第140話:世界大戦 その三十一
帝国東部、第七大型開拓疎水沿い。
最初の戦闘が発生してから三日の間に、さらに二度の突発的な接敵があった。
一昨日の夜間哨戒中、疎水沿いの深い葦原に密かに潜伏していた敵の小集団との遭遇戦。そして昨日は、すでに安全を確保したはずの廃屋の地下室に隠れていた敵の敗残兵が、部隊が通過した直後に背後から不意の発砲を受けた。
どちらも敵の規模自体は極めて小さかったが、毎回犠牲になったのは、決まって真新しい軍服を着た『新兵』たちだった。この三日間での総損害は、合計で死者六名、重傷者四名、軽傷者十一名。
俺が型装甲指揮車の内部で、その損害報告書を精査していると、外から規則正しい足取りがこちらへ近づいてきた。
現れたのは、長年、俺の専属護衛任務(第22話~)を実務として担い続けてくれている、顔なじみの少尉だった。
思い返せば、彼と最初に出会った時は分隊長で、階級は曹長だった。
護衛の規模が小隊へと拡張された時は小隊長補佐を務め、この部隊が『技術教導特務大隊』へと上方修正された時に正式に小隊長へ昇格し、少尉の任官を受けた。
そして今回の新兵二百名の一括増員という仕様変更(増強大隊)に合わせて、彼は中隊を率いる中隊長へと大抜擢されたのだ。
本来の軍の規格であれば、少尉の階級で中隊長を務めるなど命令系統の辻褄が合わない。だが、戦場任官により階級こそ少尉のままでありながら、実質的な実務指揮権だけが中隊長へと引き上げられていたのだ。
「大隊長殿。一連の突発戦闘により、新兵の何人かが実戦の恐怖で委縮しております。強行誘導任務を継続することは、極めて困難であると愚考いたします。……このままでは、新兵たちの精神が持ちません」
俺の前に直立不動で立った少尉の顔には、優秀な武人特有の、険しい警戒と身内を案じる色が色濃く浮かんでいた。
「すまない、少尉。現場からの具申、感謝する。……“負傷者”を後方へ下げる(後送)。そのための“護衛隊”の編成を一任する」
俺が淡々と告げると、少尉は一瞬だけ、その鋭い目を細めた。だが、すぐにすべてを察し完璧な敬礼を捧げた。
「はっ。了解いたしました大隊長殿。ただちに編成に当たります」
長年、俺の護衛を務めてきた男だ。俺が何を「負傷者」や「護衛隊」と呼んでいるかを長年の経験から正確に理解している。
俺の定義する「負傷者」とは、肉体に傷を負った治療が必要な重傷者だけではない。初陣の恐怖によって歩けなくなり、引き金が引けなくなった『戦えない新兵』たちをも含む。
彼らをそのまま前線に置いておけば作戦に支障が出る。「負傷者の護衛」という極めて人道的な大義名分を与えて、合法的に安全圏へと送り返してやるのだ。
もちろん、彼らを安全に送り届けるためには、本物の戦闘力を持った熟練兵で構成した一個小隊(約三十名)を護衛として抽出せねばならず、それはすなわち、俺の周囲を固める物理的な盾が薄くなることを意味していた。
それでも少尉が「困難です」と俺に直接上げてきたのは、俺自身の商品価値への高度な警告でもあった。
随伴している砲兵二個大隊(六百名)さえ残っていれば、敵の誘導作戦自体は成功と評価される。だが、『英雄・街道大尉が新兵を前線で見捨てて使い潰した』という噂が世間に広がれば、参謀本部が作り上げてきたプロパガンダの価値はが崩壊してしまう。
彼は、俺が替えの効かない部品(英雄)であり続けるための行動を優先すると、熟知していたのだ。
「大尉。負傷者の後送を連発し部隊が維持できなくなり作戦が失敗したとなれば、指揮官の責任が問われますよ。本当に、それで良いのですか?」
少佐が冷淡な手つきで手帳を開きながら、こちらの腹の底を覗き込むような鋭い眼光を向けてきた。
「少佐。後送部隊には、第四要塞への支援要求の緊急伝令任務も与えます」
「大尉。今回はそう判断したのですね」
少佐はそれ以上、何も追及してこなかった。俺の判断を黙認するということなのか。あるいは、何か別の意味が含まれているのか……。その真意は読み切ることができなかった。
この作戦の本質は、孤立した敵の別動隊を力ずくで叩き潰すことではない。自発的に主力部隊へと合流させるように仕向けることだ。そのためにも、砲兵二個大隊(六百名)を絶対に守り抜かねばならず索敵網を今すぐ限界まで強化する必要があった。
中佐殿(第四要塞)への緊急の支援要請は、『快速銃騎兵二個小隊』の至急増援要請だ。防衛線を下げつつある中佐殿の元にも、人的資源の余裕など残されていないことは百も承知だ。
だが、索敵の致命的な穴を物理的に塞がなければ、またあの物置小屋と同じことが繰り返されることになる。
快速銃騎兵が到着し次第、彼らに広域索敵を行わせ、敵が潜伏していそうな怪しい廃屋、農舎、あるいは起伏のある地形を発見した場合は、兵を近づけて確認する前に、陸戦砲による強烈な予備砲撃を一方的に叩き込む。
怪しい場所は、まず撃ってから、その後に更地を確認する。
貴重な弾薬の無駄遣いになることは重々承知の上だ。しかし、今の帝国の戦況において、「新兵の命」と「大砲の弾薬」、どちらの方が調達困難な資源であるかなど、計算するまでもなかった。
それに何より、この地獄を生き残った新兵たちは、『英雄・街道大尉は、戦えない兵や重傷者を誰一人として見捨てることなく救出してくれた』と証言してもらわなければならない。
蒸気装甲指揮車の中で新たな作戦地図を大きく広げた。
「少佐。これより十五キロ先に、古い廃村が存在します」
「大尉。部隊の『野営地』として利用する予定している場所ですね」
「少佐。作戦を全面変更します」
当初の計画では、周囲の安全確認を行わせた後、そこを今夜の拠点として使うつもりだった。だが、現在の状況下で、死角の塊である廃村の建造物群へ近づけば、同じ結末を招く可能性が高かった。
「少佐。砲兵二個大隊の総火力を、あの廃村に全て叩き込みます」
少佐は無言のまま、顔をこちらへ向けてじっと見つめてきた。
「少佐。今夜の野営地は物理的に失われます。代わりに、水平線の彼方からでもはっきりと視認できるほどの、大量の黒煙の柱を作り出します」
廃村に敵が潜伏しているとは限らない。そもそも戦火で打ち捨てられた廃村に、軍事的な防衛設備など何一つ残されてはいない。爆砕して失ったところで、帝国にとっても実害など存在しない。
だが、その廃村が燃え盛って発生する巨大な黒煙を見た、孤立している『赤旗国』の部隊指揮官は、一体どう思うだろうか。
彼らはその不気味な黒煙の質量を目撃した瞬間、列車砲か、あるいは新型の蒸気自走砲の大部隊が、自分たちのすぐ目の前まで進出してきた可能性を即座に想像する。
そうして、この爆撃地域から一刻も早く逃げ出すために、物資を捨ててでも大急ぎで退却(移動)を始めるはずなのだ。
敵を追い立てるのではなく、敵が自ら動きたくなる状況を作る。これが、消耗を最小化しながら誘導を継続する唯一の合理的な手段だった。
「大尉。書類上、廃村でも潰すことは、帝国の資産を破壊することになりますが」
「少佐。敵が潜んでいる廃村です。すでに資産価値はありません」
俺が平然と嘯くと、少佐は納得したように、手帳に何かを書き込み、静かにその表紙を閉じた。
装甲指揮車の覗き窓の外では、臨時の後送部隊が静かに第四要塞へと向けて出発していくのが見えた。
血に塗れた本物の重傷者と、初陣の恐怖によって戦えなくなった新兵たちが、護衛の名目で安全な後方へと引き揚げていく。
その彼らの本当の防衛隊は、少尉(中隊長)が選定した、実力者である熟練兵の一個小隊だ。
この前線に置いて、俺自身の物理的な盾は、また少し薄く削り取られることになった。
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