第124話:世界大戦 その十五
俺は、今、海の上にいる。
見渡す限りの絶望的な水平線。陸地などどこにも見えない。正確に言えば、俺は今、帝国海軍が極秘裏に建造した最新鋭の大型砲艦の甲板を踏み締めているのだ。
――『白綿共和国』南西沖合。
「本官は、特別監察室室長の職責に鑑み、作戦行動中の前線海域に出張るべきではないと愚考いたします」
出発前、俺は大佐殿に向けてそう大真面目に上申した。あくまで俺自身の安全や保身のためではなく、あくまで役職の規定の上で適切ではない、と筋を通したのだ。
急な連行だったためこれ以上の言い訳が思いつかなかったというのもあるが、我ながら完璧な名目だったはずだ。だが――、
「安心しろ、街道大尉。お前が乗るのは我が海軍の最新型大型砲艦だ。遥か後方から砲撃を叩き込み、安全圏から敵を一方的に殲滅するだけだ。何も問題はない」
大佐殿の獰猛な笑みの前には、どんなお役所仕事の言い訳も最初から無駄だった。俺を海へ連れ出すことは、陸軍と海軍との間でとっくに決まっていた仕様(決定事項)だったのだ。
ただ、戦闘が発生した際には、艦で最も強固な防護装甲に守られた区画、すなわち『装甲司令塔』の最深部、あるいは主砲塔直下の「弾薬庫連絡通路」の隙間に引きこもって待機させてもらう、という絶対の確約は取れた。
大佐殿は「特等席を用意してある」などと洒落た表現を使って喜んでいたが、要するに、それは視界が良く遮るもののない『最上艦橋』のことだろう。
ふざけるな。近代戦の知識を持つ俺は知っている。海戦において、敵の初弾や至近弾の鋼鉄の破片をまともに浴びて、真っ先に指揮官諸共まとめて肉片に変わるのは、その露出した無防備な艦橋なのだ。
船自体は、近代的な細分化水密区画と厚い鋼鉄の装甲を備えているから、旧式の大砲を喰らったところで簡単には沈まない。
それは理解できる。だが、船が物理的に沈まないことと、この俺の肉体が五体満足で生き残ることは、システムの上で全くの別問題だ。
実際、この大型砲艦の防衛能力そのものは恐ろしいほどに強固だった。重厚な主砲の周囲を固めるのは、多数の迫撃砲と近接防御用の重機関銃。
敵がかつてのような小型の高速帆船で接近し、接舷して直接乗り込んでくるような前時代的な白兵戦術を仕掛けてきても、近づく前に一瞬で肉片に変えて処理する絶対の弾幕が敷かれている。
「街道大尉。間もなく予定の補給地点だ。暇なら、お前の大好きな監察任務とやらを済ませておけ」
「……はっ、大佐殿。恐縮であります」
大佐殿の不遜な声に、俺は手帳を開いた。
蒸気船における最大の弱点は「石炭の消費効率(燃費)」だ。どれだけ強力な最新鋭艦であっても、燃料という資源が切れればただの巨大な鉄の箱、動けない海上の標的と化す。
だからこそ、これまでの蒸気船は、燃料補給のために港から港へと繋がれた鎖に縛られる、極めて限定的な沿岸防御の戦略運用思想しか持っていなかった。
しかし、帝国海軍司令部が隠し持っていた切り札は、その常識を根底から覆すものだった。
航路沿いの「四百キロごと」の海域に、あらかじめ大量の石炭を積んだ補給艦を先回りさせて待機させ、さらに専用の『蒸気クレーン艦』を随伴させる独自の移動兵站網。
港へわざわざ戻ることなく、波に揺られる洋上において、驚異的な速度で黒い燃料を戦艦の胃袋へと補充し続ける。
これによって、この帝国艦隊は「航続距離」という物理的限界を強引に突破し、あらゆる海域へ、敵の異世界人すら予測できない超高速のまま進出することを可能にしていたのだ。
(……これなら、寄港する隙を狙われることもない。完璧な運用だ。これなら安全に帝都へ帰れる。……無事に戻れるはずだ)
俺がそんな希望的観測を書類の端に滑り込ませた、その瞬間だった。
上空五十メートルで索敵をしていた係留気球から、金属音が防弾指揮所にけたたましく鳴り響き、真鍮製の伝令筒が甲板へ向かって勢いよく落とされてきた。
『――北東、約十キロ。船籍不明の大型輸送船群発見』
届いた伝令書を冷徹な目で確認した大佐殿は、おもむろに煙草に火をつけ、その紫煙の向こうの北東の水平線に向けて指を突き出した。
「街道大尉。位置と航路から、あれは三国同盟への補給船だな。……『不幸な誤射』は、可能だと思うか?」
「大佐殿! 駄目に決まっているでしょう!!」
俺は即座に叫び返した。なんて恐ろしいこと考えているのだ、この大佐殿は。
「大佐殿。あれが合衆国の民間船である可能性は否定できません。そうでなくとも、中立国の商船を攻撃するのは国際問題になります」
帝国の北、北方海域には、『合衆国』の巨大な後ろ盾を得た『自由比帆諸島』の亡命海軍(第110話)が、いまだ展開を続けている。もしもここで『合衆国』の民間船を帝国軍が誤って攻撃してしまったら、奴らに直接参戦の完璧な大義名分を与えることになる。
『合衆国』は、海を越えた遥か先の大陸に存在する、圧倒的な工業大国だ。あちら側にも異世界人が所属している可能性は極めて高い。
いま現在、蒸気船の存在がこちらの索敵網で確認できていないだけで、海の向こうのでは、すでに開発・大量生産が完了しているかもしれないのだ。
だが、『合衆国』に直接攻撃を仕掛けられないという帝国の弱点があるからこそ、北の比帆諸島戦線は泥沼の膠着状態が続いていた。
『合衆国』側も、帝国が国際法を恐れて絶対に先制攻撃はしてこないと完全に踏んでいる。だからこそ、周辺小国の船籍を借りた便宜置籍船(民間船)を大量に使い、自由比帆諸島への武器供与支援を平然と成り立たせているのだ。
俺には、帝国が、どのような政治的決着を付けるつもりなのかは分からない。だが、この俺自身が「開戦理由」の片棒を担がされることだけは、何が何でも、絶対に避けなければならなかった。
もし、そんな最悪の不具合を仕出かしてしまえば、俺が望む、安全で快適な隠居生活は消滅してしまうのだから。
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