第116話:世界大戦 その七
――『森の小国』内での強行線路敷設は、苛烈という言葉すら生易しい地獄と化していた。
見通しの悪い密林の奥深くでは、帝国が誇る強力な機関砲による射程の優位性は完全に失われ、神出鬼没な赤旗国の遊撃隊による不意打ちで死傷者が日々積み重なっていく。
現在までに確認された戦死者は百十七名、怪我で後方へ輸送された者は八十四名。
初期兵力の半数近くがすでに摩耗している計算になる。にもかかわらず、この部隊が全滅扱いにもならず作戦を継続できているのは、二週間前、二個中隊(二百名)の兵力が前線へ文字通り「一括補充」されたからだ。
参謀本部は、この突貫工事の作戦遂行に必要な現場の兵力を「常に四百名」とシステムの上で定義している。今後も減った分だけ、機械的に新たな人間(部品)を補充し続けるという、狂気的な仕様で突き進むつもりなのだろう。
「少佐。今更ですが、この『技術教導特務大隊』の最高責任者――大隊長とは、一体どこの誰なのですか?」
俺が血の滲んだ報告書から目を上げずに問い詰めると、少佐は平然と答えた。
「参謀本部です」
「いや、組織的な記号の話ではなく、具体的な『人』の名前を聞いているのですよ」
「もちろん生身の人間ですよ、大尉。ですが、その大隊長閣下は帝都の執務室から一歩も外へ出られません」
――さすがに頭が痛くなってきた。
参謀本部が既存の縄張り争いを避けるために急造した「制度のための幽霊部隊」だとしても、書類上だけに存在して前線へ決して来ない大隊長など、組織の命令系統として歪すぎる。
そして、この犠牲の割に作戦が順調と判断されたのかは分からないが、上層部から「敷設する線路を複線(二列)にしろ」という正気を疑う新たな命令が届いた。
確かに、俺の書いた仕様書は線路としての永続的な強度を完全に無視して施工している。
レールの沈み込みを防ぐための大量の砂利は一切敷いていないし、地面の木々を根っこから引き抜く除根の工程すら省いて、泥の上に直接レールを並べている状態だ。
資材を運ぶ軍用晩牛のための「コンクリートの轍」も、二ヶ月で使い潰す前提の粗悪な代物。
だからこそ、後方の安全圏であらかじめ枕木とレールを一体化させて組み立てておき、前線へ運んで一気に地面へ設置していく現代の『プレハブ方式(ユニット工法)』を応用することで、辛うじて作戦そのものは破綻せずに遂行できていた。
だが、この自転車操業の突貫工事を回し続けるため、俺が書いた仕様書には「伝令による通信と状況報告は、昼夜を問わず必ず一日八回以上行うこと」を義務付けて明記してある。
必要な兵站、不足したレールやボルト、そして死んだ兵の代わりとなる補充要員。それらを確実に現場の最前線へ送り届けさせる『多頻度小口配送』のシステムは、この高頻度な伝令なしでは一瞬で機能停止してしまうからだ。
――帝都を離れて、およそ二か月後。
戦況の悪化による多少の遅れはあったものの、当初の目的地であった『森の小国』までの強行線路敷設は、あと一週間もあれば完全に完了する見込みとなっていた。
現在、俺たち特務工兵大隊は、新たに増援として加わった歩兵大隊(三百名)と共に、レールの先端部分を守るための強固な防衛陣地を突貫で構築している。しかし、俺の頭には最初から大きな疑問が残ったままだった。
なぜなら、いま線路を敷いているこここそが密林の「中心」なのだ。敵である『赤旗国』の侵略本体(前線基地)からは、まだ七キロ以上も離れている。こんな何もない森の真ん中に、納期を破ってまで複線の線路を引っ張って、一体何の意味があるというのか。
「大尉。伝令より、大隊長閣下からの『最後の命令書』が届きました」
少佐が、いつもの読めないにこにこ笑いを完全に消し去り、重々しい手つきで一枚の書類を差し出してきた。
(……最後。やはり、この少佐はすべての作戦の真の全貌を、最初からすべて知っていたのか)
「少佐。確認します」
俺は命令書をひったくり、そこに並んだ文字列に目を落とした。――次の瞬間、脳髄を強烈な衝撃が突き抜けた。
なるほどな……。これは、他国はおろか自軍の将兵にすら絶対に秘匿しなければならない、帝国の最高機密だ。突然上層部から突きつけられた、あの不可解な「複線化(二列)にしろ」という無理難題も、文字通りこのための伏線だったというわけか。
星型要塞の激戦も、南部軍の義勇兵キャンプも、沿岸都市もすべて無視して、なぜこの俺(システム屋)が、この地獄の任務に配属されたのか、その真の意味をようやく理解した。
大隊長からの命令書には、こう記されていた。――『鉄路の最終地点の到達高度を、五百メートル手前から逆算し、基準地盤より正確に“七メートル高く”施工せよ』。
“現代的なインチキ”の知識を持っている異世界人にしか、この奇妙な記述の「真の趣旨」など絶対に伝わらないだろう。
「少佐。帝都の伝令に対して、『千メートル手前から緩やかな下り坂(勾配)に修正する。それで設計仕様はすべて満たせる』と伝えてください。参謀本部の異世界人なら、その一言だけで俺の意図がすべて伝わります」
「……分かりました、大尉。ただちに」
俺は、すでに突貫工事で敷設し終えていた線路の一部をわざわざ掘り起こし、緩やかな斜面を作り直すための新たな改修仕様書を書き上げた。と言っても、敵に気づかれるような大規模な盛り土をする必要はない。
普通に眺める分には誰も気がつかない程度の、ごく自然な高低差で構わないのだ。要は、最終目的地で安全に止まれるようにする準備だ。
そして――十日後の早朝。まだ夜の帳が下り、日の出も迎えていない暗黒の時間、地平線の奥深くから“それ”はやってきた。
シュシュシュシュ、と地を這う不気味な重低音。
空を暗く突き抜ける、巨大な黒煙の柱。
真っ白に噴き出す、圧倒的な質量の高温蒸気。
そして、闇の中で鈍い金属光沢を放つ、見たこともない巨大な鋼鉄の怪物。
――『蒸気機関車』。
元の世界の歴史を知る異世界人以外の人間が、この世界にこんな近代科学の結晶が存在するなど、天地がひっくり返っても想像できるわけがない。
『赤旗国』や『霧宮王国』の異世界人たちですら、帝国が「科学技術の時間軸」において、まさかここまで先行して実用化に成功しているとは夢にも思わなかっただろう。
そして、その漆黒の蒸気機関車が背後に牽引していたもの。それこそが――本来なら不落の要塞しか物理的に設置・固定できなかったはずの、帝国軍の最新鋭・超長距離列車砲(要塞砲)だったのだ。
線路を「可能な限り直線で、曲線は緩やかにしろ」という謎の命令の答えが、今ここに繋がった。
参謀本部は最初から、この巨大な列車砲を森の奥深くまでレールで極秘裏に運び込み、七キロ先にある赤旗国の前線基地(本体)の頭上へ向けて、射程外から一方的な「超長距離の飽和砲撃」を叩き込んで二正面作戦の片方を文字通り消し飛ばす、最凶の兵器を仕込んでいたのだ。
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