第128話:世界大戦 その十九
『平水共和国』港内、指揮巨大艦士官室。
帝国の保護国『豊浦王国』の旧王都を、帝国陸軍の二個師団が完全に包囲してから、すでに三週間もの期間が経過していた。
軍の別動隊が、外部から旧王都へ向かっていた『環山連邦』軍の細い補給部隊を各個撃破しているため、食糧を絶つ「兵糧攻め」の戦術は極めて仕様通りに冷徹に実行されつつあった。
誤算もあった。包囲が完了する直前、周辺の国境地帯に展開していた他の『環山連邦』の残存部隊が、旧王都の防衛線の中へと雪崩れ込んで集結してしまったのだ。
結果として、旧王都内の敵の総兵力は六千名以上にまで膨れ上がっていた。対して、現在あの旧王都内に取り残されている一般市民の人口は、およそ三十万人。
「兵一人が、市民五十人を監視する」という計算になる。この人口比率であれば、立てこもった敵の『豊浦王国解放戦線』と『環山連邦』の連合軍は、旧王都のあらゆる主要な交差点に頑強な検問所を配置し、夜間外出禁止令を出し、反抗的な一般市民を力ずくで弾圧(逮捕・処刑)して、街全体を完璧に支配することが十分に可能になる。
「大尉。参謀本部では現在、旧王都の処理方法について、複数の選択肢を検討しています」
少佐が、一枚の紙を机の上に置いた。こちらの反応をじっと値踏みするように見定めている。俺は、その書類に決して直接触れぬよう注意を払いながら、ただ目線だけを落とした。
紙には詳細な軍事計画などは一切書かれておらず、ただ数行の不気味な項目だけが並んでいた。
――包囲継続、降伏交渉
――強襲、短期決戦
――全住民避難後、全面攻撃
あの旧王都は、元々は人口八十万人規模を誇る大都市だ。大半の食料は避難の際に持ち出されている。
それでも現在、旧王都に残されている既存の商業倉庫、貴族たちの広大な邸宅や商店から、六千の兵が力ずくで食料を「強制接収」して兵糧に回した場合、彼らは数ヶ月間は余裕で籠城して持ちこたえられる計算なるだろう。
短期決戦を目指す場合、敵司令官たちの宿舎の位置を予測することは容易だ。
おそらく旧王都の中心にある王宮や、大商人の豪奢な屋敷を占拠して司令部に利用しているに違いない。その場所がどれほど街の中心部であろうとも「超長距離列車砲」(第117話)がある。
ただし、そんな超長距離射撃の初弾が寸分の狂いもなく命中するわけがない。周囲の民間人居住区に相応の甚大な巻き添え被害が発生するのは火を見るより明らかだった。
そして、全住民の避難など、現段階では物理的に不可能な空論だ。そもそも、三十万人もの難民を短期間で受け入れ、食料や住居を供給できるような都合の良い都市など、現在の前線にはどこにも存在しない。
「……少佐。一体、俺にどうしろと言うのですか」
「大尉。邪推しないでください。ただの世間話ですよ」
(俺には軍事作戦の立案権限などない。だが、万が一、帝国がこの世界大戦の末に敗戦国へと転落した場合、後の法廷で『大量虐殺や戦争犯罪の教唆・幇助』に問われるような言質だけは、何があっても絶対に与えてはならないのだ。すべては俺の隠居のために)
帝国軍は、さらに一個師団(三千名)の戦力を追加投入し、現在は総勢九千名の圧倒的な包囲網で旧王都を幾重にも縛り上げていた。
各城門と主要な街道のすべてを、敵が突出してくる「遅滞戦闘地点」と想定し、張り巡らせた有刺鉄線と、複合式大型機関銃の十字火網を完璧に配備している。
追い詰められた敵が、飢えに耐えかねて「死に物狂いの全軍突撃による包囲網突破」を仕掛けてきたとしても、完全に押し潰すことができるはずだ。
「少佐。これは、あくまで事務方の、ただの私見的な独り言ですよ。――新たな『英雄』を作り出して解決する方法があります」
書類に並んだ短期的な強襲案は、目先の実行速度だけを見れば確かに早い。
しかし、その後に必要となる凄惨な治安維持、焼き切れた人員の補充、そして何より破壊された巨大な都市機能の復旧まで含めると、国家が支払うべき総費用は跳ね上がる。
帝国は、この十年以上の歳月と莫大な資本を投じて、この地域の街道、物流、産業インフラの鎖へ投資し続けてきたのだ。その長期的投資を確実に回収するためには、都市そのものを無傷の資産として残す方が経済的に合理的なのだ。
だからこそ、敵に占領されているあの旧王都に向けて、飢えた市民を救うためという名目で、大量の食料と医療品を詰め込んだ人道輸送隊を送り込む。帝国は、いかなる時も徹底して「人道的で慈悲深い国家」を続けなければならない。
「大尉。飢えているのは三十万の市民だけでなく、補給線の切れた敵の軍隊(六千名)も全く同じですよ」
「少佐。送り込む救援物資は、敵の陣営を内側から自己崩壊させる『最大の毒』として機能するのです」
物資が旧王都の門をくぐって届いたその瞬間、三十万人の一般市民は一度「これで生き残れる」と狂喜乱舞することだろう。
だが、敵の指揮官は馬鹿ではない。軍事合理性を持っているからこそ、届いた物資を「市民のものだから」と律儀にそのまま見過ごすはずなど絶対にない。
彼らは生き残るため、軍の戦闘能力を維持するために、届いた物資を一斉に「強制強奪・接収」する。
そして旧王都の略奪の主導権を握っているのが、『豊浦王国解放戦線』の亡命貴族だ。彼らの掲げる大義名分は、旧王国の復興という狂信的な信念。それゆえに、自国民である市民を手当たり次第に虐殺するような暴挙には出ていなかった。
市民たちは自分たちの食糧を、目の前で「自国の救世主」を自称していたはずの『豊浦王国解放戦線』の手によって非情に奪い去られる光景を目撃することになる。
民衆の抱いていた期待は裏切られ、解放戦線は「自国民を飢えさせ、他国からの人道物資を強奪する卑怯な占領軍」へと再定義される。
「大尉。敵の大義名分を人道支援で反転させるわけですか。……ですが立てこもった六千の軍隊の問題は解決しませんよ」
「少佐。独り言の続きですが、『英雄』が綺麗に処理してくれます」
現在、内陸の要塞国家『環山連邦』の外交官が、この指揮巨大艦の定期的に通い詰め、政治的な落としどころを水面下で協議している。
連邦政府からすれば、この戦争はすでに本国からの補給線も完全に細り、勝機など万に一つもない。戦い続ければ、自国の貴重な精鋭兵六千が全滅し、国際社会に悪評を残すだけでしかないのだ。
「卑怯な占領軍」から「市民の命を救った英雄」へと一瞬で華麗に変身できる仕様書があるとするならば。――環山連邦は極めて現実的な取引に応じるだろう。
帝国軍が力ずくで大砲の雨を降らせて強襲を実行すれば、占領軍は全滅するが、同時に三十万の市民と帝国の兵士の側にも相応の犠牲が出る。
しかし、『環山連邦』軍が旧王都の「卑怯な占領軍」の対処を行えば、市民の犠牲も帝国の流血も出すことなく完了する。
「大尉。つまり……『環山連邦』政府と密約を結び、彼らの軍隊を『解放の英雄』へと書き換えると?」
「少佐。現場の指揮官や兵士は、本国から正式な命令があれば従いますよ。問題は『環山連邦』の政府が軍上層部を説得できるかどうかです」
このまま占領軍が全滅させられた上で、本国まで帝国との戦争になるか、それとも『豊浦王国解放戦線』を切り捨てて排除し、帝国との間で有利な休戦条約(実利)を選択するかは、相手に委ねられている。
もっとも――。
旧王都の市民たちの視点から見れば、包囲している張本人でありながら、「食料と医療品を真っ先に届けてくれた命の恩人」でる帝国こそが、真の英雄と映ることになるが。
俺は冷え切った紅茶の残りを喉に流し込み、「俺の独り言で備忘録を作るのは止めてください」と少佐に伝えた。
読んでくださり、ありがとうございました。




