第108話:東方赤禍大戦 その九
東部仮設難民都市、司令室。
『森の小国』の北部国境地帯一帯が赤旗国軍によって電撃的に制圧されてから数日後、現地で敵の坑道工兵部隊を指揮していた技術将校を捕虜として拘束した、という一報が入ってきた。
完全に敵の支配下にあるはずの制圧地域から、帝国軍のどの部隊が一体どうやって敵の将校を拉致(捕虜に)してきたというのだろうか。末端の事務方にすぎない俺には、その具体的な隠密作戦の詳細は一切知らされていない。
ただ、特別監察室の権限で、その将校に対する尋問記録は即座に開示された。
将校の口から吐き出された証言の数々は、帝国を網の目のように窒息・消耗させるという敵の戦略的輪郭を、さらに克明になぞっていくこととなった。
東部国境への終わりなき大規模な物量侵攻。北方の港湾都市への奇襲上陸。第四星型要塞を真下から爆砕するための地下坑道。
難民都市を内側から崩壊させるための偽装工作員の浸透。そして、何年も前から国境の森林を貫いて掘削されていた『森の小国』への侵攻大トンネル。
その尋問記録の中で、どうしても一つだけ、俺の胸に不快感を残す証言があった。
『――俺が知っているのはそれだけだ。これ以上は、俺も何も知らない。上層部が何を考えてこれほどの多正面作戦を仕掛けているのか、末端の工兵にすぎない俺に分かるわけがないだろう』
もちろん、前線の現場指揮官に対して、国家の最高戦略のすべてを明かさないのは軍事の常識だ。だが、現代の戦史を知る俺の脳裏には、ある最悪の予感が走っていた。難民、上陸、地下トンネル、森の小国。
奴らが構築したこの複雑で巨大な多正面の前線を作り上げること自体すらも、実はまだ、さらに奥にある「別の真の本命(目的)」を隠すための、ただの壮大な下準備に過ぎないのではないか――。そのような気がしてならなかった。
――その翌日。
「少尉。参謀本部より、特別監察室の全人員に対して、至急帝都への『帰還命令』が下されました」
中尉が、いつものように口元だけにこにこと笑いながら、しかし声音だけは極めて静かに告げた。
俺は手渡された公式の命令書に目を落とした。そこに並んでいるのは極めて冷淡で事務的な定型文だけであり、今回の異動に関する詳細な説明らしい説明は、何ひとつ添えられていなかった。
これまでの理不尽な下命であっても、たとえ建前で何らかの口実が必ず用意されていたものだ。だが、今回はそれすらない。
明確な理由が書かれていないからこそ、逆に予測は容易だった。東部戦線全体がこれから物理的に破滅(決壊)すると判断されての最優先の避難なのか、あるいは、帝都の本部で「別の最悪な任務(仕様書作成)」が待っているかの、どちらかだ。
「中尉。東要塞の中佐殿と話をする時間はありますか」
「少尉。帰還命令です。ですが……貴方なら遅延理由などいくらでも作れるのでは?」
「いえ、中尉。直ぐに帝都に戻りましょう」
中佐殿の強烈な指揮下であるならば、東部要塞が局地戦で負けることは無いだろう。それに『森の小国』についても、中央の参謀本部から新たに一個師団(三千名)の増援が派遣されるはずだ。
敵に鹵獲されたであろう帝国兵器に関しても、『赤旗国』では専用の弾薬補充が物理的に不可能な以上、長期的な脅威にはなり得ない。
――帝都へ向かう馬車鉄道の車中。
揺れる車内で、中尉が懐から取り出した最新の機密報告書をこちらに差し出してきた。
「少尉。西側の『西部三国同盟』が、帝国の(実質的な)保護国である『豊浦王国』の国境近くに、大規模な軍勢を集結させつつあります。名目は、同盟国間による合同軍事演習とのことです」
「……それなら、文字通り火急の帰還命令が出ますね」
帝国が東の『赤旗国』と全面的な消耗戦(総力戦)を繰り広げているこの最悪の時期で、西の三国同盟が大規模な軍事演習だと?これが単なる帝国を牽制するための外交的圧力なのか、それとも本気の侵攻準備なのか。
それを見極めるための仕様書を、俺は一刻も早く構築しなければならなかった。
息を呑む間もなく、中尉は淡々と笑いながら言葉を続けた。
「帝都には、少尉が欲しい情報が揃っているはずですよ」
――八日後。帝都参謀本部、特別監察室。
俺は特別監察室の机に張り付き、西側から届いた膨大な物流統計情報と密偵の報告書を精査していた。
「中尉。西側の密偵が掴んできた同盟軍の物資集積情報を見る限り、軍隊の規模に対して、医薬品や前線用の保存食の備蓄量が少なすぎます。ただの威嚇演習なのか、あるいは兵站の軽さを逆手に取った超短期決戦(電撃戦)狙いなのか……これだけの書類では判断しかねます」
「少尉。だからこそ、参謀本部はすでに『最悪の事態』を想定して動き出しています。貴方に求めているのは、西部の防衛軍が完全に集結するまでの『時間を稼ぐための仕様書』です」
西側の同盟軍を物理的に押し返す力などない。ならば、奴らの進軍システムの『認知』と『手続き』そのものに負荷をかけ、不具合を誘発させて時間を稼ぐしかない。
俺は即座に、二つの「時間稼ぎ(遅滞戦術)」を盛り込んだ仕様書を書き上げた。
帝国側から「誤認や不慮の衝突を防ぐため、我が国から公式の軍事査察団を派遣したい」と正式に申し入れる。当然、拒絶するだろうが、国際法に則った「公文書のやり取り」という官僚手続きだけで、確実に数日間の時間を浪費させられる。
『豊浦王国』の国境沿いの緩衝地帯には、「豊浦王国との共同調査に伴い、国境沿いの一部区域では魔物侵入防止用爆破結界の保守点検および原因不明の感染症に関する調査を実施中である。このため、当該区域への立ち入りを当面の間制限する」という偽の軍事情報を流す。
慎重な敵ほど、絶対にその真偽を確認するための斥候(索敵)を出すはずだ。確認作業が発生した時点で、奴らの進軍速度は強制的に低下する。
物理的な兵力の制限を一切受けない、純粋な情報戦と心理戦の作戦仕様書を完成させ、参謀本部へと提出した。
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