第142話:世界大戦 その三十三
帝国東部、第七大型開拓疎水沿い。
廃村まで、三キロの砲撃陣地。
俺のことをよく知る、あの中隊長が眉間に深い皺を刻んで報告にやってきた。
「大隊長殿。各中隊、同じ具申です。最低二日。兵を休ませなければ、小隊単位での警戒任務にも支障が出ます」
俺は、作戦地図を広げ冷徹にそれを見下ろした。
第四超大型星型要塞を出発してから、今日で五日目。総移動距離はおよそ四十キロメートルに達している。
任務の本質は敵の殲滅ではなく、孤立した敵部隊を敵主力へ合流するように誘導し続けることだ。ならば、明確な目的地など最初から存在しない。
不眠不休の過酷な警戒勤務が続いたとしても、地獄をくぐり抜けてきた熟練兵ならばまだ持ち堪える。主火力たる砲兵たちも、戦闘そのものの疲弊よりは、重い火砲の展開と撤収により激しく消耗してはいるが、限界値はまだ少し先だ。
だが、二百名の新兵たちは、いつ狙撃されるか分からない極限の緊張と睡眠不足から数日で判断力が落ちる。
この位置から第四要塞まで、伝令を最速で走らせて往復するのに最短で一日、遅くとも二日。もしそれ以上の遅延が発生するならば、それは伝令隊が道中で敵の遊撃に捕捉されて全滅したことを意味する。
先ほど送り出した後送部隊が第四要塞に戻るのに二日かかったとして、伝令が戻るのに一日。
隣に控える少佐は、先ほどから一言の皮肉も口にせず、ただ不気味なほどじっと俺の真横に佇んでいた。その張り付いた影のような視線の真意は読み切れない。
俺は、部隊の進軍を一時停止させる決断を下した。
「現地点で定着、全周防御陣地を構築する! 新兵は小隊ごとに交代で休ませろ」
「はっ、直ちに。――大隊長殿」
「中隊長、お前や古参兵にすべての皺寄せが行く。だが、今は耐えてくれ」
「……そのための古参兵です。ご英断、感謝いたします」
中隊長は鋭く敬礼し、部下たちへの指示へと飛び出していった。
本来なら、先の戦闘で発生した重傷者たちはただちに第四要塞へ後送したい。だが、後送のために護衛隊、貴重な熟練兵を減らすことになれば、砲兵大隊を守るための歩兵が減ってしまう。
部隊の主火力である砲兵を失ったその瞬間に、作戦は失敗する。
それに、先ほど敵兵から聞き出した、「師団規模(およそ三千名)の大部隊」という情報だ。本当に実在するのか、そして現在、どの方向へ蠢いているのか。それだけは、確実に確かめねばならなかった。
俺は、数少ない手持ちの騎兵に対して強行偵察を命じた。
教導大隊に配備されている軍馬の数は限られており、これらは本来、連絡を取り合うための伝令用だ。強行偵察に生還の保証などない。もし偵察隊が全滅して戻らなければ、部隊の貴重な伝令手段が減ることになる。
――そして、極限の緊張感の中で待機を続けて、二日後。
泥を鎧のように纏った伝令が、文字通り這うような満身創痍の姿で帰還した。
「大隊長へ報告……。増援はありません。現有戦力を以て、可能な限り任務を継続せよ。とのことです」
「苦労をかけた。下がって休め」
俺は報告書を受け取ると、静かに地図へ視線を落とした。増援は無い。重傷者が居る。作戦は継続しなければならない。
俺がするべきことは――。
脳髄の奥で思考の歯車が、限界を超えた速度で軋みを上げて回転する。無数の可能性が浮かんでは消え、狂ったように演算と否定が繰り返される。
広範囲の死角を索敵・警戒するために中佐殿へ上請した『快速銃騎兵二個小隊』の増援は来ない。第四星型要塞も手持ちの予備戦力すべてを、この東部の作戦に投入しているのだろう。
この戦場に事前情報とは決定的な齟齬がある敵師団規模(三千名)潜伏していたと言う現実。
あの規模の部隊が、これ以上いくつも隠れているとは流石に思えない。可能性は極めて低い。だが、防衛陣地に引きこもって防衛に徹するならまだしも、後送に護衛を割いた状態で、警戒しながら進軍し、砲兵大隊を守るのは不可能だ。
意識が白濁しそうになるほどの思考の渦の中、時間にすればほんの数秒のことだった。
俺は、中隊長たちを呼び出し、彼らの目を見据えて指示を伝えた。
「――全軍、撤退する。反転し、第四超大型星型要塞へ帰還せよ」
俺は静かに、しかし拒絶や反論を決して許さない、鉄の如く冷徹な声で厳格に命じた。
進軍してきたルートをそのまま戻るのだ。当然、最低限の警戒は怠らないが、脱兎のごとく全速力で移動すれば、二日で第四要塞への帰還が可能だ
客観的に見れば、作戦は完全に失敗した。追加の増員要請は却下され、新兵の被害は戦死、重傷者を合わせてすでに三十名以上。
帝都の参謀本部が、今回の俺の撤退決断をどう評価するかは未知数だ。いきなり軍事裁判にかけらるなんてことは無いと思いたい。
俺の横にいる少佐は、相変わらず不気味なほどに黙り込んだまま、ただ薄く笑っていた。
二日後。
計算通り、第四星型要塞へと到着した。俺は部隊に対して「準待機」という名目の実質的な休息を与え、泥を落とす間もなく直ちに中佐殿のいる司令室へと赴いた。
先に伝令は出しているが、作戦が失敗し撤退したこと、そして要塞側が事前に把握できていなかった「師団規模(およそ三千名)の敵部隊」が実在していたことの二点は、直接、報告しなければならなかった
「来たか、設計屋。……貴様、今回の前線で随分と“やってくれたな”」
中佐殿は、顔を合わせるなり、いつものように射抜くような鋭い眼差しで低く告げた。
(この人は顔を合わせるたびに鋭い嫌味を突きつけてくるな。だが、もし作戦失敗の全責任を問われて、俺がこのまま帝都へ召喚されるのだとしたら、この獰猛な武人と顔を合わせるのも、これが最後になるかもしれないな……)
「はっ、中佐殿。誠に申し訳ございません」
「ん?貴様、何を謝っているのだ。半数が新兵の部隊で損耗率を一割に抑え込み。良く我が砲兵大隊を守ってくれた。その上、第四要塞で把握していなかった敵師団規模を発見し誘導を成功させた。これ以上ない成果だ」
――なるほど、優秀な軍人である中佐殿と俺の価値観は違うのだ。
軍の上層部は、現場の流血を国家戦略としての単なる「損耗率」という数値でしか見ていない。そして中佐殿もまた、個々の兵士への感傷と、現場指揮官としての冷徹な戦術評価を完全に切り離し、全体の作戦進行度がどれほど仕様を満たしているか、ただそれだけを評価しているのだ。
戦死した新兵や重傷を負って二度と戦えなくなった彼らは、徴兵された農民や義勇兵ではない。
国家が莫大な予算と時間を注ぎ込み軍事教練を経て、ようやくこの最前線へ送り出された、極めて「高価な人的資源(国家資産)」そのものなのだ。
大砲なら兵器工場でいくらでも代替品を量産できるが、新兵は再生産に最低でも十数年の時間がかかる、古参兵はさらに時間がかかる。近代戦に置いて、もっとも高価なのは人的資源である。だからこそ、使うべき場所と費用対効果を留意する必要がある。
工場一つを失えば大騒ぎする連中が、人的資源を「一割」と呼ぶ。あまりにも安い勘定だ。
だが、経緯はどうであれ、この世界大戦に置いて帝国と言う国家が残らなければ、俺の安泰はやってこない。
読んでくださり、ありがとうございました。




