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覇権国家計画  作者: 納豆
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第15話:時刻表


俺は、あの不快な鉄の味を、すでに合理的に処理していた。

それはもはや吐き気を催す拒絶反応ではなく、システムの円滑な稼働を保証するための「必要経費」として、俺の精神構造に組み込まれている。


次なる課題は、定期馬車網の心臓部――「運行ダイヤグラム」の構築だった。


この世界には公共交通などという概念は存在しない。「人が集まったら出発する」という、あまりに牧歌的で非効率な乗り合い馬車からは、何の参考も得られなかった。


だが、俺がすべてを解決する必要はない。できなければ、「外注」すればいいのだ。


鉄道に詳しい異世界人という触れ込みで新兵器開発部門に抜擢された彼は、十年前から蒸気機関の開発に関わっている。しかし、その実態は単なる「電車オタク」であり、蒸気機関の開発そのものでは目立った活躍はできていなかった。


彼の名誉のために付け加えるなら、彼がもたらした「真空でピストンを動かす」という概念は、この世界における“現代的なインチキ”であり、数百年先の正解だ。本来、この世界の天才たちが数百年の思索を重ねてようやく辿り着くはずの真理を、彼はただの知識としてショートカットさせたのだ。(9話参照)


その電車オタクの彼に「帝都公共交通馬車運行ダイヤグラム」の原案作成を依頼すると、彼は震えるほど喜んでくれた。特別監察室に現れた彼の手には、この世界に持ち込まれた唯一の聖典――ボロボロになった異世界の時刻表が握られていた。


俺が提示した街道の距離と勾配、拠点の配置が詳細に記されたデータシートを見た瞬間、彼の瞳には狂信的なまでのやる気が宿った。


試験運用では帝都周辺の都市のみ、本数も限定的だが、今後この馬車ネットワークが大陸全土へ広がり、運行密度が極限まで高まったとしても、彼なら「最適解」を弾き出し続けるだろう。


自分の居場所を見つけたという彼は多幸感からか、報告書の余白にまで数字を書き殴っている。


二週間後、彼の運行ダイヤで走り始めた馬車は、想像以上の精度だった。馬車渋滞がないことだけではなく、ほとんど空の馬車を走らせると言う無駄なコストを排除するため週単位や市場に合わせてダイヤを変更している。


ただ、彼の「大砲による時報」という提案は、即座に却下した。


全PAの時刻を同期させるために、中継地点ごとに大砲を配置し、音速を逆算して時報をリレーさせるなど、極めて物騒で金のかかるインフラ図面になるからだ。そんな予算があるなら、俺の胃薬を最高級品に変えてほしい。


現在は、長年「乗り合い馬車」のルーズな時間感覚に慣れきった人々が、時刻表を守らないという事態が多発している。だが、それもいずれ解消するだろう。


人は、自分を否定する「言葉」には反発するが、自分を置き去りにする「利便性」には、必死になって食らいついてくるものだ。


予定通りに出発する馬車に乗り遅れ、商機や用事を逃すという実害を数回繰り返せば、彼らは自ら進んで「秒」の概念に自らを縛り付けにくる。


俺は、彼の作成した過密なダイヤグラムを眺めながら彼を「高効率な外部演算装置」として合理的に受理し、次なる図面へと視線を移した。


全土の人間が、彼の描く数字に合わせて人生を刻み始める。

かつては「無用な空想」と蔑まれた彼の特技が、帝国の時間を支配する冷徹な鎖へと変質していく。

俺は、その鎖がもたらすであろう「未計上項目」を帳簿の端に書き加え、ペンを置いた。


一か月後。不便な乗り合い馬車を利用する者は目に見えて減り、帝国軍直営の「定時馬車」を利用する人々は増え続けている。


帝国軍直営の「定時馬車」は、もはや帝都周辺の風景の一部となっていた。


だが、その裏側では「完璧な図面」に適合しようとする現実が、悲鳴を上げ始めていた。


報告書によれば、馬の故障や衰弱死が当初の予測を三割上回っている。原因は明白だ。あの電車オタクは、馬という生物を、疲労を知らぬ鋼鉄の塊か何かと勘違いしていた。


そして現場の馬子たちは、一分の遅延も許さぬ軍の「時刻表」に怯え、泡を吹く馬にさらに鞭を当てた。


「少尉。以前の彼らなら、一時間や二時間の遅れなど『神の思し召し』の一言で済ませていたと思いませんか?」


その、滑稽なまでに必死な光景を眺めながら、中尉が優雅にティーカップを口に運んだ。


中尉の声は、純粋な好奇心に満ちている。まるで、俺が作った玩具の挙動を確認する子供のような残酷さだ。


「……彼らにとって、『時間』はもはや自然現象ではなく、軍の『命令』になったからです。逆らえば、このシステムの中に居場所を失う。ただそれだけのことですよ」


俺は、手元の資料に目を落とした。そこには「電車オタク」が嬉々として算出した、分単位の遅延報告が並んでいる。


彼らは誰一人として、この不自由な時刻表を破り捨てようとはしない。それどころか、隣の馬車がわずかに遅れただけで、正義の執行者のように罵り合っている。

自分が不自由を強いられている以上、他人が自由であることを許せない。「不自由の平等」という名の呪縛。


中尉にとって、この光景は覇権国家への確かな歩みであり、俺にとっては「快適で安全な隠居生活」へと続く、血塗られた通過点だ。


「時刻表」という名の鎖は、物理的な拘束具よりも遥かに静かに、そして確実に、地方貴族や他国商人の首を絞め始めていた。


地方貴族が支配する旧道や渡し船の運航は、天候や彼らの気分次第で到着が数日単位で前後する。かつてはそれが当たり前だった。だが、軍が「正確な数字」を提示した瞬間、それは許されざる「欠陥」へと成り下がった。


商人は、一ヶ月後に届くか分からない「安い荷」よりも、三日後の正午に確実に届く「計算できる荷」を選ぶ。

結果として、貴族の関所を避けるように整備された軍用バイパス網に物流が集中し、旧道の通行料収入は、秋の枯れ葉が落ちるように音もなく消滅していった。


さらに、定期馬車の荷台は、効率化を極限まで追求するために「帝国標準規格」の木箱に合わせて設計されている。


地方の商人が持ち込む、形も大きさもバラバラな伝統的な樽や袋は、「積載効率を著しく下げる不確定要素」として切り捨てられる。彼らには、高額な特別運賃という名の制裁を課すか、あるいは積載そのものを拒否するだけだ。


数百年にわたって受け継がれてきた伝統的な包装文化は、時刻表の数字に適合できないという一点において、今や経済的な「罪」となった。


この支配は、物流に留まらない。

今はまだ帝都周辺に限った試行段階だが、俺は情報の「速度」を利用した市場介入を開始している。

周辺都市の穀物や野菜の価格変動を、街道の商人が知るよりも早く検閲網で察知し、軍票を用いて時には買い付け、時には放出する。


市場に流れる金貨の血流をコントロールし、その心臓を軍が握る。

それは、いかなる軍事侵攻よりも確実に、地方の自立性を奪い去る。


俺は、自分に感謝を捧げてきた電車オタクの笑顔を思い出し、それすらも「情報の優位性を確保するためのコスト」として合理的に処理した。


いまや、時刻表に従えない者は、能力の欠如ではなく「存在そのものの誤差」として社会から排除され始めていた。


「融通」という名の曖昧さが排除され、すべてが数字で管理される世界。

それは一見、鋼のように強固な支配に見えた。だが、実際はどうだ?

曖昧さを失ったシステムは、たった一つの予測不能なエラーで全壊する、脆い結晶へと変質していた。


些細な問題は多々あったが全て運用でカバーできている、概ね計画通りに進んでいるといっていいだろう。

この試験運用が終わり次第、計画は本格的に動き出すこととなる。帝国の主要街道すべてを舗装路に置き換え、物流の毛細血管を完成させるためには、あと三十年はかかるだろう。だが、その土台は今、確かに築かれつつあった。


しかし。

俺が引き直した「完璧な図面」に、ついに物理的なバグが混入した。


特別監察室のデスクに置かれた、一枚の報告書。

PAパーキングエリアの売上回収分から、贋金(帝国金貨)が発見されたという報せだ。


読んでくださり、ありがとうございました。

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