第123話:世界大戦 その十四
『白綿共和国』南部、帝国一大海軍拠点。
『白綿共和国』の南部に位置する、帝国軍が管理している巨大軍港は、度重なる大規模な拡張改修(仕様変更)を受け、いまやその姿を一変させていた。
敷地内には超大型の造船工場や近代的な製鉄所、果ては巨大な総合病院にいたるまでが整然と並び、もはや単なる軍港という枠組みを遥かに超越していた。港町全体が、海を睨みつける巨大な国家の軍事要塞システムそのものと化していたのだ。
二十日前に帝都の監察室で下された、『技術教導特務大隊』への新たな下命は、――『新造艦の運用における技術実査』――というものだった。
陸軍の教導部隊が、海軍の最新鋭艦の技術実査を行うなど、組織の縄張り上では全く意味の分からない理不尽な内容だ。だが、手元にある公式の命令書には、確かに血の滲むような暗号でそう記されている。
(……毎度のことだが、上層部が建前を作るにしても、もう少し書類の上でもっともらしい名目は用意できなかったのだろうか)
しかも、指定された実査の場所は、帝都近くにある海軍司令部「艦型試験池」などではなく、遥か南方の『白綿共和国』の最前線要塞港だった。
憲兵たちの厳重な検問をいくつもくぐり抜け、案内された供覧海区を見下ろす、桟橋上の防弾指揮所。そこで腕を組んで待ち構えていたのは、あの傲慢で有能な海軍の大佐殿だった。
「久しぶりだな、街道少尉。いや……今は“街道大尉”だったな」
「はっ、大佐殿。ご無沙汰しております」
最後に大佐殿と顔を合わせたのは、あの『天秤双剣章』の授与式(第97話)の場だ。かれこれ一年半ほど前のことになるだろうか。
艦型試験池の総責任者であるはずの大佐殿が、なぜわざわざこの最前線の南方の軍港にまで足を運んでいるのか。その戦術的な理由が頭の中で瞬時に予測できてしまうだけに、俺の生存本能は不吉な予感しか告げていなかった。
そして、俺を呼び出した張本人は、間違いなく目の前のこの大佐殿だな。
「そう露骨に嫌な顔をするな、街道大尉。お前が気に入る極上の代物を見せてやる」
一切顔に出さないよう完璧に余裕綽々な態度を維持していたつもりだったが、この老練な武人には一瞬で見抜かれていたらしい。
背後に控えている少佐は、いつも通り完全に気配を消し去り、まるで初めからこの桟橋の床に固定されていた無機質な装飾品のひとつのように佇んでいる。この張り付いた影の視線もまた不気味だった。
「――来るぞ」
大佐殿の低く鋭い声に、俺は重い視線を沖合へと向けた。
はるか洋上の地平線から、黒い煙の柱を天へと突き上げながら、一隻の異様な戦艦がゆっくりとこちらへ向けて波を切って近づいてきた。
その船体は従来の戦艦に比べて細長く、甲板の前後に一門ずつ、重厚な最新鋭の大砲が設置されている。そしてすべての帆は綺麗に畳まれているにもかかわらず、船体の側面には外輪の姿はどこにも存在しない。
外輪がないのに、船は凄まじい推進力で水面を滑っていく。その船尾の水流の渦を見た瞬間、俺は思わず唖然とした声を漏らしていた。
――スクリュー式蒸気戦艦。
参謀本部(陸軍)が列車砲を隠し持っていたように、やはり海軍司令部もまた、この世界の常識を置き去りにした近代兵器を秘密裏に完成させていたのだ。
「大佐殿。……この艦の最高速度は、一体どれほどの実効数値でありますか」
俺は驚きを押し殺しながら、問い詰めた。
「この艦は、我が海軍の次世代主力となるべき新型巡洋艦だ。最高速度は、実測で二十五ノットを記録している。前後に重砲を積んだ砲艦は、その半分といったところだがな」
大佐殿が、自慢の愛馬を誇るかのような傲慢な笑みを浮かべて答える。
二十五ノット。時速に換算すればおよそ四十六キロメートルだ。
もちろん洋上には気まぐれな海流や逆風の抵抗があるため、これが巡航速度ではないにしろ、従来の外輪船がせいぜい十ノット(時速約十九キロ)程度だったことを考えれば、驚異的な機動力だった。
しかも、陸上の装甲牛車や列車砲とは決定的に異なる仕様がある。船という巨大な浮体は、水面下に“沈まない限り”強大な最新鋭砲をいくらでも増設し、積載することが可能なのだ。
つまり――。
敵の索敵範囲の外側から、常識外れの速度で接近し、さらに相手の大砲の射程外から、一方的に大口径の砲弾を叩き込んで離脱する。そんな『一撃離脱戦術』が、この海の上では完全に成立してしまう。
上陸を拒み続けてきた無敵の沿岸要塞群。それらの強固な防護壁も、自慢の迎撃火力も何一つ使えないまま、反撃の機会すら一切与えられず、夜闇の水平線の彼方から飛来する見えない弾丸によって、文字通り一夜にして消滅させられることになるのだ。
あまりの圧倒的な技術力の差に驚くあまり、自分の身の安全に関わる肝心な確認事項を忘れるところだった。
本当なら知らないままの方が精神衛生上良いのだろうが、確認しなければこの先の生存確率を割り出すことなど到底できない。
「大佐殿。本官の具体的な任務は、この安全な軍港内における、スクリュー式蒸気戦艦の構造および運用システムの技術実査ということでありますか」
そう、これは海軍と陸軍の間で行われる極めて政治的な「情報共有」の儀式に過ぎないのだ。参謀本部直轄・特別監察室室長(俺)が、海軍の最新兵器をこの目で見た。
この公文書としての事実さえ残れば、海軍側は「陸軍にはすべての機密知見を事前に共有していた」と言い張れるし、将来的に何らかの不具合が起きたとしても「内容を正確に理解していなかったのは陸軍側の過失である」とすべての責任を押し付けることが可能になる。
そう思っていた俺に向けて、大佐殿はこれ以上ないほど獰猛な肉食獣の笑みを浮かべて言い放った。
「安心しろ、街道大尉。もちろん、これより最前線へと連れ出し、我が海軍の誇る新兵器の真価をその特等席でじっくりと見学させてやる」
――全く、一ミリたりとも安心できない。
大佐殿は技術将校なのに自ら最前線で指揮を執りたがる戦闘狂だと思っていたが違うようだ。自分の作った最新兵器が「どれほど効率よく敵を殺せるか」を現場の特等席で実験して、それを自慢したいだけだ。
俺は、静かに近づいてくる鋼鉄の怪物の艦首を見つめ、これからの海路で、自分だけでも助かる方法を必死に考えていた。
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