第15話 罪の連鎖と、更生保護《プロベーション》
共通通貨『綴』と最低賃金制度が導入されたことで、黎明連邦アジールの経済は驚異的な速度で回り始めていた。
労働が正当な対価を生み、各人が自由にパンや布、ドワーフの細工物を売り買いする。広場には活気ある市場が形成され、平和な喧騒が絶え間なく響いていた。
その日も、私は筆頭秘書である白蘭の豊満な胸元にすっぽりと収まり、執務の合間の視察を行っていた。
「湊さま、見てください! ルシア殿の孤児院の子供たちが、自分たちで育てたトマトを市場で売っていますよ!」
「ああ、就労体験の一環だ。自分で価値を生み出し、誰かに喜んでもらう経験は、最高の教育になるからな」
「素晴らしいです! 私も湊さまへの愛の重さを綴に換算できれば、この国の予算など一瞬で吹き飛ぶというのに!」
白蘭が私をぎゅっと抱きしめる。スライム特有の弾力で潰れはしないが、相変わらず愛情の圧が強い。
そんな穏やかな空気が、一瞬で凍りついた。
『――湊さま。市場の西側、武器屋の裏路地に異常な魔力反応。極限まで気配を殺していますが、私の共感覚領域には明白な『殺意』として結像しています』
脳内にアルジェントからの緊急念話が響く。
「白蘭、西側の裏路地だ」
「承知いたしました。湊さまの視界を汚すゴミは、私が一瞬で排除します」
白蘭は私を抱えたまま、驚異的な脚力で市場の屋根を飛び越え、裏路地へと急行した。
路地に降り立った瞬間、死角の影から一筋の凶刃が私の核を正確に狙って飛んできた。音を完全に殺した、プロの暗殺者の見事な一撃。
だが、刃が私に届くことはない。
――ガァンッ! 暗闇から現れたアルジェントの擬似右腕が、暗殺者の短剣を軽々と弾き飛ばしていた。
「遅い。その程度の気配遮断で、俺の目を誤魔化せると思ったか」
「なっ……!?」
体勢を崩した暗殺者の首根っこを、白蘭が空いた片手で無造作に掴み上げ、石壁に叩きつけた。
「ゴハァッ……!」
「湊さまに刃を向けるとは万死に値する。首と胴体を永遠に引き離して差し上げます」
白蘭が美しい顔を夜叉のように歪め、拳を振り上げる。
「待て、白蘭。生け捕りだ」
「……っ、はい。湊さまがそう仰るなら」
白蘭は不満そうにしながらも拳を下ろし、暗殺者を地面に拘束した。
捕らえられたのは、全身を黒装束で包んだ、まだあどけなさの残る人間の少年だった。
「光の王国が放った暗殺者か。随分と若いな」
私が念話で問いかけると、少年は血を吐きながらも、獣のような目で私を睨みつけた。
「……殺せ。俺は任務に失敗した。どうせ生きて帰っても、妹は……」
「妹?」
私は固有能力《理を編む者》を起動し、少年の生体情報と思考の波長を解析した。
『対象の背景を解析。重度の貧困層出身。光の王国の裏組織によって唯一の肉親である妹を人質に取られ、暗殺の任務を強要されています。対象の殺意は、自己の利益ではなく「妹の命を守る」ための防衛本能に由来します』
なるほど。これもまた、自己責任論で切り捨てられる貧困の末路だ。
「アルジェント。この少年の処遇、君の元の国ではどうなる?」
「問答無用で極刑、あるいは公開処刑です。国家反逆罪に情状酌量の余地はありません」
アルジェントが冷徹な事実を述べる。それが、法治国家を標榜する権力者たちの『常識』だ。
白蘭も頷く。
「湊さま、こいつには同情すべき事情があるようですが、罪は罪です。放っておけば、また湊さまを狙います。殺さないまでも、手足を落として森に追放すべきかと」
罪を犯した者を罰し、社会から排除《隔離》する。
それは社会の安全を守るための最もシンプルな手段だ。だが、前世の社会福祉士として、いや、この黎明連邦の代表として、その『古い法理』を採用するわけにはいかなかった。
「……君たちの意見はもっともだ。だが、私は彼を処罰しない」
「なっ……湊さま!?」
白蘭が驚愕に目を見開く。
「暗殺者よ。君は確かに罪を犯した。だが、その罪の根本的な原因は君の悪意ではなく、君と妹を貧困に陥れ、人質を取って利用した『環境』にある。ならば、環境の側を変えれば、君はもう罪を犯す必要がなくなる」
私は少年の前に滑り寄り、彼の拘束を解いた。
「白蘭、アルジェント。犯罪者を刑務所に閉じ込めたり、処刑したりするだけでは、犯罪は決してなくならない。本当の治安維持とは、彼らが二度と罪を犯さなくても生きていける居場所を作ることだ。これを『更生保護』と呼ぶ」
「更生……保護……」
「暗殺者よ。君の妹は、私の魔力とアルジェントの空間転移を使えば、今夜中に王国の裏組織から奪還できる。君と妹の身の安全は、この国が絶対に保障しよう」
少年が、信じられないものを見るように目を見開いた。
「どうして……俺は、あんたを殺そうとしたんだぞ! 化け物の国だって聞いてたのに、なんでそんなに甘いんだよ!」
「甘くはない。これは『契約』だ」
私は少年の真っ直ぐな瞳を見つめ返した。
「君は若くして、アルジェントの感知を掻い潜りかけるほどの隠密技術を持っている。それは素晴らしい『強み』だ。その力を、誰かの命を奪うためではなく、この国を守るための『諜報・保安』の力として私に貸してほしい」
罰を与えるのではなく、役割を与える。
社会から排除された者に、もう一度社会に貢献する機会を与えること。これこそが、再犯を防ぐ最強の対人援助技術である。
「……妹を、本当に助けてくれるのか?」
「私に二言はない。君がこの国で真面目に働き、妹と一緒に笑って暮らすこと。それが、君に課す唯一の『刑罰』だ」
少年はしばらく呆然としていたが、やがて大粒の涙を零し、地面に深く額を擦り付けた。
「俺の命……いや、これからの人生のすべてを、あなたに捧げます……!」
私は彼を優しく受け入れた。
白蘭は少し納得がいかない様子で頬を膨らませていたが、「湊さまの慈悲の深さは、まさに大海の如しですね……私ももっと心を広く持たねば」と自分を納得させている。
アルジェントは静かに微笑み、「頼もしい部下ができそうだ」と呟いた。
罪を憎んで、人を憎まず。
犯罪という結果だけを見るのではなく、その背後にある貧困や社会的孤立を紐解き、包摂する。
更生保護という新たな防壁を得たアジールは、さらに強靭な社会へと進化を遂げたのだった。




