第161話:世界大戦 その五十二
比帆諸島帝国領地、海軍庁舎士官室。
現在、比帆諸島の領海において『合衆国艦隊』が、正体不明の武装海賊に対して大規模な掃討・討伐作戦を展開している。
「大尉。拘束された海賊は、その後、どうなりますか?」
少佐は、椅子に深く腰掛け、優雅に温かい珈琲を啜りながら、いつもの温度のない声で問いかけてきた。
「少佐。国際法により、即日死刑です」
海賊罪は国家を揺るがす最悪の犯罪と厳格に定義されている。弁護士による法的な弁護が介在する余地など一寸たりとも存在しない。即日で有罪判決、すなわち死刑が確定する。
だからこそ、帝国海軍の臨時警備隊が展開する厳格な『時刻表式の安全地帯』は、周辺国からも「治安維持」として受け入れられていたのだ。そして、警備をあえて拒絶し、海賊に襲撃された『合衆国』の民間商船は自業自得ともいえる。
だが、『合衆国』の世論は海賊に対しての報復を望んでいる。そして『合衆国』は、艦隊を派遣し海賊を討伐している。
少佐は、ただの海賊ではない可能性を示唆していた。
『合衆国』政府も、また報復が目的ではなく、海賊の正体を突き止めようとしているのではないだろうか。
もし、武装集団の正体が、ただの無法者の集まりである海賊などではなく――ある『国家の正規軍』が、何らかの理由によって海賊へと偽装しているのだとしたら。
そしてその偽装海賊(正規軍)により、自国民に被害が出たとしたならば、それは宣戦布告に等しい。
「……少佐。帝国東部の包囲殲滅戦から船で脱出した『赤旗国』軍のその後の足取りは、知っていますか?」
「大尉。船を軽くするため、大砲も食料も、そして軍旗すら海へ投げ出した船は、その後、どうなると思いますか?」
「……非合法戦闘員を乗せた不法船舶。つまり……海賊」
少佐は、珈琲の泥のような黒い水面を見つめたまま、声音を変えない。だが、その静寂が、俺の脳裏の奥底に沈んでいた東部戦線仮設司令部の戦術地図(145話)を、鮮烈に蘇らせた。
――帝国東部の包囲殲滅戦。
その戦果の中、北の港から脱出した『赤旗国』軍は、約二千名。そして、この海域に潜む海賊の規模も同じく二千名。
俺は、実際にあの北の港に放棄されていた大量の物資を、この目で見ている。(第149話)船の修理に必要な木材や布だけではない。鍋や背嚢、葡萄酒の木樽。
そして――泥塗れになって打ち捨てられた、『赤旗国』軍の軍旗だ。
軍旗という『国家の主権と正規軍の所属を示す証明』を失った船は、どの国からも保護されない国籍不明船となる。
そして、あらゆる物資を失った状態で比帆諸島領海に流れ着いた、武装集団は生き残るために、民間船を襲い物資を力ずくで奪った。
所属不明の海賊の正体は、『赤旗国』軍の敗残兵、指揮官はおそらく政治将校だろう。
もし、このまま彼らがただの海賊として捕獲されれば、即日死刑。だが、彼らが『正規軍』だと証明されれば、戦時国際法による捕虜の保護が適用される代わりに――赤旗国にとっては、合衆国への『宣戦布告』が成立する。
なるほど、この仮定が正しいのだとするならば、『合衆国』が確実な証拠を掴むために艦隊を動かしている理由に説明が付く。
彼らは海賊を泥棒として吊るしたいのではない。『赤旗国』の軍旗を、あるいは正規軍である証拠(軍服や命令書)を生け捕りにし、巨大な戦争の引き金を引く大義名分を欲しているのだ。
……もしこれが、すべて仕組まれたことだとしたら。
俺のような一介の『設計屋』の頭脳では、逆立ちしても思いつかない凄絶な国家戦略が、二年前からこの世界の裏側で粛々と展開されていたということになる。
俺は戦後裁判で絞首台に立たされることを恐れ、前線の会議室で、あくまで『一つの解釈』として作戦を提示した。立案者の責任から逃れたつもりでいた。だが、そんな小賢しい保身など、とうの昔に上層部の計算に組み込まれていたのだ。
海の向こうの大国『合衆国』から秘密裏に支援を受けた『自由比帆諸島』が帝国に宣戦を布告した、あの二年前の開戦。(109話)
思えば、帝国海軍は自由比帆諸島に対して積極的に決戦を挑むことなく、不自然なほど防衛に徹していた。『合衆国』の民間商船がいくら怪しい動きをしようとも、臨検すら行わなかった。
――すべては、この瞬間のためだったのだ。
『赤旗国』軍の敗残兵に『合衆国』の民間船を襲わせ、それを動かぬ開戦の口実として、『合衆国』と『赤旗国』を直接の戦争状態へと引きずり込む――。
参謀本部(陸軍)が敢えて都市を奪わせた縦深防御も、あの凄惨な包囲殲滅戦も、そして海軍が北の港に『脱出口』を用意した理由さえも。すべてが二年前の開戦時から、泥の海に仕掛けられた巨大な連鎖の罠だったとしたら。
もちろん、すべてが計画通りに進んだわけではないだろう。前線で常に変化する生身の戦況を、思い通りに操れる神など存在しない。
だが、途中の経過はどうあれ、結果として、この長期間に及ぶ恐るべき国家規模の『設計図』は、今まさに最終工程(完了)を迎えつつあった。
読んでくださり、ありがとうございました。




