第20話 悪意の投棄と、生産的老い《プロダクティブ・エイジング》
黎明連邦アジールの経済基盤は日に日に強固なものとなり、近隣の村々からの難民受け入れもシステムとして完全に定着しつつあった。
だが、私たちの「誰も見捨てない」という絶対の理を、光の王国がただ指を咥えて見ているはずがなかった。彼らはついに、武力による侵攻とは全く異なる、最も卑劣で、かつ最も厄介な国家規模の攻撃を仕掛けてきたのだ。
「湊さま、緊急事態です。南の国境線に、光の王国の輸送部隊が大量の人間を降ろし、そのまま撤退していきました」
執務室で報告を受けた私は、すぐさま人間の姿へと変異し、白蘭とアルジェントを連れて空間転移で国境へと向かった。
そこに広がっていた光景は、戦場よりも凄惨だった。
国境の平原に放置されていたのは、数千人にも及ぶ人間たち。
だが、以前逃げ込んできたような「働ける元兵士」や「若い農民」は一人もいなかった。そこにいるのは、重い病に冒されて咳き込む者、手足を失い動けない者、そして、自力で立つことすらできないほど老い衰えた高齢者たちばかりだったのだ。
『辺境の魔物どもよ! 貴様らは「どんな弱者も見捨てない」と豪語しているそうだな!』
空から、王国軍が残していった拡声の魔導具の音声が響き渡る。
『ならば、我が国で生産性を失った「お荷物」どもをくれてやる! せいぜい手厚く保護し、貴様らの国の食料と魔力を食い潰して、共に滅びるがいい!』
白蘭が激昂し、地面を力強く踏み砕いた。
「なんという外道……! 自分たちの国の民をゴミのように捨てて、あまつさえそれを攻撃の手段にするなど!」
「……社会的投棄か」
私は静かに呟いた。
福祉の充実した国や自治体に対し、周辺の地域が「あそこに行けば助けてもらえるぞ」と意図的に生活困窮者や重病人を押し付け、財政をパンクさせようとする悪魔の戦術。前世の歴史でも実際に存在した、行政の闇だ。
合流したゴブリンの長、鋭牙が青ざめた顔で私に歩み寄る。
「湊さま……これは、マズいです。健康な難民なら、畑を耕して自活できます。ですが、この数千人は……完全に『寝たきり』です。医療と介護を施し、ただ養うとなれば、アジールの財政と労働力は確実にパンクします……!」
鋭牙の懸念は、国家運営として極めて正しい。
彼らを受け入れれば国が傾く。しかし、拒絶して見捨てれば、私たちの掲げた「絶対の理」が嘘になる。王国は、アジールの理念そのものを崩壊させようと盤面を組んできたのだ。
「心配いらない、鋭牙。彼らを受け入れる」
私は迷いなく断言し、絶望に満ちた数千の投棄者たちの前へと歩み出た。
私が聖女ルミナの面影を残す「人間の姿」で現れたことで、倒れ伏していた老人たちが微かに顔を上げる。
「ルミナ、様……? ああ、やはり私たちは、見捨てられ……ここで死ぬのですね……」
一人の老婆が、枯れ木のような手を合わせて泣き崩れた。
「王国に見捨てられ、長く生きすぎた罰が、これなのだと……」
「違う」
私は老婆の冷たい手を両手で包み込んだ。
「君たちが生きてきた時間は、決して罰などではない。王国は重大な勘違いをしている。彼らは自らの手で『最大の宝』を投げ捨てたのだということに」
私は固有能力《理を編む者》を起動し、対象群のアセスメントを実行した。
『解析完了。対象群は極度の加齢および疾病による身体機能の低下を認める。しかし、大脳皮質の経験・知識などの情報蓄積量は極めて高く、特筆すべき専門知識を有する個体を多数確認』
若者は体力があるが、知識はない。
高齢者は体力がないが、途方もない知識と経験の蓄積がある。
彼らをただ「ベッドに寝かせて保護するだけの対象」と見なすのは、医療モデルという古いパラダイムだ。社会福祉の最前線において、高齢者は支えられるだけの存在ではなく、社会に価値を生み出す主体であるべきなのだ。
「新たな理を宣言する。術式・『生産的老い』起動」
私の体から放たれた金色の魔力が、数千人の高齢者と重病者たちを優しく包み込み、そのままアジールの居住区へと繋がる転移陣を形成した。
「彼らを第一区画の医療施設へ移送し、直ちに身体のケアを行う。だが、彼らはただの患者ではない。明日から、彼らにはアジールの『顧問官』として働いてもらう」
「働いてもらう!? 湊さま、彼らは歩くことすら……!」
アルジェントが驚きの声を上げる。
「物理的に歩く必要はない。私の構築する魔力通信網を使う」
私は全員に聞こえるように、はっきりと告げた。
「君たちの中には、何十年も土に触れてきた熟練の農民がいるだろう。かつて最高の布を織った職人、文字や計算に長けた者、治水工事を経験した者もいるはずだ。君たちはベッドの上に寝たままでいい。その頭脳の中にある『経験』という名の最高の技術を、念話を通じてアジールの若者たちに教えてやってほしい」
社会参加。生涯現役。人は、誰かの役に立っていると実感できる限り、決して生きる気力を失わない。
「君たちの『知恵』という労働に対し、私は国として正当な報酬を支払う。君たちはもう、誰かの足手まといではない。この国の未来を創る『教師』だ」
私の言葉が響き渡ると、死を待つだけだった老人たちの瞳に、信じられないほどの強い光が宿り始めた。
「わ、わしで……役に立てるのか? もう十年も、誰からも必要とされていなかったこのわしが……」
「私、昔は王都で一番の刺繍職人だったのよ……若い子に、やり方を教えろって言うの?」
「ああ。君たちの技術がなければ、この国は完成しない」
私が力強く頷くと、数千の老人たちから嗚咽と、そして生きる喜びに満ちた歓声が上がった。
彼らはもう、庇護されるだけの弱者ではない。誇り高き労働者へと生まれ変わったのだ。
数日後。アジールの光景は、王国の予想を根底から覆すものとなっていた。
医療区画のベッドで点滴を受けながら、老練な農民が念話を通じてゴブリンの若者たちに「今の時期はもう少し深く耕せ」と指示を飛ばす。元職人の老婆が、視界共有の魔法を使ってドワーフたちに細かな装飾のコツを教え、元役人がアジールの行政システムの効率化についてルシアに助言を与えている。
圧倒的な『知恵の集積』を獲得したことで、アジールの農業生産高と技術力は、パンクするどころか数倍に跳ね上がったのだ。
「信じられません……。王国は、これほど優秀な『頭脳』たちを自分たちから手放したというのですか」
執務室で報告書をまとめながら、アルジェントが呆れたように溜息をついた。
私は人間の姿のまま窓枠に腰掛け、白蘭が淹れてくれた茶をすすりながら笑った。
「王国は『肉体労働ができる者』しか価値を認めない古い社会だからな。彼らが捨てた数千人の知恵は、アジールにとって数万の兵力に匹敵する財産だ」
「さすが湊さまです! 王国の嫌がらせすら、この国を豊かにする肥料に変えてしまうのですね!」
白蘭が目を輝かせて私を見つめる。
福祉の力は、単なる優しさではない。どんな状態の人間であろうと、その強みを見出し、適切な環境を整えることで、社会の強固な歯車として機能させる『究極のマネジメント』なのだ。
ソーシャル・ダンピングという最大の攻撃を無力化し、逆に国の技術力を飛躍的に進化させた黎明連邦アジールは、もはや光の王国にとって、手出し不可能な絶対の脅威としてそびえ立っていた。




