第179話:世界大戦 その七十
帝国東部、新都市建設予定地。
要塞から蒸気装甲車で二時間。
地図上ではただの荒野だった場所に、すでに巨大な基礎工事が始まっていた。蒸気式掘削機が泥土を掬い上げ、杭打ち機が地面へ重厚な衝撃を叩き込み、蒸気の白煙が荒涼とした風に流れていく。
荒野そのものが、巨大な野外工場へ変貌していく過程を目の前で見せつけられているようだった。
(……本当に、街を一つ作る気だな)
装甲車の防弾扉を開けて外へ降り立つと、乾いた土と石炭の焦げ付く匂いが鼻を刺した。視界の端には、環山連邦から派遣された技術者たちの姿が見える。帝国式の安全帽と安全胴着を着てはいるが、歩き方や工具の扱いが微妙にぎこちない。
少佐は表情を崩さないまま、まるで新兵の骨格や資質を見定めるような冷徹な視線で、彼らを上から下まで眺め回した。
「大尉。建築作業員の大半は軍人ではないようですね。帝国製の蒸気式重機の扱いに慣れるには時間がかかりそうです」
「少佐。基礎思想が帝国と連邦では根本的に異なりますから、当然でしょう」
俺は、淡々と答えた。
鉄骨と天幕で組まれただけの仮設統括管理所には、帝国軍の工兵将校、兵站局の官僚、蒸気工学技術士官、そして連邦の技術者たちが並んでいた。中央の大型作業台には、巨大な都市計画図が広げられている。
兵站局長が指示棒を叩きながら説明を始めた。
「ここが蒸気機関式重機の主生産ラインです。連邦側には鋳造区画と熱処理区画を担当していただきます。そして……」
蒸気式機械の生産ラインは、帝国式の“制度”そのものだ。工程管理、圧力規格、安全弁の設計思想、部品の互換性――どれも連邦式とは根本的に異なる。帝国は、技術の提供という名目で連邦の設計思想を丸ごと塗り替えるつもりなのだろう。
「――なお、全体の工程管理および現場指導は、技術教導特務大隊が担当します。各区画は逐一報告をお願いします」
(……聞いていないぞ。俺は数時間前、参謀本部から『現場を少し視察してこい』と言われただけだ。なぜ毎回、一番厄介な役目を、事前通達なしの事後報告で押し付けられるんだ?)
俺は顔を引きつらせないよう注意しながら簡単な挨拶を済ませ、早々に天幕を後にした。
一通り工事区画を見て回ったが、作業員の「宿舎」が圧倒的に不足しているようだ。寝る場所がなければ、物理的に作業員を増やすことなど不可能である。
確か、かつて難民キャンプ設営で余った麻布プレハブ仮設住宅の資材が、第四要塞の地下倉庫に大量に保管されていたはずだ。
あれを手配するか。あとは……野戦浴槽積載重車輌も百台は欲しいところだ。まあ、さすがに百台は無理だとしても、俺の快適性のために最低一台は絶対に必要である。
「大尉。現場視察は、あなた個人の生活設備を確認するのが目的ではありませんよ」
少佐はいつの間にか俺の背後に立ち、手帳を覗き込んできた。相変わらず気配を消すのが上手い男だ。
「勘違いしないでください、少佐。野戦浴槽は作業員の衛生と健康管理、ひいては作業効率維持のために不可欠な設備です」
(周囲が泥と汗に塗れている中で俺だけが温かい風呂に入っていれば、余計な恨みを買って夜道で刺されかねない。立ち入り禁止区画が完成するまでは、作業員にも適度に風呂を使わせつつ、俺自身は要塞の士官室から通うとしよう)
今回も、特別監察室の権限を使って実験農場の果実を用意してある。二級品ではあるが、この殺伐とした現場で甘味を配られて感謝しない人間など存在しない。
ついでに兵站部からは、保管期限の切れかかった高純度ブドウ糖錠剤も回してもらった。
かつての敵国という意識のままでは、現場の円滑な意思疎通に支障が出る。役務賠償という名の押し付けから、「ともに街を作り上げる仲間」という関係性へ刷り込んでいくのだ。
そうして共通の課題――東部前線を支える軍事共同体として手を取り合う形を作ればいい。
参謀本部がどこまで連邦との長期的関係を計算しているかは分からないが、『東部戦線をあと三年防衛する』ことだけは確定した決定事項なのだ。
視察の合間、俺は連邦側の現場監督や技術者たちが集まる休憩区画へ向かった。
馬車の荷台から引き出させたのは、特別監察室から手配した二級品の果実と、兵站部から回収した高純度ブドウ糖錠剤の箱だ。
「連邦の諸君。過酷な環境での作業、ご苦労様だ。帝国軍からのささやかな差し入れだと思って受け取ってほしい」
荒野の泥と煤に塗れていた連邦の作業員たちが、半信半疑の目で箱を取り囲んだ。
だが、一人が甘みのある果実を口に含み、ブドウ糖錠剤を噛み砕いた瞬間、その顔に劇的な変化が訪れた。戦時下の過酷な労働環境において、「手軽に摂取できる糖分」はどんな言葉よりも雄弁な特効薬だ。
「大尉殿……感謝します。人道的な英雄と言うのは、本当だったのですね」
(それは、間違いなく帝国が作り上げたプロパガンダだけどな。だが、二級品の果実と廃棄寸前のブドウ糖でここまで感謝されるなら安いものだ)
彼らの中に「この帝国大尉は話がわかる人間だ」という好印象を植え付けられれば、今後の工事の進捗も、俺に対する現場の安全性も跳ね上がるというものだ。
――だが、問題は感情ではなく「規格と安全思想の違い」だった。
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