第157話:世界大戦 その四十八
比帆諸島、帝国領地。
――海軍庁舎、上級士官食堂。
相変わらず海軍の飯は美味い。目の前に並ぶ純白の磁器皿から立ち上る、芳醇で濃厚な湯気。口に運ぶたびに広がる、陸軍のパサパサした干し肉や堅パンとは完全に一線を画す奥深い味わい。
洋上での長期航海のような極限の閉鎖空間では、末端の兵士たちが健全な娯楽を見出すことが極めて困難である。そのため、海軍では戦意維持のためにも「唯一かつ最大の娯楽は食事である」という方針が徹底されているのだ。
そもそも糧食費の予算枠自体が陸上部隊に比べて最初から高く設定されており、市場から最優先で質の高い食材が購入されている。
そして、軍艦の心臓部であるあの巨大な蒸気ボイラーは、推進力を生み出すだけでなく、海水蒸留による真水の大量生産、調理、洗濯、果てはあの浴槽艦の熱源にまで余すところなく利用される。
陸軍の泥濘の戦場では貴重極まる熱源が、海軍では最初から大量に存在しているのだ。その潤沢な食材や熱水供給設備は、こうして陸上の庁舎の厨房でもそのまま使われているというわけだ
海軍によって拉致され、無理やり新しい作戦に組み込まれたが、この食事の品質に関してだけは、有能と認めざるを得なかった。
「どうだ、街道大尉。海軍に転籍すれば、毎日、これが食えるぞ」
対面に座る大佐殿が、上質な木杯を揺らしながら不敵に笑う。
「大佐殿は、新兵器開発だけではなく、ご冗談も素晴らしいですね」
俺は、愛想笑いでその誘いを受け流した。
……危なかった、あまりの食事の美味さに今の一瞬だけ、保身の本能を忘れて心が揺らぎかけた。とんでもない契約書に署名するところだった。
この豪奢な食事会は、浴槽艦での取材が突如として「臨時の海上警備隊会見」へと変更されたことに対する、大佐殿なりのお詫びとして誘ってくれたものだった。
どう考えても、あの臨時会見の壇上に俺を引きずり出して既成事実化するのが真の目的だったのは火を見るより明らかだが、書類の裏を読めずに罠にかかってしまったのは俺の完全な負けなので、今更文句を言ったところで、何も始まらない。
「大佐殿。この海域の『海賊』はすべて壊滅(第92話)したと思っておりました。『比帆諸島連邦』側には、未だ『海賊』がいるのでしょうか?」
「街道大尉。『海賊』の所属は不明だ。だが、規模は大きい。およそ二千名と推測されている」
俺は、大佐殿から差し出された書類を素早く精査した。
使用されている船の大きさは大小様々。統一された国旗や船舶旗はなく、船体自体の規格や装備にも統一性はない。
武装は、しているものの確認できているのは、小火器のみである。陸上拠点の有無は不明。
二千名といえば、この海域においては間違いなく大部隊だ。だが、脆弱な装備しか持たない海賊船なら、組織化され近代兵器を持つ、帝国海軍の敵ではない。――なぜ、放置していたのだ?
(いや、待て……二千名。どこかで似た話を聞いた覚えがある)
「街道大尉。安心しろ、海賊警備隊には、旗艦として指揮艦が配備される」
「あの、西部に配備されている『指揮巨大艦』でありますか?大佐殿」
「新造された同型艦、四番艦だな」
あの、波を押し潰すような圧倒的な排水量と近代的水密区画を誇る海軍の『指揮巨大艦』が、最初から旗艦として配備されるというのなら、これ以上なく安心だった。
しかも、初期艦で判明した欠点も改良され、防御力も居住性も向上しているはずだ。あの巨体なら海賊船程度の小火器では傷一つ付かないだろう。
風呂も使えて食事も美味い。もしかしたら、陸の後方兵站拠点よりも良いかもしれないな。
二日後。
教導大隊四百名を乗せた大型輸送艦と、手配されたという例の最新鋭の新型指揮艦が、ついにこの軍港へと同時に到着した。
「街道大尉。すべての準備が整った。新型旗艦へ案内しよう」
「はっ、大佐殿。よろしくお願いいたします」
俺は完璧な敬礼を捧げ、大佐殿の後に続いて桟橋へと歩みを進めた。
だが、軍港に停泊していたのは――全長が五十メートルにも満たない、不気味なほどに細長く薄っぺらい、ちっぽけな新造の軍艦だけだった。その奥では、巨大な輸送艦から教導大隊の兵たちが、次々と陸へ降りてくる光景が見える。
「……大佐殿。指揮巨大艦は、どちらでしょうか」
俺の困惑を孕んだ問いかけに、大佐殿は当然のように説明を続けた。
「これだ。四番艦は設計思想を見直した。大型艦隊を率いる艦ではなく、沿岸警備と追撃を主任務としている」
大佐殿は、自分の新しい最高の発明品を自慢するかのような、爽やかな笑顔のまま続ける。
「海賊は、小型船を使用し散発的に民間船を襲っている。今回は、速度が出る指揮小型艦が最適だ」
(俺の『安心できる巨大な船』が……、絶対安心の巨大な引きこもり船という名の防衛盾が、仕様変更で消えてしまった。いや、まて命令は正確に把握する必要がある)
「大佐殿。承知いたしました。民間船の“警備任務”に尽力いたします」
「そうだ、街道大尉。お前の任務は、あくまで民間船の警備だ」
大佐殿の言葉に、俺の脳内計算機が一瞬で符号を繋ぎ合わせた。
海軍司令部の真意は未だ不明だが、書類の上での命令は、あくまでも『民間船の警備』だ。つまり正体不明の海賊、二千名を探し出して積極的に討伐するのではなく、護衛対象の商船へ張り付いていればいい。
相手は、小火器しか持たない海賊だ。帝国海軍の軍艦が横に付いて威嚇している商船へ、自ら喧嘩を売ってくるほど愚かではあるまい。
あとは記者たちが「英雄・街道大尉、海軍と共に命懸けで商船を守る」と好き勝手に記事を書いてくれる。実際には何も起きなくても、英雄譚は完成するのだ。
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