第18話 攻めの福祉と、訪問援助《アウトリーチ》
黎明連邦アジールに帰還した朝、中央広場はかつてないほどの騒ぎに包まれていた。
無理もない。いつものように白蘭に抱えられた半透明のスライムが帰ってくると思いきや、白蘭の隣を歩いてきたのは、透き通るような銀髪と碧い瞳を持つ、神々しいまでに美しい「人間」だったのだから。
「み、湊さま……!? 本当に、そのお姿になられたのですか……!」
ゴブリンの長、鋭牙が目を丸くして震えている。
「ああ。聖女ルミナから魂と願いを受け継ぎ、私の擬態能力が進化した結果だ。どうだろうか、少しは威厳が出たかな?」
私が人間の声帯で静かに語りかけると、広場に集まった数千の民衆から地鳴りのような歓声が上がった。圧倒的な魔力と「理」を説く絶対者が、自分たちと同じ人の形をとり、同じ目線で立っている。その事実が、彼らにさらなる安心感と熱狂を与えたのだ。
「湊さまっ……!」
群衆を掻き分けて飛び出してきたのは、児童福祉を担当するルシアだった。救出されたばかりのゼノとリーネの兄妹も、彼女の背後に隠れるようにして私を見つめている。
「ルシア。夜遅くに急な保護の受け入れを任せてすまなかった。子供たちの様子はどうだ?」
私が歩み寄り、労いの意味を込めて彼女の頭を優しく撫でた瞬間。ルシアの顔が、耳の先まで一瞬にして真っ赤に染まった。
「ひゃぅっ!? あ、あの、湊さま、人間の手が……直接……っ」
彼女は腰を抜かしそうになり、両手で顔を覆ってしゃがみ込んでしまった。スライムの触手で撫でられるのとは、心理的な破壊力が桁違いらしい。
「ちょっとルシア殿! 抜け駆けは許しませんよ! 湊さまに撫でられていいのは筆頭秘書である私だけです!」
白蘭が慌てて私の腕に抱きつき、威嚇するようにルシアを睨む。
「白蘭も、あまり引っ張らないでくれ。まだこの身体のバランスに慣れていないんだ」
私がそう言って意識を少し緩めると、ポンッという軽い音と共に、私の体は人間の姿から元の半透明なスライムの姿へと戻った。
「えっ!? 湊さま、お戻りに……!?」
「ああ。ルミナから受け継いだのは擬態能力の進化だからな。人間の姿にも、元のスライムの姿にも自由に変形できる。実務やリラックスする時は、このスライムの姿の方が魔力消費も少なくて落ち着くんだ」
「おおお! では、遠慮なく!」
スライムに戻った私を、白蘭が待っていましたとばかりに抱き上げる。
「ああ、このひんやりした抱き心地……やはり私の特等席はこれです! ですが、人間の姿の湊さまに頭を撫でられるのも捨てがたい……ああ、私はどうすれば……!」
白蘭が私を豊満な胸に押し当てながら悶絶している。
人間の姿とスライムの姿、両方を自在に使い分けられるようになったことで、彼女たちとの物理的な距離感――ノンバーバル・コミュニケーションの手段と威力が、良くも悪くも爆発的に広がってしまったようだ。
だが、この姿を得た意味は、単に民と触れ合うためだけではない。
私は咳払いをして場を落ち着かせ、アルジェントや各部門の代表者たちを執務室へと集めた。
「皆に聞いてほしい。私は聖女ルミナの記憶から、光の王国の実態を完全に把握した」
会議の席で、私は再び人間の姿へと変形し、広げた地図の数箇所を指し示した。
「王都の周辺には、重税と強制労働によって搾取され、今も餓死寸前にある貧困村がいくつも存在する。王国は彼らを『生かさず殺さず』の労働力として利用しているんだ」
アルジェントが苦々しい顔で頷く。
「……恥ずかしながら、私も騎士時代にはそれが『国の当たり前』だと思っていました。弱者は強者に仕えるものだと」
「ああ。だが、私たちはもうそのシステムを許さない」
私は全員を見渡し、力強く宣言した。
「これまで、私たちは逃げてきた者を受け入れる『待ちの福祉』を行ってきた。だが、本当に助けを必要としている最も弱い者たちは、逃げ出す体力すらなく、その場に留まって死を待つしかない。だから、次はこちらから出向く」
「出向く、ですか?」と鋭牙が首を傾げる。
「そうだ。支援を待つのではなく、自ら対象者の元へ出向き、必要な支援を届けること。これを『訪問援助』と呼ぶ。私たちの理を、光の王国の足元へ直接広げるんだ」
その日の午後。私は白蘭とアルジェント、そして数名の護衛を連れて、光の王国国境に近い貧しい農村『コルム村』に空間転移で降り立った。
村は荒れ果て、畑には作物がなく、骨と皮だけになった村人たちが虚ろな目で地面を這うように歩いていた。前世の限界集落をはるかに下回る、完全な『貧困の底』だ。
私たちが村の中央に進み出た時、村の入り口から騎馬の足音が響いた。
光の王国の紋章を掲げた徴税官と、十数名の兵士たちだ。
「おい、クズ共! 今月の『聖女祈祷税』の徴収日だ! 麦を出せ! 麦がないなら、若い女か子供を連れてこい!」
徴税官が鞭を振り鳴らしながら怒鳴る。
村の長老らしき老人が、地面に這いつくばって懇願した。
「お、お代官様……どうかご慈悲を……。聖女様は地下に囚われていると噂に聞きました……祈祷税などという名目で、もうこれ以上私たちから搾り取らないでくだせえ……」
「黙れ! 反逆の言葉を口にするか!」
徴税官が長老に向かって鞭を振り下ろした瞬間、私は一瞬で間合いを詰め、その鞭を素手で掴み取った。
「なっ……何者だ、貴様!」
「その老人の言う通りだ。聖女ルミナは、君たちの王家によって地下で魔力電池にされ、命を落とした。彼女の名を騙って搾取を続けることなど、私が許さない」
私は静かに鞭を握り潰し、認識阻害の外套を翻した。
銀髪が風に舞い、私の本来の姿――聖女ルミナの面影を強く残すその顔が、人間の姿として徴税官と村人たちの前に晒される。
「ル、ルミナ様……!?」
長老が、信じられないものを見るように震え上がった。徴税官も、かつて遠目で見たことのある聖女に酷似した私の姿に、恐怖で顔を引き攣らせる。
「ば、馬鹿な! 聖女は死んだはずだ! 貴様は誰だ!」
「私は黎明連邦アジールの代表、九条湊。聖女の願いを継ぐ者だ」
私は村人たちに向かって、はっきりと告げた。
「コルム村の皆。もう恐れる必要はない。今日、この瞬間から、君たちの村は黎明連邦の『保護区画』とする。借金も、不当な税もすべて私が無効《免責》とする。必要な食料と医療は、直ちに無償で提供しよう」
「な、なんだと!? 他国の領土で勝手なことを!」
徴税官が剣を抜こうとするが、私の背後から音もなく現れたアルジェントの剣先が、すでに彼の喉元に突きつけられていた。
「動くな。湊さまの御前だ」
私は腰を抜かした徴税官を見下ろした。
「君たち光の王国に宣戦布告する。だが、私は君たちの国を武力で焼き払うつもりはない。私は君たちの国から『民衆の支持』と『労働力』を根こそぎ奪い取り、経済的に崩壊させてやる。せいぜい王に伝えておくんだな」
私の言葉に、村人たちの目に希望の光が灯り始めた。
待っているだけでは救えない命がある。こちらから手を差し伸べる『訪問援助』こそが、搾取の連鎖を断ち切る最強の攻め手だ。
人間の姿を得たカリスマと、自由自在な変形能力。絶対的な社会保障の理。これらを武器に、私は光の王国を内側から解体する戦いを開始したのだった。




