第155話:世界大戦 その四十六
帝国東部、北の港湾拠点。
――その港に停泊する海軍の大型艦『浴槽艦』の会議室。
五日前、参謀本部より「至急、現地に詰めかけている記者たちの合同取材(記者会見)を受けろ」との非情な絶対命令が下されていた。
現在、帝都の新聞の紙面上では、『英雄・街道大尉が、泥と硝煙にまみれた捕虜たちを救うため、みずから衛生的な大浴場を手配した』ということになっている。
もちろん、そのような事実は存在しない。疫病を予防し労働力を維持することと、自分自身の入浴のためだったのだが、そう公式に報道されてしまっている以上、続きの美談記事を作るための素材が必要なのだ。
おまけに、東部後方が安定したせいで正規の新聞記者だけでなく、小銭稼ぎを目当てにした渡りの語り部や、お抱えの絵師たちまでもが、多数集まってしまっていた。
かつて俺が、情報操作を円滑に行うために作り上げた『報道の自由』の特権(第33話)が、因果応報のごとく俺自身に襲い掛かってきたのだ。
思い返せば、あの『白鳥鋼鉄勲章』の授賞式(第84話)も、身に覚えのない大活躍を記者どもから次々と質問され、苦慮した忌々しい記憶が脳裏をよぎる。
――「街道大尉。捕虜たちの健康状態を教えてください!」
――「街道大尉。今、描いているので、動かないでください!」
――「街道大尉。新たな英雄『一閃』に、ついて一言お願いします」
(……俺は、今、報道されている「最古参」や「一閃」の二つ名を持つ者のことは知らないし、何なら実在そのものを疑っている)
俺は、記者たちの無遠慮な質問の嵐に対し、
「――それらの案件に関しては軍事機密となるため詳細な言及は厳に控える。後日、軍より発給される公開資料を参照して欲しい。ただ皆さんも知っているとおり、我が帝国は人権と平和を守る国です」
という、中身が全く存在しない言葉で強引に押し通した。
そうして、身に覚えのない活躍の質問を何とか受け流していた、まさにその最中だった。
足元の鉄板を通じて、会議室全体が不気味に大きく揺れ動き出したのだ。
港で大人しく停泊中とはいえ、海風が強ければ大型艦でも多少は揺れる。……いや、違う。この足の裏に伝わってくる重々しい地鳴りのような鉄の振動は、あまりにも規則的で、あまりにも人工的すぎる。
まるで巨大な蒸気機関が一定の周期で物理的に振動しているような──。
(……人生最大級の、取り返しのつかない最悪な嫌な予感がする)
俺は、直ちに記者の不毛な質問を力ずくで切り上げ、状況を確認するべく会議室の防弾窓の外を見ようと歩きだした。だが、その瞬間に目の前の記者が最後に笑顔で放った一言は、俺の引きこもり計画を完全に焼き切る一言だった。
「街道大尉殿。最後に一つだけ、『比帆諸島戦線』では、どのような戦果を――」
俺の思考が、一瞬停止した。
「……今、何と?」
俺の声が、我知らず冷たく凍りついたというのに、目の前の記者は当然のように、自らの発言に何一つ疑問を持つこともなく、極めて自然体な笑顔で答えた。
「これから向かわれる比帆諸島ですよ」
俺は、余裕がある英雄の体面をなぐり捨て、脱兎のごとき最速の速度で会議室の防弾扉を蹴破って飛び出し、狭い艦内通路の鉄階段を這いずるようにして甲板へと駆け上がった。
冷たい潮風が吹き付ける遮蔽物のない甲板から重い足取りで振り返れば、つい数分前まで俺が引きこもる予定だったあの美しい港湾が――。みるみるうちに、水平線の彼方へと小さく、遠く引き離されていく絶望が網膜へとはっきりと映し出された。
艦尾の巨大な煙突からは空を焦がすような真っ黒な煙が猛烈に立ち昇り、漆黒の艦首は、波を力ずくで押し潰しながら、舳先を北へ向けていた。
背後から気配もなく声が聞こえてきた。動悸を抑えながら振り返ると、そこにはいつものように煙草の紫煙を気だるげに吹かしながら、最高に爽やかで獰猛な笑顔を浮かべた大佐殿が立っていた。
「街道大尉。取材は終わったのかね?」
「大佐殿。本官は、浴槽艦で取材と聞いておりました。出航するは聞いておりません、これは何かの間違いです!」
「街道大尉。なにも齟齬は無い。これから比帆諸島に停泊中の浴槽艦へ向かう」
大佐殿の完璧すぎる言葉に、俺は自分のあまりの迂闊さに激しい眩暈を覚えた。
……また、罠にかかってしまった。この浴槽艦は、大型の巡洋艦を改修したと聞いていた。まさか同型艦が他にも存在し、すでに別の最前線に配備されているなんて思っていなかったのだ。
大佐殿が、わざわざ東部後方の兵站拠点に二週間も平然と滞在していた真の理由は、この時期を逃さないためか。
後方が安定すれば、参謀本部のプロパガンダ作戦で必ず大規模な取材が入る。その決定的な瞬間に、俺と記者たちを浴槽艦に招き入れ記者ごと拉致する。
俺は、どこまでも爽やかな笑顔を崩さない海軍の狂人(大佐殿)に向けて、喉の奥から血の涙を流しながら最後の消極的な言い訳をのたまった。
「た、大佐殿。本官の教導大隊は、その半数が新兵です。指揮する者がいなければ兵站拠点で何も……」
「心配するな。街道大尉。お前の大隊も既に移動中だ」
「なっ……!?」
俺は驚愕のあまり絶句し、大佐殿の背中の陰に隠れるようにして佇んでいた、少佐の顔を真っ向から睨みつけた。
いつもの黒い革手帳で口元を慇懃に隠してはいたが、俺の絶望を喰らって愉悦に歪み、激しく笑っていることくらい一目で分かった。
合点がいった。兵站拠点を出発する時に、少佐は「私は書類手続きのために別の馬車で後から現場へ向かいます」などと言っていたが、俺に気が付かれることなく、大隊に移動命令を出すためだったのだ。
――数千トンの鋼鉄の巨体が、高速で波を切り裂いて突き進む、広大な海の上。
もはや物理的に逃げるのは、不可能だった。
俺は、煙突から激しく吹き上がる真っ黒な排気煙の柱を虚しく眺めながら、せめて直接戦闘にだけは、組み込まれないことだけを、ただ祈るしかなかった。
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