第154話:世界大戦 その四十五
帝国東部、兵站拠点。
艦型試験池の大佐殿が、おもむろに一枚の機密書類を俺に手渡してきた。
「街道大尉。ここに運んできたのは、乳牛や鶏だけじゃない、お前が気に入る物も持って来たぞ」
俺は渡された書類に精巧に描かれた、見慣れない挿絵に目を落とした。
「大佐殿。『新造艦』で、ありますか?」
……また、新造艦か。一体どこからこれほどの莫大な開発予算が湧き出ているのかと言えば、財務府が乱発している『戦時国債』なんだろうが、これでは大戦後の破壊的なインフレは絶対に避けられないな。
戦争が終わった直後にこれらの過剰な軍事工場を速やかに民間品生産へ移行させる『民需転換』の仕様書を今のうちから書いておくべきだろうか。
あるいは、新型への移行によって「型落ち」した軍の装備品や余剰備蓄物資を選定し、民間に安値で払い下げる(売却する)設備の目星を今のうちに付けておくか。
だが、この方法が成立するのは、帝国がほぼ無傷で完全勝利を収め、莫大な余剰兵器と最新の生産ラインがそのまま国家資産として残った場合に限られる。
「どうかしたか、街道大尉」
「いえ、何でもありません。大佐殿」
俺は、速やかに新造艦の仕様書を確認した。
――『蒸気機関式干物製造艦』。
それは、船内に搭載された超高圧蒸気機関の莫大な排熱を利用し、海水から大量の真水と塩を自身で生み出しながら、自動的に捌かれた大量の魚を、短時間で一気に乾燥させていく加工工場の船だった。
通常、これほど巨大な干物工場を移動させるなど、物理的に不可能だ。だが、船そのものを『巨大な工場』として定義するなら、話は完全に別問題となる。
「船が水中で押し退けた水の総重量」と「船体全体の総重量」さえ釣り合っていれば、どれほど重い鋼鉄の生産機械を積載しようとも、船は沈むことはない。
船ごと工場にして、前線へとその都度、兵站工場を設置する。悪くない運用思想だ。
この兵站拠点は、港から約四十キロメートル内陸に入った地点に位置している。もし、ここまで馬車鉄道さえ引くことができたなら、洋上の工場からわずか一日で新鮮な干物が届く計算になる。
ならば、港か、あるいはこの拠点の内部に「瓶詰加工工場」をさらに増設すれば、前線の将兵に向けてさらに長期保存可能な料理として輸送することが可能になる。
それだけではない、難民(元捕虜)たちは、しばらく魚料理など食べていないだろう。これを利用すれば、さらなる作業効率を上げるための仕様書を書くことができる。
「大尉。また悪だくみですか」
背後に佇んでいた少佐が、珈琲を啜りながら不気味に低く囁いてきた。
……どうやら、冷静に脳内だけで、考えていたが顔に出ていたようだ。
この東部では、『赤旗国』軍の主力は壊滅し、前線防衛網もゆるやかに押し返している。線路が伸び続け、前線への補給が確実に届くようになれば持ちこたえられるはずだ。
そのためにも、俺が今任されている後方の兵站拠点の安定稼働は、最も優先されるべき任務と言えた。
衛生面と生産ラインの直結という効率だけで言えば、港に工場を建てる方が優れている。だが内陸の兵站拠点には、元農夫の難民たちが耕し始めた野菜農場があるのだ。
ただの干物から、兵士たちの戦意を高める美味い「スープ料理」へと変化させるなら、ここが最適だ。
とはいえ港から、俺の引きこもり拠点までの四十キロメートルの馬車鉄道を新設するには、どれほど突貫で突っ走っても数か月の工期が掛かる。
ならば、それまでの間の彼らのやる気を繋ぎ止めるために、今回、同時に届いた、『林檎千五百個』という特急品を有効活用させてもらうとしよう。
――翌日。
俺は各班の難民班長たちを一堂に集め、厳かに説明を開始した。
「諸君らの尽力により、作業工程は予定通り進んでいる。しかし本官は、諸君らの貢献に対して対価が不足していると、日々心を痛めていたのだ」
俺はあらかじめ並べさせておいた木箱の蓋を、工兵たちに次々と乱暴に叩き開けさせた。中から現れたのは、大量の林檎だ。甘い果実の芳醇な香りが、一瞬にして天幕に広がり、班長たちの目が一斉に釘付けとなった。
「次の作業工程において、三日早く作業を完了させた班に対しては、賞与としてこの林檎を一箱贈呈する」
この大量の林檎という強力な動機付けの投入により、彼らの作業効率は、間違いなく爆発的に跳ね上がることだろう。
手に入れた林檎を班員全員で等分して食べても良いし、他の班の職人たちに高額な軍票で売り捌いても良い。あるいは、流行中の遊戯(闇賭博)の新しい賭けの対象として注ぎ込んでも、軍は一切関与しない。
たとえそれらを木樽の奥深くに溜め込んで保存していたら、偶然にも果実酒へと自然に変化してしまっても何も言わない。
この兵站拠点において、みずみずしい果実類を手に入れるには、週に一度の給食配給で出される小さく切り分けられた破片を大人しく待つか、官営売店で高額な軍票を支払って購入するしか選択肢はない。
どちらにしても、果実を「一度に、そして大量に」手に入れるための唯一の方法は、他の班を実力で出し抜いて作業を終わらせるしかないのだ。
賭博や密造酒というのは、力ずくで取り締まりを強化すればするほど、さらに深い地下へと潜り込み実態が分からなくなる。ならば、こちらの管理可能な範囲であえて流通させ、元締めたちを常に見える場所に置く。
今はまだ、ダイス(サイコロ)賭博しか存在しないが、近いうちに帝都の娯楽施設から、カードや盤上遊戯の道具を大量に取り寄せる。名目上は『難民と帝国との文化交流』だ。
「特別遊戯大会」を華々しく開催し、優勝した優秀な班には、最高級の葡萄や、高級羊毛毛布を賞品として出してやるのだ。
大いに盛り上がるだろうし、彼らは新しい遊戯を覚えるだろう。その後に各種遊戯道具を官営売店の棚へ並べ『超高額』で限定販売を開始するのだ。
通常の賃金では、そんな贅沢品を購入できる者など誰一人としていやしない。だが、賭博場の元締めたちであるならば、自らの縄張り拡大と集客のために喜んで購入する。
これによって、元締めたちが吸い上げた大量の軍票を官営売店が一瞬で回収する。新たな遊戯により賭博が活性化し、そのために必要な元手を稼ぐために労務に付く、実に素晴らしい健全な労働環境が出来上がる。
十日後。
俺は、この後方兵站拠点稼働システムと難民(元捕虜)たちの適正配置を完璧な仕様書にまとめ上げて参謀本部へ提出した。これで俺と新兵ばかりの教導大隊には、この安全な後方拠点での数か月間にわたる任務が約束されることだろう。
俺がそんな完全勝利に酔いしれ、上機嫌で椅子に深く背を預けていた、まさにその瞬間。
「これで大尉が直接監督しなくても、兵站拠点は運営可能ですね」
少佐が、俺の生存本能を奈落へと突き落とす、あまりにも残酷な一言を容赦なく浴びせてきた。
(……最悪だ。気が付いたときには、もう遅い。俺はやり過ぎたのだ。保身のため前線を回避するために全力で取り掛かった後方拠点は完全なシステムとして稼働を始めてしまった。つまり俺は、もう必要ないのだ)
俺は、必死の形相で少佐を睨みつけ、最後の言い訳をのたまった。
「少佐。まだ半数以上の捕虜が回復していません。俺は人道的な英雄の設定です。ここで見捨てるようなことは、英雄の価値が下がります」
全く持って不本意だが、もはや今の俺には、参謀本部が作り上げた英雄の看板に頼るしかない。少佐には、後方拠点の重要性とプロパガンダの費用対効果から後方任務こそ最適であると確信している。
そのように参謀本部に伝えるよう言ったが、――まぁ、おそらく無理だろう。何せ海軍の、あの大佐殿が十日経っても、なおこの兵站拠点にいるのだ。
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