅延による無駄を排除する。
前線の進軍速度に合わせて強行土木でルートを強引にこじ開け、小規模なデポ(集積所)を次々と設置する。そこで馬を交代させ、二十四時間「馬車が止まらないシステム」を構築するのだ。
「少尉。それは兵士たちに、文字通り休む暇も与えないということですね」
中尉の問いに、俺はペンを走らせたまま答えた。
「システムに休息は不要です。兵士が疲弊する前に、物資の暴力で敵を疲弊させる。……これは戦争ではなく、最適化された物流の強制執行ですよ」
俺が地図に引いた線は、もはや道ではなく、小国の命運を断ち切るための「ベルトコンベア」だった。
中尉は「正解だ」とでも言いたげな、完璧に調整された事務的な笑みで語った。
「少尉。小国守備隊は、あなたの『想定外の侵略スピード』を前に、降伏か、あるいは自暴自棄な資源破壊という選択を迫られることになります。……さて、どちらだと思いますか?」
俺は地図に引いた最後の配送ルートをなぞり、ペンを置いた。
「……どちらでも構いません。彼らが橋を落とせば予備のトラスを架け、物資を焼けば別ルートからの配送頻度を上げるだけです。彼らの抵抗は、俺の表計算上の『誤差』を数パーセント増やす程度の影響しかない」
中尉の笑みが、少しだけ深まった気がした。
「……参謀本部としては、降伏してくれた方が『清算』が楽で助かりますがね」
俺が求めているのは、武勲でもなければ、帝国の版図拡大でもない。
この煩わしい「特別業務」を最速で終わらせ、帝都の執務室でゆっくりとコーヒーを飲む日常を取り戻すことだ。
俺の視線の先では、工兵たちが、ひび割れたコンクリートの道を、軍靴で踏み固めながら突き進んでいた。
その足音は、もはや進軍の轟音ではなく、巨大な機械が規則正しく時を刻む、退屈で残酷な音に聞こえた。
俺は「多頻度小口配送補給部隊」の概要をまとめ計画書を書き終えた。
補給部隊の拠点は、怒号と馬のいななきが渦巻く、この世で最も騒がしい物流センターだった。
その雑踏の中で、俺は見覚えのある男の姿を見つけた。あの元トラックドライバーの彼だ。
「……腰の具合はどうだ」
「あんたこそ。……生きてたか」
互いの腰の無事を確かめるように、短く言葉を交わす。
現代の過酷な物流現場を生き抜いた同志が、この異世界の戦場に一人でもいる。その事実は、俺の張り詰めた神経を、数パーセントだけ弛緩させてくれた。彼は俺の計画書を一瞥し、すべてを察したように、ただ短く頷いた。
俺はそのまま、兵站長が座る簡素な執務机へと向かった
兵站長は差し出された計画書に視線だけを落とし、『本府より受領の報は届いている』とだけ告げた。
それ以上は何も言わない。
沈黙のまま、紙の上に落ちたその視線だけが、俺の論理を査定していた。
開戦一か月後、臨時作戦司令部にいる俺の手元に届いた報告書によれば、相手の異世界人による妨害は執拗だった。
街道沿いの水路には、本来なら畑へ水を引くための「水車」が、すべて逆向きに設置されていた。それが二十四時間、絶え間なく街道に川の水を汲み上げ続けている。俺たちが突貫工事で固めた路面は、強制的に「底なしの泥」へと変えられ、帝国の重い荷馬車は脱出不能なデッドロックに陥った。
馬車を迂回させようとした林道には、「釘付きロープ」が無数に張り巡らされていた。
ただのロープに釘を雑に付けた粗悪品だ。だが、それが馬の脚を裂き、工兵の機動力を物理的に奪い去る。この世界の人間には思いもよらない、低コストで高効率な「拒絶」の意志。
さらに、俺たちの「多頻度小口配送」を逆手に取った攻撃すらあった。
小国の民間に「帝都で流行している工芸品を軍が高く買い取っている」というデマが流されたのだ。
利益を求めて殺到する大量の牛車や荷車が、細い補給路を埋め尽くした。
敵兵なら斬り捨てればいい。だが、相手はただの「商機を狙った民間人」だ。彼らを力ずくで排除すれば占領後の統治コストが跳ね上がり、待てば配送ダイヤが死ぬ。システムの「優先順位」を正確に突いた、嫌らしいほどに合理的な嫌がらせだ。
だが、それらは誤差に過ぎなかった。システムは停止しなかった。
僅か四ヶ月後。
小国守備隊は「冬」を待たずして壊滅。王政は解体され、小国は自治を名目とした『保護国』へと姿を変えた。
それは帝国による完全な供給網の掌握であり、事実上の属国化を意味していた。
読んでくださり、ありがとうございました。




