第138話:世界大戦 その二十九
帝国東部、第四超大型星型要塞、医療区画。
運ばれてくる兵士たちの包帯は、すでに元の白さを完全に失い、どす黒い鮮血や泥、引き裂かれた衣服の繊維が不気味に混じり合って汚れている。止血の処置がまるで間に合っておらず、担架の粗い布目から冷たい床へと、絶え間なく赤い雫が滴り落ちていた。
備え付けの木製寝台はとうの昔にすべてが埋まっており、次々に運び込まれる新たな負傷兵たちは、冷たいコンクリートの床に敷かれた毛布の上に直に寝かされていた。
通路は担架と、身動きの取れない兵士、そしてそれを辛うじて避けて走る衛生兵たちで埋め尽くされ、文字通り足の踏み場すら残されていない。
「――止血帯を早く持ってこい!」
「――そいつは後回しだ、呼吸のあるこっちを先に運べ!」
極限状態に置かれた衛生兵や軍医たちの、怒号を孕んだ叫び声が四方から飛び交っていた。
「設計屋。これが今の、この前線の現実だ。これから出す新兵も、私が預けた兵も、貴様の計算だけで無駄に殺すなよ」
「はっ、中佐殿。最善を尽くし、尽力いたします」
この第四星型要塞は、前線へ直通する蒸気機関車が直接敷地内へと滑り込めるように、徹底的な改修が施されている。
おかげで最低限の医薬品や食料の物量は確実に届いてはいる。だが、中央からの「生身の兵の補充」だけは、一切届いていない。
傷ついた負傷兵たちを安全な後方へ輸送(後送)する余裕すらない。彼らは要塞内で最低限の治療を施され、傷口が塞がるよりも早く、再び前線へ送り返されているのだ。
『技術教導特務大隊』に補充されるのは、戦場を知らない新兵だ。帝国の人的資源もまた、限界が近づいているのかもしれない。
「設計屋。指令室に来い。詳細な命令を伝える」
「はっ、中佐殿」
俺は完璧な敬礼を捧げ、中佐殿の重い足取りの後に続いて指令室へと移動した。
――司令室。
そこに広げられた作戦地図に記されていた命令自体は、単純なものだった。
帝国の新兵器である蒸気機関自走砲の一斉射撃によって敵の戦線を物理的に分断。孤立した敵の動隊を、力ずくで追い立てて主力へ合流させる。――だが、上層部の命令書には、冷徹な、但し書きが添えられていた。
「現在、東部周辺地域は全域が激しい戦闘中であり、国際法に則った安全な捕虜収容所の用意が整っていない。人道的な観点から捕虜は拘束することなく、即時解放せよ」
中佐殿は淡々と、しかしどこか苦々しげにそう告げた。上層部は、前線の指揮官に極めて矛盾した、そして過酷な難題を突きつけている。
要は、投降を許せば敵の口減らしになり、残った敵が長く持ちこたえる。だから保護ではなく、解放しろ。ただし、人道的に。そんな無理難題だ。捕虜を解放すけば、ほとんどが敵主力部隊へと合流するだろう。
だが、合流した部隊には武器も食料も無い。
「設計屋。我が第四要塞の正規部隊も、これまでの多層防御で消耗が激しい。貴様の知見で、人道的になんとかしろ」
「はい。中佐殿。敵を追い立てるのではなく、自らの意志で動いて貰うのです」
俺は作戦地図の一点を指さしながら、感情を綺麗に排して説明し始めた。
「孤立した敵部隊の進路上に囮となる帝国の補給部隊を配置します。敵が接近したら物資を放棄して、速やかに撤退します。物資は『僅かな医薬品と真水』。そして、架空の食糧輸送隊の配置図です」
俺は、地図の上に一本の「誘導ライン」を書き足した。
「彼らは、手に入れた最低限の医薬品と真水によって生き延びます。続いて配置図に書かれた『食糧輸送隊』を狙って、自らの意志で軍が指定した「主力部隊への最短ルート」を通ることになります」
中佐殿は、しばらくの間、言葉を失ったように俺を凝視していたが、やがて低く自嘲気味に笑った。
「……やはり貴様は、高潔な英雄などでは到底ないな、設計屋。貴様は、本物の『悪魔』だ。……だが、包囲した敵を脱出させるより反撃を受けない分、消耗は極限まで抑え込めるな」
「はい。中佐殿。ですが孤立した敵部隊が食料を持っていないことが条件です」
「敵は、既に補給部隊から孤立している兵站は何も持っていない。だからこそ必死て生き残ろうと反撃してくる。囮は第四要塞の部隊で行う、貴様の新兵ばかりの部隊では全滅しかねない」
「……はっ。中佐殿の賢明なご配慮に、深く感謝いたします」
――それは、最初から分かっていた。
戦場を誰よりも知る優秀な軍人である中佐殿ならば、俺の提示した作戦の効果を瞬時に分析し、現場で実行可能な形へと最適に修正してくれる。作戦を成功させるなら俺の部隊が囮を担当する訳がない。
新兵には経験を積ませる。使い潰せば、次は誰も俺を守れない。
――翌日、新兵が合流し、すぐさま作戦が開始された。
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