第146話:世界大戦 その三十七
帝国東部、赤旗国軍包囲網。
南方陣地仮設司令部、作戦会議室。
事の発端は、俺が具申した戦術意見だった。
それは、敵の心理的盲点を突き、彼らを特定の港へと「自発的に」誘導・封じ込めるという、機動防御を主眼とした遅滞作戦のはずだった。
しかし、参謀本部の机上で磨き上げられたその机上論は、俺の原案を遥か凌駕する、残酷かつ冷徹な「殲滅作戦」へと変貌を遂げていたのである。
「設計屋。参謀本部の方針が決まった。餓死だ」
作戦会議室で中佐殿が淡々と告げた時、室内の空気が一瞬だけ重くなった。
「中佐殿。了解いたしました」
「設計屋。……作戦詳細を確認せんのか?」
「はい、中佐殿。必要なのは『総攻撃』の具体的な日時です」
「……そうか、……貴様は、そういう奴だったな。追って知らせる」
「はっ、中佐殿。失礼いたします」
帝国軍参謀本部が選択したのは、華々しい電撃戦による撃滅ではない。包囲網の中に孤立した『赤旗国』軍三万五千を、その巨大な組織自体の重みによって、文字通り「内部から磨り潰す」という兵糧攻め――すなわち、組織的餓死だったのだ。
一帯の陸路を完全に遮断され、本国からの補給も援軍の望みも一切絶たれた『赤旗国』軍の極限状態を想像することは、決して難しいことではなかった。
過酷な戦場においては、どれほど強固な地下塹壕の奥深くに籠もっていようとも、頭上に長距離重砲弾の直撃を喰らえば一瞬で肉塊と化して処理される。
だが、彼らを襲ったのは、鉄と火薬による即死の恐怖ではなく、静かに、確実に細胞を蝕んでいく絶望の足音だった。
いかに鋼の意志を持つ屈強な近衛兵であっても、精強を誇る突撃部隊であっても、熱量の供給が途絶えれば人間の肉体という生物的限界には抗えない。
過酷な戦場環境下における重度の栄養失調と飢餓は、わずか数日のうちに兵士たちから思考力を奪い、歩行すら不可能な戦闘不能状態へと追い込んでいく。
弾薬の尽きた銃はただの鉄の棒だが、糧食の尽きた軍隊は、自らを蝕む巨大な死体へと変わるのだ。
一人一日一キログラム相当の糧食を必要とすると仮定すれば、一日の消費量は全体で三十五トン。
参謀本部は、捕獲した敵の補給計画書、捕虜の尋問結果。そして偵察による荷馬車・食糧車両の数から推定される残存備蓄は三百トン以下だと推定した。
もっとも実際は馬を食べ、非戦闘員の配給を止め、負傷兵を切り捨てるので、正確な数値は出せるものではない。
――包囲十日目。
遠くに見える敵陣から、炊煙はもうほとんど上がらない。斥候からの報告によれば、敵の兵士たちは、銃を支えにして立つだけで精一杯だった。
「――敵兵の平均摂取熱量は通常時の四割を下回ると予測される。歩兵は行軍能力を喪失し、砲兵は砲の移動が不可能となる。組織的反撃能力は著しく低下すると判断する」
その日、冷徹な命令が下された――。『総攻撃』を実施せよ。
軍事的合理性だけを評価するなら、この計画以上のものは思い付かなかった。政治的・歴史的評価は、後世の人間に任せるしかない。
そして凄惨な飢餓地獄の中へと、俺はあの軽量装甲車と共に送り込まれることになったのだ。
『赤旗国』軍の兵力は三万五千。現時点で推定される餓死、病死、戦闘不能者は一万人以上と思われる。
敵の残存全部隊は、生き残るために本国へと繋がる包囲陣の東側を強行突破するべく陣形を展開していた。
一方、包囲している帝国軍は陣の東側に自走砲を配備。南部義勇兵(南部正規軍)と共に強固な防衛線を引き待ち構えていた。
その上で、北側に位置する『赤旗国』軍が辛うじて確保している唯一の港湾拠点への脱出ルートを、あえて薄くし『赤旗国』軍に強行突破ではなく、脱出可能という『餌』を差し出した。
極限の戦地で、人間の根源的な生存本能を巧みに利用した帝国軍は、敵の分断に成功した。そして真っ先に逃げ出したのは、高位の将官や前線指揮官たちだった。
俺は、敵の反撃が最も少ないと予測される包囲網西側へと配置された。
「大尉。貴方の任務は、臨時捕虜キャンプの設営です」
「少佐。俺としては、敵の撃退や追撃よりは、この任務の方が良いですね。もっとも希望しているのは帝都での事務作業ですが」
少佐は、優雅に笑うと手帳に何かを書きこみ、あの大型『蒸気機関式装甲指揮車』に乗り込んだ。
俺が配属された西側陣地は、深い塹壕が掘られ、建設工兵部隊による大量の戦時仮設住宅が突貫で始まっている。これだけの資材が用意されているということは、帝国軍は数か月前から準備していたことになる。
敵から四キロメートル離れた、この陣地ならば敵の陸戦砲は届かず、敵歩兵部隊が大きく展開したとしても、複合式大型機関銃の十字砲火で止めることが可能だろう。
俺は、完成しつつある臨時捕虜キャンプの陣地を一通り眺めると、評価試験のために配備された例の『新型軽量装甲車』の扉を開けて車内へと乗り込んだ
――まさに、その瞬間だった。
『――敵襲!総員退避!塹壕へ潜れ!』
見張り兵の悲鳴が魔導拡声器を通じて耳を裂いた直後、すべてを掻き消す凄まじい爆発音とともに、世界が激しく反転した。
俺の乗っていた軽量装甲車は、物理的な衝撃波の質量に耐えきれず、横転を通り越して無残に転倒したのだ。視界が暗転し、左足の周辺に鉄板が食い込むような突然の強烈な重みが圧しかかる。
間髪入れずに、内側から引き裂くような激痛が全身へ走った。
(……この物理的な衝撃と、全身を襲う最悪の感覚は、二度目(第119話)なので良く分かる)
安全と評価された(四キロ後方)はずの座標に、敵の大口径砲弾が落下し、炸裂したのだ。その爆風の圧力だけで、数トンもの車体が容易くひっくり返された。
だが、これほどの衝撃を喰らいながらも、即死しなかったということは、新兵器開発部門が設計した軽量装甲車は、ある程度の衝撃吸収性能はあったらしい。
ガガガガ、ズドズドズドン――。
今度は帝国軍の猛烈な反撃砲撃の凄まじい地鳴りの振動が、ひっくり返った車体の鋼板を通じて背中に伝わってきた。反撃速度から見て砲兵は大隊規模で健在。
こちらの部隊は、不意打ちを喰らってもなお、即座に圧倒的な質量で面制圧をやり返せるだけの稼働率を維持しているということだ。ならば、これ以上の敵の連射はなく、陣地の被害は全体としては極めて軽微と言うことか。
俺は、薄れ行く意識の中で、曲がりなりにも士官なので、一般兵よりは優先的に救出されるだろうなどと考えていた。それが、最後の意識だった。
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