第141話:世界大戦 その三十二
帝国東部、第七大型開拓疎水沿い。
標的とした廃村から手前三キロの地点で、砲兵二個大隊(六百名)は、完璧な射撃陣地への展開をすべて終えていた。
測距、装薬、各火砲の精密な仰角照準。幾百という熟練の砲兵たちが無言のままそれぞれの持ち場を俊敏に動き、最終確認が終わる。
「全砲門、砲撃開始!」
砲兵大隊の指揮官による、短い号令だけで十分だった。
伝令兵が吹き鳴らす魔導喇叭の鋭い音が、次々と平野へと響き渡った。
先頭の砲列が一斉に火を噴き、一拍遅れて後列の重砲がそれに続く。腹の底を直接引き裂くような狂気的な大轟音が乾いた荒野を激しく震わせ、疎水の穏やかな水面には衝撃波による幾重もの不気味な波紋が広がった。
その数秒後、三キロ先にある何もない廃村の空に向けて、天を覆い尽くさんばかりの漆黒の煙の柱が、計算通り次々と立ち上り始めた。
幸いなことに、上空の気流にも風はない。地平線の彼方からこの巨大な黒煙の山を見た赤旗国の指揮官は、この圧倒的な面制圧砲撃を帝国軍の最新鋭『蒸気機関無限軌道式自走砲』の大部隊による急襲であると誤認するはずだ。
砲弾を敵の頭上に正確に叩き込む必要はない。ただ「そこに悪魔の兵器が存在している」という圧倒的な恐怖の事実を敵へ刷り込むことこそが、この砲撃の目的なのだ。
――だが、俺がその心理誘導の戦果を確信した、まさにその時だった。
「大隊長殿! 左翼防衛陣地で激しい交戦が発生! 敵部隊が突入してきます!」
俺は思わず、作戦地図から跳ねるように顔を上げた。
「敵の規模は?」
「最低でも歩兵五十名以上! 騎馬隊の数は不明であります!」
前提条件が崩れた。この戦線に取り残されている敵は、本国からの補給が完全に窒息し、部隊から逸れた少数、あるいは散発的な斥候程度だと見ていた。
しかし現実に起きたのは違った。奴らは散兵などではなく、完全に統制された組織的な戦闘部隊として、突貫で急造した土嚢陣地へ向けて、一直線に突っ込んできていたのだ。
新兵たちの手による脆い防護壁では、この凄まじい質量を押し返すことなど到底できない。
「即応二個小隊、ただちに左翼へ急行! 敵の頭を押さえろ!」
普段の俺からは到底想像もできないほどの、喉が張り裂けんばかりの大声を張り上げていた。
陣地中央で待機させていた、熟練兵だけで編成されたの予備兵力が、一斉に泥を蹴って走り出す。
大丈夫だ、彼らが構える複合式大型機関銃の斜線に入れば、まともな遮蔽物もない平地を突撃してくる歩兵に勝ち目など無い、
そうして――激しい硝煙の臭いとともに、およそ二十分後、ようやく全ての銃声が止んだ。
最終的な味方の損害報告書の数値は、文字通り「最悪」の数値を叩き出していた。
戦死二十三名。重傷八名。軽傷二十七名。突撃してきた敵は死体を確認できただけで、百名以上が死亡。
敵は、ただの斥候などではなかった。事実上の「一個中隊規模」の精鋭が、陣地中央に狙いを定めて突入してきたのだ。
奇跡的に息のある敵兵を一名だけ引きずり出した、という報告を受け、ただちに尋問を行わせた。
喉から血を吐きながら、その赤旗国の兵士が死に際に漏らした全貌は、俺が予想して居ないものだった。
彼らの本隊は、小部隊などではなく、師団規模(およそ三千名)の大部隊だったのだ。彼らは補給を絶たれ主力へ合流するべく移動を開始していた。
だが、まさにその移動の最中に、砲兵大隊による廃村への凄惨な一斉砲撃が、突如として彼らの目の前で炸裂したのだ。
敵の師団司令官は、天を突くその巨大な黒煙の質量を目撃し、師団全体の全滅を回避するため百名の中隊に対し、自走砲の破壊命令を下した。つまり、この百名は最初から捨て駒だった。
黒煙を敵に見せつけることで、孤立部隊をこちらの思う通りのルートへと間接的に誘導する作戦自体は成功した。
だが、敵の指揮官が百名の命を犠牲にしてでも時間を稼ぐとは読み切ることができなかった。
敵もまた、戦場で生き残るために、これ以上ないほど必死だった。部隊全体(三千名)の生存確率を最大化させるために、百名の犠牲を容認する非情な命令を出す。
それは、軍事の損得勘定の上では、あまりにも残酷で、あまりにも「正しい合理的な選択」に他ならなかった。
尋問に応じていたその若い兵士も、最後は自らの意思を貫くように所属部隊名以外は口を割らぬまま、静かに息を引き取った。
突撃してきた敵の中隊は、一人残らず全戦死した。彼らが命を懸けて襲撃を試みた大隊の正体が、最新鋭の自走砲ではなく、砲兵大隊に過ぎないという情報は、敵本隊へ渡っていない。
おそらく奴らは、俺の新型蒸気機関装甲車が噴き上げた黒煙を見た直後に砲撃が始まったことで、敵は列車砲、あるいは自走砲部隊だと誤認したのだろう。
『技術教導特務大隊』はどこまでも歩兵主体の部隊だ。それゆえに、今回の戦闘で支払った熟練兵の損失は、これからの作戦において決して小さくはなかった。
今回の戦闘で、長年俺を守り続けてきてくれた、優秀な古参兵の小隊長一名、分隊長二名が戦死した。
生き残った新兵たちにとっては、これが初めて体験する本当の血生臭い本格的な戦闘だった。戦況だけを見れば、こちらは大砲を持った千名規模の大部隊。
そこへわずか百名程度で突撃してきた敵を、一方的に攻撃した帝国軍の大勝利(殲滅戦)のはずだ。
しかし、新兵たちの視点からすれば、話はまったくの別だった。訓練学校で共に学び、昨日まで戦地で共に行動し同じ食事をしていた、戦友が目の前で敵の銃弾よって倒れ、その絶望的な叫び声がふっと途絶えて動かなくなっていく光景を見た。
その本物の戦場を直接叩き込まれた彼らの表情からは、もはや血の気が完全に引き失せていた。
「実戦の恐怖」と言う数値は、損害報告書には残ることはない。
――だが、部隊戦力を最も大きく削る。
読んでくださり、ありがとうございました。
(※毎日、読んでくれている方へ。毎日読んでくれてありがとうございます。すみません。昨日は投降忘れていました、ストック(下書き)は常に10-20話くらいありまして矛盾しないように修正しながら毎日一話ずつ投稿しています。ネタ切れとかではなく本当に忘れていました。)




