第103話:東方赤禍大戦 その四
東部第四超大型星型要塞、前線観測区画。
俺は基本的に、最前線に出ることはない。理由は至極単純で、危険だからだ。そして今、俺は前線に立っている。理由は同じく単純で、ここが安全(危険ではない)だからだ。
聞こえてくるのは、複合式大型機関銃が放つ圧倒的な砲声のみ。二週間も鳴り響き続けたその爆音は、もはや「音」という領域を通り越し、この空間の環境そのものと化していた。
一定の間隔で地面がわずかに沈み、肉震わせる空気が遅れて肌を叩く。耳が音を拾うより先に、身体が次の衝撃を予測してしまう。人間の原始的な感覚が、戦場という冷徹な規格に強制的に適応させられていくのを感じる。
「――第七班、補給完了。残弾率八五%」
「――第八班、補給完了。残弾率七八%」
「――第九班、補給完了。残弾率八三%」
無機質な報告だけが、管制室の冷たい空気に積み重なっていく。
それは輝かしい勝利の報告ではない。泥臭い生存率の記録でもない。ただ、この殺戮陣地が“まだ正常に機能している”という事実を示すだけの、無味乾燥な数字だった。
その数字を見つめながら、室内の誰も表情を変えない。いや、変えられないのだ。笑えば精神が壊れるし、怒れば情報の処理が遅れる。だからここにいる全員が、生き残るために機械のような無表情を選び取っている。
「……また来たぞ」
観測窓の外側で地平線が黒く沈む。
観測員の押し殺した声に、俺は重い視線を窓の外へと向けた。はるか彼方の地平線が、じわりと黒く沈んでいく。
赤旗国の第二波。いや、違う。あれは第三波でもない。ただ延々と“続いている第一波”の、終わりなき延長だ。それは人間の行軍などではなかった。停止という概念を最初から持たない、ただの黒い泥流だった。
手元の書類に目を落とせば、観測班の克明な報告書には「倒れた兵の上を、次の兵が平然と踏み越えて前進している」とあった。
踏み越えるというより、まるでそこに空いた穴を後ろからの流体によってただ“置き換わる”ように埋めていく、生物的な意志を感じさせない無機質な光景だという。
「設計屋。これは一体いつ終わるのだ。いや、どうすれば終わらせることができるのか……貴様なら、答えを知っているのだろう」
中佐殿が、眼を向けながら絞り出すように呟いた。最新鋭の要塞で敵を一方的にすり潰し続けているはずの指揮官の言葉とは、到底思えなかった。
「はい、中佐殿。……総力戦という狂気の機構を起動させた国家は、国家そのものが完全に内部崩壊するまで、外側からの力で止まることはありません」
この狂信的な大進撃そのものが、現在の彼らの国家体制の姿なのだ。
戦争という巨大な目的を今ここで止めてしまえば、外敵への恐怖で無理やり一つに繋ぎ止めていた国家そのものが、内側から瞬時に崩壊する。だから、彼らは死んでも止まれない。
「設計屋。ならば我が帝国の勝利条件は、赤旗国の完全なる滅亡、それしかないというのか」
「はい。……いいえ、中佐殿。勝利の定義そのものを根本から書き換えることです」
「定義を……書き換えるだと?」
「敵の国家崩壊」を直接的な勝利条件に設定してしまえば、圧倒的な領土と物量差がある以上、帝国の兵站が先に尽きて敗北する。
だからこそ、勝利の定義を「この要塞で防衛(生存)し続けている限り、その一秒ごとに帝国の勝利である」と書き換えるのだ。その瞬間、この消耗戦の主導権は帝国へと移る。
赤旗国が攻め続けることで、帝国の兵站を弱体化させようとしているのは事実だ。
しかし全く同じように、帝国がただ防衛の時間を引き延ばし続けることで、赤旗国の仕様書には『時間経過による自己崩壊』という、致命的な不具合が静かに埋め込まれていく。
どれほど広大な土地と人口を誇ろうとも、十万規模の人間をただ消費するためだけに前線へ流し込み続ければ、遠くないうちに国内の生産力と兵站は確実に窒息する。時間が最大の武器になるのは、帝国も、そして赤旗国も同じなのだ。
――必要なのは、弾薬の補給だけではない。防衛システム(要塞)を回し続けるための『人的資源』の確保だった。
「設計屋。貴様が上申した仕様書にある、前線で三週間、後方で一週間、その後再訓練の後に再び前線へ戻すという交代制度だがな。現場ではすでに進めているが、人員の絶対数が圧倒的に足りん」
中佐殿は、進捗状況の記された書類を机に叩きつけた。
「前線の精神的摩耗を防ぐための交代制は確かに有効だ。だが、この要塞の予備兵力である屯田兵まで前線へ狩り出せば、後方の農場や工場の生産力が著しく低下する。そうなれば、それこそ敵の思う壺だぞ」
「中佐殿。兵員(人的資源)は、爆発的に増えます。これからは、国境を越えて逃亡してくる難民、脱走兵、そして亡命者が日を追うごとに増加するからです」
今までは、命からがら逃げてきた彼らに温かい食事と清潔な防寒着を与え、赤旗国軍の正確な兵力配置や士気についての情報収集(尋問)を徹底して行ってきた。
だが、これからは彼ら達に自立のための「仕事」をこちらで用意してやるのだ。後方の農場や物資集積キャンプで労働力として働かせ、代わりに暖かい住居と正当な賃金を手に入れさせる。
彼らは、あの赤旗国という「地獄からの脱出」に成功した、最も幸福な勝者となるのだ。
そして、その中からさらに、赤旗国の体制を打倒したいと心から願う志願者だけを募り、臨時の特殊部隊を組織する。
彼らの役割は、前線で赤旗国兵と泥にまみれて撃ち合うことだけではない。敵の内側から食い破る、極めて高度な『対プロパガンダ戦(情報戦)』が主任務となる。
赤旗国を打倒したいと願う志願者を募り、特殊部隊を組織する。彼らは前線で赤旗国兵と撃ち合うだけでなく、対プロパガンダ戦が主な任務となる。
「――自分も、少し前までは貴様たちと同じ赤旗国の兵士だった。だが、帝国軍は俺たちを殺さず、温かい食事と人間らしい暮らしをくれた。冷酷な思想のために犬死にするな。銃を捨てて、今すぐこちらへ来い」
かつての同胞たちの声で、夜を徹して赤旗国の陣地に向けて拡声器での呼びかけや伝単の散布を繰り返し、敵の軍隊システム(士気)を内側から徹底的に揺さぶる任務を彼らに“お願い”するのだ。
「設計屋。なぜそこまで、逃げた者が我が軍のために動くと確信を持って言い切れる?」
中佐殿の鋭い問いに、俺は視線を崩さないまま答えた。
「中佐殿。歴史が、そうなっているからです」
俺たち、異世界人は歴史を知っている。体制の狂気から逃げ延びた人間がどのような行動を取り、それがどれほど強力な情報兵器と労働力になったか。その「最適化された情報」を熟知している。
――最も……、敵の異世界時も熟知しているので、逃亡者は弁護の余地なき「国家反逆罪」として徹底的な処刑を行うだろうが。
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