第131話:世界大戦 その二十二
帝国東部、兵站拠点。
かつてここは、帝国の東部開拓を泥臭く担う屯田兵たちが健やかに暮らす、活気ある農業都市だった。
だが、今は全く違う。かつての長閑な街区のほぼ全域が、無機質な巨大物流倉庫群へと丸ごと仕様変更されていた。
そこにいたはずの元々の住民たちが一体いつ、どこへ移住させられたのかは知らない。……俺が知る必要などどこにもない。
広大な倉庫の内部へ足を踏み入れた俺は、その光景に思わず目が留まった。山積みにされているのは、前線で最も必要とされるはずの食料でも、機関銃の弾薬でもなかったからだ。
薄暗い空間を埋め尽くしていたのは、鈍い黒光りを放つ大量の石炭の山と、鉄製の大容量水槽。それらが天井に届くほどの不気味な高さで、延々と並べられていた。
「……石炭と、水、ですか」
俺の呟きを聞き咎めたのか、手元の進捗書類に目を落としたままの少佐が、抑揚のない声で話しかけてきた。
「大尉。何か気になる点でもありますか?」
帝都の参謀本部では別の任務に就いていたはずの少佐だが、俺がこの東部前線へ移動する段になると、何事もなかったかのように当然の顔をして背後に付いてきていた。
確かに蒸気機関車を動かすためには、燃料となる石炭とボイラー用の水が大量に必要なる。だが、この備蓄量はどう考えても物理的な必要上限を遥かに超えている。
帝都からこの東部前線までの物流を、何十編成もの蒸気機関車が稼働していたとしても、これほどの膨大な備蓄資源が必要な計算が、俺には立たなかった。
しかも、倉庫の敷地外に目を向ければ、蜘蛛の巣のように張り巡らされた線路の数も異常なほど多かった。複数の列車が同時に発着し、大規模な入換作業を分単位で実行できるほどの本格的な操車場設備が、俺の知らない間にすでに完璧に完成しているのだ。
「少佐。この大規模な兵站倉庫の建設は、一体いつから始まりましたか」
「大尉。公式の書類の上では、“本日から”ということになっています。実際の建設開始は、今から二か月前ですね」
(……二か月前?つまり俺が、西部に張り付いていた時に、この東部では『俺主導の倉庫建設』が始まっていたのか)
「少佐。なぜ俺が西部にいた期間に、俺の名義でこの工事が始まっているのですか」
隣に立つ少佐は、壊れた玩具のような笑顔のまま答えた。
「大尉。戦時下ですから、書類上の手続きと現場の突貫施工の時期に誤差があったのでしょう」
まったく答えになっていないし、完璧な事後承諾の押し付けだが、俺は気にしないことにした。
倉庫の建設がすでに完璧に完了している以上、『技術教導特務大隊』に与えられた任務の実態は、倉庫の設営などではなかった。それは、『赤旗国』軍の猛攻によって物理的に破壊された「既存鉄路の強行修復作業」に他ならない。
前線に極めて近いこの改修現場は、狙撃や伏撃の危険が常に付きまとい、安全とは言い切れなかった。だが不幸中の幸いか、あの第四超大型星型要塞の中佐殿が、監察室の護衛として、直属の精鋭二個中隊(二百名)をわざわざ割いて現場へと出してくれていた。
中佐殿との戦場での付き合いも随分と長い(第31話から)。ここは余計な不具合を起こさぬよう、最大級の感謝を込めた礼状を速やかに送っておくべきだろう。
線路の強行修復作業は、俺が改修仕様書をその場で書き上げ、叩き上げの工兵たちがそれを機械的に実行していくという、いつも通りの最適化された役割分担により、わずか三日間で基本的な基礎路盤の整備が完了した。
そしてその三日目の夕刻、少佐が、一通の魔導封印が施された特例の封書を携えて、装甲指揮者へとやってきた。
「大尉。参謀本部より、本戦線における最高作戦の詳細が正式に開示されました」
俺は黙って書類を受け取り、その中身を貪るように読み進めた。――最初の数行を目にしただけで、俺たちがこの三日間、行ってきた線路修復の意味が、すべて一本の線となって繋がった。
赤旗国の異世界人や現場の将校たちは無能ではない。彼らは『森の小国』での長距離列車砲による奇襲(第117話)以来、帝国が持つ蒸気機関車と鉄路の組み合わせを学習している。
そのため、帝国軍が最前線で線路の修復作業を始めれば、敵は当然ながら「列車砲が進出してくる」と最大級の警戒を行う。
その結果。列車砲の射程を恐れた赤旗国の主力部隊は、修復レールの射程外となる、北側ルートへと陣形を一斉に集結させていた。
つまり、この三日間の線路修復作業は、敵の主力陣形を参謀本部の思う通りの方向へ動かすための、『情報戦の囮』に過ぎなかった。
そして、その全貌の作戦詳細がこの俺に正式開示されたということは、軍の本命が、間もなくこの地で実行されることを冷徹に意味していた。
「……少佐。本命は何ですか」
俺の問いかけに、少佐は無言のまま、懐から取り出したもう一枚の書類を手渡してきた。
そこに記されていたのは、「技術的には可能だが、この世界の技術水準」では実用化されるのはまだ当面先の話だと思っていた物だった。
――『蒸気機関無限軌道式自走砲』。
鉄のレールを必要としない。巨大な蒸気機関の出力を直接の動力として、鋼鉄の無限軌道で泥濘の地面を力ずくで踏み潰し、自力で走行しながら圧倒的な砲撃を行う、移動式の最新鋭自走重砲。
なるほど……。あの巨大倉庫の内部に、前線の弾薬ではなく「石炭と水」だけが天井に届くほど、大量に備蓄されていた理由は、この怪物の胃袋を満たすためだったというわけか。
――翌朝、まだ日の出前の冷え切った時間に、俺は兵站拠点の最果てにある格納庫の前に立っていた。
大地が不気味に激しく揺れた。地平線から、天を突く漆黒の黒煙の柱が立ち上るのが見える。俺はあまりの衝撃に言葉を失った。
鋼鉄の塊が自らの意志を持っているかのように傲然と動いていた。
その巨大な鋼鉄の無限軌道が、湿った泥を容赦なく踏み潰して無限の轍を刻みながら、要塞砲並みの巨大な砲身を真っ直ぐ前方に向けたまま、地鳴りを立ててゆっくりと前進してくる。
真っ白な高温の蒸気を盛大に吐き出しながら、線路も、整備された道路すらも一切必要とせずに動いている。
「少佐。これは、敵も俺も思いつかなかった理由が分かります。技術的には可能だが、こんなに早く実用化できるとは思わなかった」
無限軌道の量産化はともかく、自走させるための車体自体の『徹底的な軽量化』だけは、物理的に不可能だと思い込んでいたのだ。
だが、目の前で実際に泥を噛んで爆走している怪物の総重量は、見る限り、十数トン程度にまで極限の減量が施されていた。
現在の赤旗国の前線は伸び切り、その最前線を維持するための背後の補給路は限界まで細くなっている。
レールに縛られない蒸気機関自走砲を用いれば、敵の死角から細い補給路(補給部隊)を攻撃できる。それこそが、参謀本部の狙いだったのだ。
「大尉。貴方の本当の任務です」
少佐が、別の書類を差し出した。
「少佐……。自爆ですか……」
「大尉。この自走砲が敵に鹵獲されると判断した場合、貴方が爆薬命令を出すのです。帝国の最高機密が敵の手に渡ることだけは、絶対に防がなければなりません」
俺は、ただ虚しく灰色の空を仰ぎ見るしかなかった。
「大尉。鹵獲されると判断するのは貴方の権限です。早まった判断は不要ですが、遅すぎても困ります」
俺は、安全で快適な隠居生活を目指してきたはずが、いつの間にか帝国の最高機密を自爆させる権限を持たされようとしている。
読んでくださり、ありがとうございました。




