第439話「静かな治世」
王となって十年。
王都には、かつての混乱を思わせる喧騒はもう存在しなかった。
朝になれば市場が開き、港では地方商船が荷を降ろし、子どもたちは学校へ向かう。北街道では修復された橋を荷馬車が渡り、修道院では温かな食事が孤児たちへ配られていた。
人々は「平和」とは口にしない。
それでも暮らしは確かに前へ進んでいた。
ゼルは玉座へ座る時間より、地方から届く報告書へ目を通す時間の方が長かった。
干ばつの兆候。
橋の老朽化。
麦の収穫量。
診療所の薬草不足。
派手な決断はほとんどない。
小さな問題を一つずつ積み重ねて解決していく。
それが国を長く保つ方法だと、ゼルは知っていた。
ある日、一人の若い役人が尋ねた。
「陛下。」
「贖罪塔は、この先も残されるのですか。」
ゼルは書類から目を離さず答えた。
「残す。」
「忘れた時、同じ罪は繰り返される。」
それ以上の説明はなかった。
夕暮れ、王城の高窓から街を眺める。
煙突から立ち上る夕餉の煙。
帰路を急ぐ家族。
笑い合う子どもたち。
その穏やかな景色の北端には、今日も黒い塔が静かに立っている。
誰にも知られることなく。
誰にも見せることなく。
五人だけが終わらない時間を生き続けていた。
ゼルは目を閉じる。
復讐は終わった。
だが、守るべき日常だけは、今日も確かに続いていた。
(次話へ)




