第166話:世界大戦 その五十七
比帆諸島帝国領地、海軍庁舎士官室。
地元の有力新聞への記事掲載は、予測通りの効果を発揮していた。
住民の集落に潜伏していた元赤旗国兵たちは、捕縛され海賊として即日死刑に処される恐怖に比べれば、軍の窓口へ出頭し、国際法に守られた「捕虜」として確保されることを熱望したのだ。
現時点で、自発的に出頭し身柄を安全に隔離された捕虜の総数は、すでに百名を超えている。
唯一の些細な不具合といえば、今なお現地の新聞紙面に、俺が泥まみれの敵兵を涙ながらに抱きしめている挿絵がこれ見よがしに使われ続けていることくらいだろう。
だが、そんな茶番劇の欺瞞など、俺の机の上に無造作に積み上げられた、海軍情報部からの最新の報告書は、容赦なく完膚なきまでに剥ぎ取っていた。
紙面に並ぶ無機質なインクの文字列が冷酷に告げていたのは、ひとつの武装組織の完全なる終焉。亡命政府『自由比帆諸島』の、文字通りの壊滅であった。
帝国・連邦の連合軍による総攻撃が始まってから、わずか一カ月も持たなかった。
かつて比帆諸島連邦での武力蜂起に失敗した元海軍(第96話)を母体とし、帝国の喉元に突き立てられた棘であったはずの彼らは、驚くほどにあっけなく、この世界の歴史の表舞台から退場させられたのだ。
この局地戦の勝敗を分けたのは、将兵による戦術の優劣でも、兵士の士気の差でもない。ただ大国間の冷酷な取引によって、彼らの背後から「絶対の命綱」が引きずり抜かれた、それだけの結果に過ぎなかった。
海の向こうの工業大国『合衆国』という巨大な後ろ盾を完全に失い、戦うための兵器も、活動資金も、そして国際社会における存在意義すらも剥ぎ取られた彼らに、最初から戦いを継続する能力など残されていなかった。
戦況報告書によれば、帝国軍と『比帆諸島連邦』の現政府軍による総攻撃は、もはや組織的な戦闘とすら呼べない、逃げ惑う標的を一方的にすり潰すだけの、極めて事務的な「掃討」に過ぎなかったという。
『合衆国』に裏切られたことを知った亡命政府の指揮官たちは狂乱し、ある者は自決し、またある者はわずかな手下を引き連れて逃亡した。
かつて北の海においてあれほど精強を誇った元海軍の艦艇も、いまや大半が白旗を掲げて連邦海軍に拿捕されるか、あるいは証拠隠滅のために自沈して泥の海へと沈んでいった。
(……遮蔽物のない海上で、風が無ければ動けない旧式の木造戦艦は、帝国のスクリュー戦艦の的でしかない。相手の射程外からの一方的な砲撃で終わる。この報告書にあるとおり文字通りの討伐だったのだろう)
士官室の冷たい窓から、薄い金属板のように冷え切った海面をただじっと眺めていた少佐が、まるで部屋の空間へ溶け込ませるような静かな独り言の声色で、俺に向かって語りかけてきた。
「大尉。『霧宮王国』は、動くと思いますか?」
「少佐。合理的に考えれば、何もしないはずです。ですが、この状態も彼らは、予測し準備をしている可能性が高いです」
そもそも、『比帆諸島連邦』の武力蜂起に失敗した連邦の元海軍を受け入れたのが、『霧宮王国』だ。そして亡命政府『自由比帆諸島』設立を支援した。
『霧宮王国』の究極の目的は、『世界中で意図的に代理戦争を引き起こし、その戦争の泥沼化そのものを世界の均衡装置とする』ことだ。(第50話)
その目論見通り、比帆諸島海域は二年以上も戦争状態が継続している。
しかし――。
亡命政府『自由比帆諸島』の支援元が、『霧宮王国』から『合衆国』に変わった経緯が、帝国の情報部をもってしても不明のままだ。
彼らが、亡命政府の支援を外部委託したのか、『合衆国』が使い捨ての駒にしたのか、あるいは『霧宮王国』自体の政治体制に変化が起こったのか。
「少佐。現在、確定しているのは『比帆諸島連邦』現政権の国際評価が、非常に危ういということだけです」
「大尉。『霧宮王国』の動きと関連があるのですか?」
「そうです。霧宮が、亡命政府を国家として承認しなければ、国内の不法武装集団を完璧に鎮圧した統治能力の高い国家。しかし、国家承認を得ていた亡命政府を力ずくで踏みにじったとならば、評価は真逆になります」
少なくとも、主要国が国家として承認していない以上、国際社会から見れば『国家間戦争』として扱われる可能性は極めて低い。「国と国の戦争」ではなく、単なる「一国の治安維持(内政問題)」に過ぎない。
そのため、連邦の現政権が彼らを「国家反逆罪の犯罪者」としてどれだけ冷酷に処刑・解体しようとも、他国が文句をつける大義名分はどこにもない。
だが、逆に現政権が「国家承認」を得ていた亡命政府を不法武装組織として冷酷に処刑・解体した場合、その国際評価は「極めて危険で予測不能な、冷徹なる現実主義国家」へと跳ね上がる。
そして、『比帆諸島連邦』と共に『自由比帆諸島』を壊滅させた軍事作戦を行った帝国もまた、国際的な評価が、「倫理的な非難」と「軍事的な畏怖」となることだろう。
『霧宮王国』が、どこまで予測していたのかは分からないが、帝国の国際評価を下げることで、帝国がこの大陸の覇権国家となることを阻止する。時間を稼ぐことが可能ということになる。
現状、帝国にできることは、国際評価を落とさないよう、命令に従っただけの一般兵の『人道的』な配慮を連邦に公式に要請するくらいだろうか……。
「少佐。……もしかして、俺が海軍に拉致されたのは、戦後の国際社会に向けて『英雄・街道大尉』を使って印象操作をするためですか?」
「大尉。陸軍所属の私は、海軍の思惑など、知る由もありませんよ」
少佐は、後ろを向いたまま語ったが、ガラス窓に写った、その不気味な口元は笑っていた。
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