第106話:東方赤禍大戦 その七
帝国東部、臨時難民キャンプ。
「少尉。参謀本部より緊急の情報共有です。赤旗国海軍の艦隊が、帝国の北方に位置する小規模な港湾都市へ奇襲上陸を試みました」
中尉が手渡してきた一枚の報告書に、俺は静かに目を落とした。記載された被害は軽微、上陸した敵部隊は守備隊によってすでに撃退済みとある。
「中尉。やはり、東部国境の星型要塞だけに固執するつもりはないということですね」
『赤旗国』による大規模侵攻が始まってから、戦火はすでに六カ月に及んでいた。
国境線における赤旗国兵の推定死亡者数は、すでに約三万八千名に達している。地平線の彼方からは、現在進行形で「第三波」の黒い流体が押し寄せ続けていた。
帝国の防衛線は当初の予測通り緩やかに後退したものの、縦深防御(多層的な防衛陣地)へと移行した帝国軍は、中佐殿の冷徹な指揮のもとで確実に赤旗国兵をすり潰し、殺し続けている。
東部に展開する他の超大型星型要塞からの戦況報告も、ほぼ同様の圧倒的な撃破を維持していた。
しかし、受け入れている難民の数は、すでに一万二千名を超えていた。
『森の小国』での難民受け入れと、護身用具の使い方を名目とした実質的な軍事訓練のシステムは今も回り続けているが、このままでは前線が突破されるよりも先に、後方の受け入れ兵站が限界を迎えて窒息してしまう。
『赤旗国』の狙いは明らかだった。今回の海路からの奇襲上陸も、要塞への直接的な打撃ではなく、帝国の後方補給路を攪乱し、流通を潰すことこそが真の目的なのだろう。
徹底して帝国を疲弊させ、最終的に圧倒的な「兵力差(質量)」で圧潰するという近代的な戦闘教義を、冷酷なまでに徹底していた。
「少尉。赤旗国の進軍を完全に止める、あるいはその速度を劇的に遅くする具体的な仕様書(方法)は、本当に無いのですか」
中尉の問いかけに、俺は報告書から目を上げずに答えた。
「中尉。ありません」
正確に言えば、戦術的な解決策なら存在する。こちらから防衛線を捨てて赤旗国の領内へと攻め込み、敵の前進基地や補給路を力ずくで遮断・制圧すれば良いのだ。今の帝国の洗練された兵力ならそれ自体は可能だろう。
――ただし、こちらにも多大な出血と犠牲が出ることが前提となる。
参謀本部は、「防衛を維持している限り帝国は勝利している」と判断しているからこそ、防衛の命令を出し続けているのだ。
「少尉。第四超大型星型要塞の監察と難民キャンプの設営。参謀本部からの下命に、現時点で変更はありません」
「中尉。次は港湾都市の監察にでも回されるのかと思っていましたよ」
中尉はただ静かに微笑むだけだった。どうやら今回の上陸作戦は本格的な二正面作戦の幕開けではなく、帝国の東部防衛戦力を各地へ分散・攪乱させることを狙った、敵の冷徹な「牽制」に過ぎなかったようだ。
――三日後、深夜。
急増された『地中聴測班』より、地殻の底から異様な連続振動を検知したという緊急報告が司令室に飛び込んできた。
要塞から国境線に向けて数キロ四方に深さ十メートルの縦穴を幾つも掘り進め、常に地下の音と振動を二十四時間態勢で調査させていたシステムが、ついに反応したのだ。
「設計屋。貴様が警告していた通り、奴らは地面の下を掘り進めているようだな。……だが、不気味なほど予想よりだいぶ早すぎるぞ」
中佐殿が、『地中聴測班』からの報告書を睨みつけながら低く吐き捨てた。
「はい、中佐殿。……赤旗国の『兵力』の概念を、根本から見直すべきなのかもしれません」
正面からの歩兵突撃が、最新の複合式大型機関銃による網の目の死角に阻まれ続ける以上、次に選ぶ死角は「地中」そのものだ。
地下深くを密かに掘り進め、絶対不落を誇る星型要塞の真下に文字通りの大量の爆薬を仕掛け、内側から防衛システムの仕様そのものを一瞬で爆砕・破壊する。
元の世界の歴史でも幾度となく繰り返されてきた、坑道戦という最も泥臭く凶悪な古典的戦術だった。
だが、地中を掘り進む速度が異常に速すぎる。
前線から十キロ以上も離れたこの拠点の地下で早くも振動を感知したということは、奴らは開戦の遥か前――あの自作自演の事件(第101話)を引き起こす以前から、すでにこの大地下トンネルを掘り始めていたという動かぬ証拠だった。
そして恐ろしいことに、この地下トンネルすらも奴らにとっては「本命」ではないのだろう。
難民の意図的な押し付けも、港湾都市への奇襲上陸も、そしてこの大規模な地中侵行も、すべては帝国に多重の過負荷をかけるために、同時並行で仕掛けられた独立した作戦の数々に過ぎないのだ。
赤旗国にとって、無限に湧き出す『兵力(人間の命)』こそが、唯一無二にして最大の武器だった。
広大な領土と膨大な人口を持つ彼らにしてみれば、東の要塞線で何万人を消耗させられていようとも、同時に二つ、三つの別戦線を何の支障もなく開き、維持し続けることができる。
一つの完璧な防衛線(要塞)に固執し、そこに全神経を集中せざるを得ないのは、むしろ資源も人口も限られた帝国側の、絶対的な構造的弱点でしかなかった。
読んでくださり、ありがとうございました。




