第134話:世界大戦 その二十五
帝国東部、沿岸都市より五キロの陣地。
俺は、自走砲大隊をここで完全に停止させた。
理由は至極単純だ。万が一、敵がこちらの想定を超える未知の野戦砲を持ち込んでいたとしても、五キロの距離を保っていれば届かない可能性が高い。
裏付けられた情報を元にした判断などではなく、ただの根拠のない精神的安心でしかないが、手持ちの選択肢の中ではこれが最もましな判断だった。
すでに歩兵部隊がさらに前進し、弾着確認を行うための観測陣地工作を進めている。
この極めて泥臭い作業には、どうしても時間が必要だった。俺は仮設指揮所(装甲馬車)で地図を広げ、敵の「しんがり部隊」の配置を推測しようとしていた。
敵が、本格的な塹壕を掘る防衛陣地工作を行うためには、膨大な人数が必須となる。
主力が海路からの脱出の真っ最中であるならば、しんがり部隊には、街の外の開けた場所に強固な塹壕線を構築するような時間的余裕など残されていないはずだ。
となれば、彼らは都市内部の既存の堅牢な建造物に身を隠し、展開している可能性が圧倒的に高い。
ただし、少数精鋭だからこそ、街の外の要所に即席の小さな簡易塹壕を掘って伏せ、こちらを待ち構えているという可能性も完全には否定しきれない。
実戦経験が、ほとんどない俺は、敵がどこにどう配置されているのが、読み切れない。
「大尉。中佐殿からお借りした護衛中隊の隊長に直接、聞くべきでは?」
少佐は、俺の護衛に当たっている中隊を見ながら、低く囁いてきた。
「少佐。それは、まだ早いです」
俺は地図から視線を上げずに即答した。
これまで俺は、『英雄・街道大尉』として、現場の冷徹な状況判断をすべて自分で下してきた形になっている。
ここで戦術判断を他人に頼ってしまえば、参謀本部と海軍司令部が、これまで作り上げてきた『英雄』という価値が下がり、プロパガンダとしての俺が使えなくなってしまう。
それだけではない。もし参謀本部が、俺のことを「戦意なし、判断力なし」と見切って価値無しと判定した瞬間、俺は即座にこの特務大隊の席から解任される可能性がある。
帝国にとって常に「替えの効かない部品」であり続けることだけが、俺の生存の絶対条件なのだ。
すべては、俺の快適で安全な隠居生活のために。
「少佐。自走砲の砲撃目標を、すべて『港湾地区』へと変更します」
「大尉。着弾確認ができなければ、精度は保証できませんよ」
俺は地図の港を指さした。
「少佐。当てる必要はありません」
現在、敵の主力部隊が海路からの脱出中であるならば、こちらとしては一刻も早く、退場してもらった方が良い。
強引に距離を詰めて凄惨な市街戦に突入してしまえば、街が破壊される。なにより、味方の兵にも犠牲が発生する。
ならば、敵の主力の早期脱出をこちらから促してやり、白兵戦を交えることなく「戦わずして無傷の街を奪還する」ことが合理的なのだ。
精度のない砲撃であろうとも、次に砲弾が落ちてくるのは、ここかもしれないと思わせれば、心理的過負荷を与えることができる。要は敵が「早く逃げろ」と思えばよいので、正確な精度は必要ないのだ。
――まもなく、四門の蒸気自走砲が泥濘を揺らして咆哮を上げた。
北の港の方向から、数秒後、大気を震わせる連続爆音が鈍く響いてくる。遮蔽物のせいで、砲弾が実際にどこに落ちて炸裂しているかは、ここからでは何一つ見えなかった。
砲撃開始から、およそ一時間後。
威力偵察からの報告が届いた。
港には、赤旗国軍の船は無く全てが出航済み。ただし、沿岸都市の市街地内部に赤旗国軍部隊が、少数潜伏中と思われる。正確な兵数は不明との情報だ。
敵主力は海へ脱出したが、市街地にはまだ少数のしんがり部隊が残っている。おそらく規模は、百名にも満たないだろう
「少佐。残された彼らが、命令に忠実な『軍人』であるならば、投降の余地があります。祖国への愛国心や家族のために戦っているなら、主力の脱出が成功した以上、これ以上の無意味な流血は無意味だと説得できるかもしれません」
「大尉。政治的な信念で動いている可能性もあります」
「……少佐。その場合は、街を道連れにすることを選ぶ可能性があります」
赤旗国の徹底した政治教育が、末端の兵まで支配しているかは、外から観察しているだけでは絶対に分からない。
もし『国家のための殉教』まで脳が支配されていた場合、彼らは生きて虜囚の辱めを受けるくらいなら、喜んで街を道連れにした放火や爆破、あるいは特攻を選んでくる。
俺は、『蒸気機関無限軌道式自走砲』を鹵獲されそうになった場合に自爆を選択しなければならない、だからこそ、俺は自走砲大隊からこれ以上離れることはできない。
しかし全く同じ理由から、これ以上、自走砲を市街地へと接近させることも絶対にできなかった。
「大尉。どうするのですか?」
(……東部前線へ来てからというもの、少佐は俺を試すような、あるいは解答を急かすような言動が増えている気がする。いや、以前からずっとそうだったが……今回の冷たい目は、何かが決定的に違う)
自分の周囲を守ってくれている精鋭の護衛が減ることは、極めて不本意だが、参謀本部から『都市の奪還』という命令を受けている以上、それを実行しなければならない。
「少佐。俺には、局地戦の戦術は分かりませんが、敵が合理性を持っている人間なら、それで戦えます」
俺は覚悟を決め、中佐殿から借りている中隊長を再び招集した。
「二個中隊は前進し。沿岸都市の外縁に対して残り一キロまで接近、直ちに複合式大型機関銃による強固な陣地を即座に構築。敵が陸戦砲を所持している可能性に留意し、困難だと判断した場合は後退を許可する。ただし敵指揮官の風貌は必ず確認せよ」
「街道大尉殿。敵指揮官の風貌でありますか?」
「目立つ帽子や徽章を持つ者がいるなら、そいつは政治将校だ」
赤旗国の軍隊において、政治将校は部隊の『頭脳』であり『恐怖による兵士の反逆防止の要』そのものだ。兵士たちが戦意を失って投降したくとも、後ろから銃口を突きつけて逃亡を遮断している。
「街道大尉殿。政治将校とは、なぜそんなに目立つ格好をするのでありますか」
「戦うためではなく、兵士を監督し、思想を維持することが仕事だからです。前線の兵に『自分はここにいる』と示し続ける必要があります。政治的には極めて合理的な仕組みですよ」
(もっとも、その"政治的合理性"は、戦場という軍事的現実では裏目に出る。指揮系統や思想統制の中心に立つ以上、どうしても人の視線を集める。結果として、狙撃兵や観測兵から最優先の目標にされやすい)
残ったしんがり部隊に政治将校がいるなら、それさえ排除できれば部隊を瞬時に無力化し、味方の被害なしで合理的な解決ができる可能性が高い。
読んでくださり、ありがとうございました。




